【轍のバラッド:第三話】

 ジムゾンが地下室から出た時にはもう完全に日が沈んでいた。後でエルナに食事を持って行こうと思いつつ渡り廊下を歩いていると、ヨハンにばったり出くわした。
「あっ、フォン・ルーデンドルフ。お戻りでしたか」
 顔を赤らめ、またも焦っている様子のヨハンを見てジムゾンは苦笑する。
「神父かジムゾンで結構ですよ、ブラザー」
 ふと、ジムゾンはヨハンが一人で居る事に違和感を覚えた。ヨハンというとロタールの腰巾着という印象があるのだが、先程の地下室でも彼はロタールに同行していなかった。
「ブラザー・ロタールとご一緒では無いのですか?」
「僕が居ると。あ、足手纏いだと言われて……」
 ヨハンは少し俯いて両手をもじもじさせた。
「いけませんね。見習いのあなたを放っておくなんて」
 見習いは教えを受ける為に従っているのだ。それを足手纏いだと言って突き放すとは。ジムゾンは聊か呆れながら、如何にもあの男のやりそうな事だとも思った。
「ところで、彼は今どちらに?」
「存じ上げません。行き先は何時も仰られませんから。修道院で人狼の文献を調べていた時だって」
「人狼の文献?」
 ヨハンは慌てて自身の口を塞いだ。しかし言葉は既に出てしまった。今更口を塞いだ所でどうしようもない。ヨハンは上目遣いでジムゾンを見つめ、口を塞いでいた手をゆっくりと放した。
「……誰にも言わないで下さいね?」
 ジムゾンが頷くのが早いか、ヨハンはジムゾンの腕を引っつかんで近くの物陰まで連れて行った。
「ロタール様は禁書を収蔵している書庫へよく行かれていました。僕は何時も同行を断られていたのですが、どうしても気になって後からこっそりついていった事があります。その時、手にとって熱心に読まれていたのが、人狼に関する文献だったんです」
 ヨハンは時折周囲を窺いながら、更に声を潜める。
「それで、何度か直接教皇庁に書簡も送られていました」
「教皇庁に?」
「詳しい事は知りません。ただ、書きかけの書簡に、人狼の文字があって」
 ジムゾンは腕を組んで考え込んだ。人狼であるジムゾンでさえ、ニコラスから聞いて初めて人狼の成り立ち――布教の過程で生み出された人為的な魔物である事――を知ったのだ。それを示す書物が説教者修道会の修道院に所蔵されているとなると、ロタールは別としても修道会自体は他に比べて教皇庁との関わりが深いのかもしれない。
「ロタール様がわけもなくおとぎ話を信じるなんて考えられません。きっと、何か理由があるのだと……」
 不安げなヨハンを見てジムゾンはふっと表情を和らげた。
「大丈夫ですよ。私自身が見たわけでもありませんし。彼を訴えたりはしません。大体、戦で騒がしい今時異端審問なんて――」
 そう言った瞬間、後方からわざとらしい咳払いが聞こえた。驚いて振り返った先には、予想通りロタールの姿があった。ヨハンはそそくさとロタールの傍へ戻り、ジムゾンも渡り廊下へ戻った。
「晩課の後にお時間はありますかな」
 唐突に問われてジムゾンは思わず怪訝な表情を浮かべた。
「なに、もしお暇ならあの男の尋問に立ち会われるかな、と思いまして。それとも大人しくしておられたであろう修道院時代のように、すぐお休みになられますか?」
「是非お願いしたいですね」
 嫌味は癇に障ったが、無視してすぐさま申し出を受けた。尋問する気があるとは驚きだった。尋問とは名ばかりの自白の強要なのかもしれないが、それなら傍に居て止めに入ることもできる。ロタールらと一旦別れ、ジムゾンは足早にホールへ向かった。


+++


 晩課の鐘の音きっかりにロタールがジムゾンの客間を訪れた。またも、ヨハンの姿は無かった。ロタールに問うたところ、ヨハンから聞いていたとおりの答えが戻ってきた。二人は大して言葉も交わさず、それぞれカンテラを手に地下室へ向かった。
「さて、エルンスト君」
 独房の前まで来ると、ロタールはもったいぶった調子でエルナに話しかけた。
「本当に君がやったのではないのかね?」
「何度でも言いますが、僕はその時この町に居なかったんです!」
 エルナは半ば睨むようにロタールを見た。
「裏通りの仕立て屋に勤め始めたのは?」
「つい最近ですよ。当然、一ヶ月も前じゃない。親方に聞いて貰えば解ります」
「それはおかしな話だね。マイスター・ヘクトールは一ヵ月半前に君を雇い入れたと証言している」
 これにはジムゾンも驚いた。シモンからは再会した時期を聞いただけだった。もしかしたらエルナはシモンに会う前にこの町に来ていたのかもしれない。しかしそうなると、エルナの立場は不利になる。
「う……嘘だ!そんな筈ない!」
 エルナは反論するが、ジムゾンもどちらを信じれば良いのか解らずに居た。かける言葉も見付からずジムゾンが戸惑っていると、再びロタールが口を開いた。
「それから、一番の決め手になった、君を見たという証言だが」
「嘘に決まってる!僕は毎晩ちゃんと宿に居て――」
「負傷兵シモン・フォン・ベルネットの世話をしていた。かな?」
 先んじて答えを言われ、気勢を殺がれたエルナは黙って頷いた。
「つまり、君の無実を立証できるのは彼一人という事だ。しかしね」
 いやにもったいぶった言い方に、ジムゾンは一抹の不安を覚えていた。親しい間柄の者の証言は信憑性が無い、だのと適当な事を言い出すのではないかとも思えていた。しかし、ロタールの口から紡がれたのは意外な言葉だった。
「君を見たという証言をしたのが他でもない、フォン・ベルネットなのだよ」



+++


 それから少し遡る夕刻、ディーターは裏通りにある仕立て屋の前に来ていた。裏通りと言っても、露店が立ち並ぶ表の喧騒を避ける者が多い所為か、人通りはかなり多い。仕立て屋はその一角にあり、人の出入りもそれなりにあった。客の身なりを見る限りでは意外に中上流層が多いようだ。入れ違いに出て行く使用人風の男からあからさまに避けられながら、ディーターは店に入った。
「いらっしゃい」
 店員と思しき男が挨拶をしたが、ディーターを見るその目はいかにも“何しに来たんだ”と言いたげな怪訝な物だった。奥に居た数名の徒弟らもディーターに気付いたが、関わらぬが吉とばかりに目を逸らした。奥に見える工房は雑然としていたが、店内は小奇麗なもので、待ち人用の長椅子にも上等な生地が使われていた。徒弟でもない店員を雇って置いているあたりからして、かなり景気が良いのだろう。丁度他に客は居らず、ディーターは真っ直ぐにカウンターへ向かった。
「エルンスト・ツァイスって奴がここで働いてると聞いて来たんだが」
 奥の徒弟達が訝しげな表情で顔を見合わせているのを見て、ディーターは言葉を継いだ。
「なに、繕いをして貰った礼をしそびれてよ」
 ディーターが繕いあとを手にとって見せると、どこか緊張した雰囲気が漸く解れた。店員が頷いて答えようとした時、奥から初老の大男が出てきた。服を作っているというよりは熱く焼いた鉄を叩いているのがお似合いな厳しい風貌だ。堂々とした態度からして、この男がここのマイスターなのだろう。
「少し前まで働いていたが、今は居らんよ」
「あっ、親方」
 店員が慌てて男に道を譲った。男はディーターの正面まで来ると苦々しい表情で腕を組んだ。
「資格を持っとる癖に徒弟だと偽りおって。罰があたったんだ」
「へえ。あいつ、マイスターだったのか」
 男の口ぶりから察してディーターはわざと初めて聞いたようなふりをする。男は大きく頷いて目を閉じた。
「ああ。自分の店の景気が悪くなったからウチの技術を盗みにでも来たんだろう」
 えらい自信と被害妄想だな。などと内心で思いながらディーターは適当に相槌を打った。
「少し前に来たばかりだと聞いてたんだが、それでもう出て行っちまったのか」
「いいや。この間のスリ殺しの犯人じゃないかって捕まったのさ」
 そう言いながら男は意地悪い笑みを浮かべた。
「あいつが詐称してたのを知った晩に丁度異端審問官が来てね。どうもあいつを犯人だと思ってるようだったから、いいように言ってやったんだよ。なんて言ってたかな。そうそう、勤め始めた時期は何時か、ってな。エルンストが来たのはほんの少し前だったんだが、事件がある前だって嘘を教えてやった」
 あまり笑える冗談では無かったがディーターも苦い表情で少し笑った。
「ところで、何であの男がマイスターだって解ったんだ?俺には全然解らなかった」
「そりゃあ素人には解らんだろう」
 男は得意げに肩をそびやかした。
「……と、言いたい所だが。これは人から聞いた事だ」
「そいつは凄い目を持ってるんだな」
 ある程度予想していた答えだったとはいえ、ディーターは僅かに身を乗り出した。
「いやいや。あれは元から知ってる風だった。第一、騎士なんぞに仕立て屋の腕前なんて解る筈がない」
「騎士?」
「全身外套で覆ってるし頭巾を深く被ってるから最初は怪しい奴だなと思ったんだが。バイエルンの騎兵だって言ってたかな。少し前から店の回りをうろうろしてたからよく覚えてたんだよ。あの日突然店に入ってきて、あんたと同じように世話になったんだとか言ってたよ。それで、あいつがマイスターだと知ったんだ」
 ディーターは考え込んでしまった。バイエルンの騎兵で、エルナを知っている人間と言えばシモンくらいのものだ。シモンはこの仕立て屋に来た事は無いと言っていた。それが嘘だとしても、わざわざエルナがついていた嘘を暴露しにくる理由が解らない。まだ聞きたい事があったのだが、男は会話が途切れたのを機に、忙しいだのと言って奥に引っ込んでしまった。
「親方、エルンストさんの方がずっと腕が良かったんで煙たがってたんですよ」
 店員が奥を窺いながら耳打ちしてきた。
「でも一旦雇った人間を過失も無いのに追い出せないでしょ?マイスター資格を持ってるのを隠してたから、なんてただの口実なんです」
 その時、奥から店員を呼ぶ大声が聞こえた。店員は慌てて奥へ飛んで行ってしまい、ディーターは仕方なく店を後にした。


+++


 夜も十時を回りディーターが自分の客室に戻った瞬間、ジムゾンからの囁きが届いた。
『ディーター。今、シモンさんと一緒に居ますか?』
 どことなく暗い声だった。ディーターだけに絞っているらしく、シモンは聞こえていないようだった。
『いや。自分の部屋だ』
 ジムゾンは何事か迷っているようで黙っていたが、暫くして漸く囁きが聞こえた。それはシモンに向けられた物だった。
『シモンさん。あなたがエルナさんを告発したって、本当ですか?』
 それは思いがけない問いかけだった。続けて、ジムゾンは地下牢での一部始終を話した。エルナが雇い入れられたのがかなり前だった事、そしてエルナが捕らえられる切欠を作ったのがシモンだと言う事を。
『冗談じゃない!なんで俺がエルナを売らなきゃいけないんだ!』
 怒ったようなシモンの囁きが聞こえてきた。それはそうだろう。人狼の身でありながら人間のエルナを救いたいと願っているのが、他でもないシモンなのだから。
『……本当に、本当ですね?あなたじゃ無いんですね?』
 申し訳無さそうな声音ではあったが、ジムゾンはくどいほど念押しをした。シモンがエルナを売った事が真実だとしてもそれを責める謂れは無い。人狼が人間をスケープゴートに仕立てて我が身の安全を守るのは当然の事だからだ。しかしもしスケープゴート化作戦の一環であったのなら、エルナを解放しようと努力する事が無意味になる。
『当たり前だ!世話になりこそすれ、審問官に売るような理由なんて何も無い!たとえ閉鎖空間の中だって、エルナを喰いも、吊りもするものか!』
『そうですか。それならいいんです』
 激昂するシモンに驚いてか、ジムゾンはやや無感動な返事を返した。
『何故審問官はそんな嘘を?』
『解りません。エルナさんとシモンさんが仲が良いと知っての事だろうとは思うのですが……それが何故なのか。何の目的なのか』
『勤め始めた時期の偽証に関しては仕立て屋本人の嫉妬によるものだが』
 ディーターは椅子に背をもたせて座り、仕立て屋での出来事を語ってきかせた。
『謎の騎士か……一体何が目的でエルナを嗅ぎ回ってたんだ?そして何故マイスターだと知ってたんだ?』
 聞こえてきたシモンの声音には苛立ちが感じられた。
『大して親しくなくても、面識が無くてもエルナがマイスターだとはすぐ解る筈だ』
『何故?』
 ジムゾンとシモンの問いかけが重なった。
『言ってたじゃねえか、自分で』
 そう言うとジムゾンも思い出したようだった。ディーターの服の繕いをしていた時、確かにエルナは自らマイスターだと言っていた。
『仕立て屋ではなるべく隠して。という程度だったんだろう。多分この宿の主人も知ってるだろうから、ちょっと聞き込みをすれば解る事だ』
『……こうなったらいっそ、俺が名乗り出て』
『そんな!』
 力無いシモンの呟きにジムゾンが反論する。
『あなたが捕まったらエルナさんが悲しみます!』
『何言ってるんだ神父さん。真犯人は俺なんだし、俺が居ない方が本当はあいつの為なんだ。あんただって人狼だろう?人間なんて、俺達にとってみれば本来ただの餌なんだ。お互い永遠に分かり合える筈も無いのに。馬車の車輪と同じような物さ。傍に居たって、同じ方向に歩んでいたって、絶対左右の二つが交じり合う事なんて無いんだ。』
 シモンは囁きはどこか苦々しい笑いが混じっていた。二人のやり取りを聞きながら、ディーターは腕を組んで目を閉じた。シモンの喩えは取り方を変えるとお互いに必要不可欠だと言っているような物だ。一緒に居られない身なのだと自覚しながらも、それを認めたくない気持ちが暗に出てしまったのだろう。ディーターは敢えてそこには触れなかった。
 人狼として為すべき事は今すぐにエルナを見捨てて逃げる事だ。しかしディーターはそれを勧めようとはしなかったし、口にも出さなかった。これまでの長い旅の中で人間と家庭を持って暮らしている人狼を何人も見てきたからでもあった。昔は、なんて甘ったれた根性の人狼だろうと思っていたのだが、ジムゾンと一緒に旅をするようになってからはそういう気持ちも失せてしまった。
『まあそう急くな。それよりジムゾン、告発者がシモンだと告げた後エルナはどうだった?』
『黙っていました。その後こっそり一人で地下室に行ったのですが、私にすら何も喋ってくれませんでした。でも……』
『でも?』
『どことなく、落ち着いたような風もありました。こうなる事が解っていたかのような』
『ふん』
 ディーターは短く、しかしながら満足げに返して腰を上げた。
『恐らく近いうち、明日あたりにでも謎の騎士の正体と、偽証の理由が解るんじゃねえかな』
『ど、どうしてですか?』
『エルナは嘘の自白をする。そうなれば必ず動きがある』
 何気なく言ったディーターの言葉に二人は戸惑っているようだった。
『それなら尚更早くどうにかしなくては!』
『エルナがもし処刑されでもしたら!』
 ジムゾンもシモンも一様に焦りを滲ませたが、ディーターはのんびり寝台を整えつつ囁き返す。
『ただの餌なんだ。処刑される筈がない』
『は?』
『今お前がそう言っただろう、シモン。人間なんてただの餌だと。それでなんとなく見当がついた。謎の騎士にとってエルナはただの餌だから、処刑されると奴の計算が狂う。だからそうなれば必ず、焦って向こうから動きだす筈だ』
 シモンからもジムゾンからも、反論も問いかけも無かった。
『とりあえず今日はもう寝ろ。明日はちっと体を動かす事になるぞ』



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