【籠の中】

「…ありがとう」
 擦れた声が耳元で、たしかに、した。
 それから司祭館に戻るまで何を見ていたのか覚えていない。ただ目の前に広がる見慣れた景色を。調度品を。見るとなく見ていた。闇の中で嫌でも目立つ白い肌に散る、赤い痕を見ない為に。
 ああそうか。お前、犯されたんだな。あのハゲ野郎に押さえつけられて。きっと黙っていただろう。きっと身動きもしなかったろう。青い目だけを恐怖で大きく見開いて。
 バカだな。お前。人狼の癖に。立派な爪も牙もあるじゃねえか。喉元に喰い付いてやれば一秒とかからずにお前は自由の身になった。喰ってしまえば食事も出来て二度得だ。喰いカスや血なんかは俺が片付けてやったのによ。初襲撃おめでとうって。それくらいならしてやったんだ。
 ああだけどできねえんだよな。それはお前がただ腑抜けの人狼だからってだけじゃねえんだ。
 襲われる女は喚かない暴れない。何故かって?喚けば殴られるに決まってるだろう。殴られるだけならまだいいが、殺されるかもしれねえな。襲う奴は女本人に興味なんかねえ。ただ出せればそれでいいし、死にたての死体だって大差ねえ。戦場で見てきたのも、大体がそんなものだった。
 なんだ。バカは俺か?

 ジムゾンを二階に運ぼうとして抱えなおした瞬間、指先が何か柔らかい物に沈み込んだ。ジムゾンが一瞬目を見開いた。指が温かく湿ってくる。先ほどから尻に残った名残の精液が手袋を濡らし、指にもその感触は伝わってきていた。けれどそれは冷たく、今は温かい。何故温かいのかは考えるまでも無かった。たぶん、指はジムゾンの尻の穴に入っている。
 俺はすぐに指を後退させて抜き、何事も無かったかのように階段を上った。ジムゾンも特に何かを表情に出すでもなく何も言わなかった。
途中でふと思い直して、俺は階段を下りた。さすがにジムゾンも驚いて俺になにか言いたげだった。辿り着いたのは小ぢんまりとした浴室で、湯などは当然無かった。風呂桶とシャワー以外は衣服を置く台程度しかない殺風景なものだが、田舎司祭の家にしては行き届いた設備だと言える。黒死病が流行して以来習慣が廃れても聖職者にとって風呂は欠かせない物だ。
 俺がかけてやっていた上着を取って空の風呂桶の外に下ろすと漸くジムゾンが口を開いた。
「お湯を沸かしていません。それに、お風呂なら朝入ります」
「ミサの後だろうが」
 俺はジムゾンを見もせずに蛇口を緩くひねった。勢いの無い水が上から滴り落ちてくる。
「村の奴らが見てる前で尻から溢れさせてみろ。村叩き出されるぞ」
 手桶に水を溜めて振り返った時にはもうジムゾンは観念した表情を浮かべていた。その体へ無造作に水をかける。水の冷たさにジムゾンが一瞬身を大きく震わせた。それでなくても貧相な体をしているが、人狼なのだから風邪をひく心配は先ず無い。
「糞する時みたいにしゃがめ」
 ジムゾンはまた戸惑っているようだったが、大人しくしゃがみ込んだ。俺に背を向けて相変わらず体を隠すように縮こまらせている。再び手桶に水を溜めて今度は床に置き、俺もジムゾンと同じようにしゃがんだ。ジムゾンの尻からは何も垂れてこない。もう奥深くまで飲み込んだのか。それとも恥ずかしくて尻の穴を締めているか。
「いいから出せ。笑わねえから」
 暫くして情けない音と共に白い液体が数滴落ちた。待ってみたがそれ以上出る様子は無かった。
「もっといきめ」
「もう出ません」
 段々腹がたってきたのだろうか。ジムゾンの声音がとげとげしくなった。俺は両方の手袋を噛んで外して上着と同じに台へ放った。
「床に手と膝ついて尻こっちに向けろ」
「い。嫌です!」
「二度言わねえぞ。早くしろ」
 強く言うとジムゾンは大人しく従った。悪いとは思ったが、今はつべこべ言っている場合じゃない。目の前に突き出された尻が微かに震えている。矢張り、そこにも赤い痕が散っていた。尻の穴は呼吸するようにヒクつき、時折苦しそうに白濁した液体を吐き出した。俺は片手で尻を掴んで押さえ、もう片方の人差し指を尻の穴に突っ込んだ。

「ひんっ」
 ジムゾンが情けない声を出した。俺は構わず更に中指をねじ込んだ。すると中を満たしていたものが溢れ、指が濡れた肉に包まれる。
「締めるな」
「だ…だって…。…はひ…!」
 ジムゾンの体が跳ねる。俺は指を肉壁に突き立てて収縮を遮り、火掻き棒のように動かして奥に溜まっている精液を掻き出した。先ほど粗方出てしまっていたのでわざわざ掻き出さなくても漏れ出る心配は先ず無い。けれど俺は何か妙な執着心のようなものにかられていて、徹底的に出してしまわなければ気がすまなかった。
「あぅ…ぅ…。…ぅぐ…」
 ジムゾンはくぐもった声を漏らしてか細い肩を震わせていた。しっとりとした黒髪が大きく揺れた瞬間、月光に煌く涙が見えた。ジムゾンの尻の真下の床には白い水溜りが出来ている。新たに増える様子も無い。もういいだろう。
 俺は指を引き抜いてジムゾンの尻に水をかけた。尻の穴の回りを汚していた白濁も床に落ちていた分と一緒に排水溝へ流れていった。白濁を道連れに流れていく水の音が収まると、流しっ放しにしていたシャワーの音が耳に蘇ってきた。勢いの無い水のパチャパチャという無機質な音が、訪れた沈黙を更に深めていった。


 来た時と同じように抱えあげたジムゾンの体は心なしか前より重たく感じられた。寝台に下ろすとそのままの体勢でぴくりとも動かない。空ろな瞳で宙を見つめて体を隠そうともしなかった。しかし無感動な青い瞳は強く俺に訴えている。早くここから出て行けと。
 不快という意味とは少し違う。怒りでも苛立ちでも無いし、悲しみでも絶望でもない。目の前に黙って横たわるジムゾンはただ、疲れていた。
 俺は無言で踵を返した。ドアの前まで進んで、鍵をかけた。ジムゾンが瞳に生気を蘇らせて首を擡げる。俺は構わず元来たとおりを大股で引き返し、腕を伸ばして厚いカーテンを閉めた。暗闇に閉ざされた部屋の中、人狼の瞳にはジムゾンが戸惑っている様子が見える。起きようとするジムゾンの肩を掴んで寝台へ押し戻し、自分も同じように寝台へ倒れこんだ。ジムゾンのすぐ隣へと。
 ジムゾンは困惑したまま俺を見つめていたが、その瞳に恐怖の色は無かった。俺はジムゾンの背中に腕を回して自分の胸に顔を押し付けさせた。お互いの体がぴったりと重なる。散々水で濡らされたというのにジムゾンの肌は熱く火照っていた。
 脚をジムゾンの股に差し入れて更に体を密着させると、硬直していたジムゾンの指先がゆっくりと俺の背を滑っていく。更な触れ合いを求めるうちに自然と唇が重なる。俺達は互いに強く引き付け合いながら、互いの唇を貪っていた。

 不意に、傭兵だった頃の事を思い出した。どこぞの領主の会食に招かれた時だったか。会食の席の隅には小さな鳥籠があって、いい声で鳴く小鳥が二羽入れられていた。
 それはオス同士の鳥で頻繁に喧嘩をしていた。片方のオスは片方をメスと勘違いして上に乗り、乗られたオスは怒って喧嘩が始まる。聞けば同性の個体は相性が悪いと相手が死ぬまで喧嘩を止めないのだという。(それを知っていて同じ檻に入れているのもどうかと思うが)
 夜になったら面白い物を見せてやると言われて見に行くと、ぼんやりした月明かりに照らされて小鳥達はぴったりと身を寄せて眠っていた。滑稽というよりは、どこか胸を締め付けられるような光景だった。
 今の俺とジムゾンは、丁度それに良く似ている。

 くっ付いていると不思議な安堵感があった。ただ温かさを感じていたかった。そう思うと、かつて小鳥達の夜の停戦を見た時に何故あんな感情を抱いたのかも理解できた。
 ジムゾンは何時の間にか小さな寝息をたてていた。強張りの解れた寝顔は陰鬱さに損なわれる事も無い。漆黒の前髪を指先でかきあげると、ジムゾンはむず痒そうに眉根を寄せて俺の肩に顔を埋めた。
 村という籠の中での、限られた仲間だ。こうなってしまうのも何もおかしな話じゃない。そうだそうだと適当に自分で自分を納得させながら、俺は心地よい闇の中に意識を委ねた。