【青の楽園 第五話】

レジーナは「知らない」の一点張りだった。ヴァルターは昨夜レジーナを見たという目撃証言があったがゆえに裏の窓からレジーナの私室へ侵入したのだという。しらみつぶしに探していくつもりで先ず倉庫から始めた所、血のついた寝巻きを発見したらしい。その後皆で倉庫の捜査をした結果、同様に血に塗れたナイフと錆付いた鉈が発見された。
「と、いう事はゲルトをやったのもレジーナなんだな。」
オットーは床に置かれた証拠品を呆然と見つめている。
「信じたくない…。」
ぽつりと漏らしたのはパメラだった。
「だってレジーナはニコラスの事が好きだったのよ!きっと真犯人は別に居て、レジーナに罪を着せようとしてるんだわ!」
「何度も言うけどヤコブの所の家畜は全頭無事だった。あの血はニコラスの物以外考えられないよ。」
「じゃあ!誰かがレジーナの服を着てニコラスを…。」
力無いヨアヒムに反論するパメラだったが声は次第に勢いを失っていく。ゲルトの件にしてもニコラスの件にしても、この宿のことを隅々まで熟知している女主人のレジーナなら考えられない話ではない。
「でも不自然だと思うんです…。どうしてあんなすぐ見付かる場所に証拠品があったのか…。」
ジムゾンは悲しげな表情を浮かべて項垂れた。真犯人の特定の決め手となるこれ以上無い証拠があがった事は本来喜ぶべき出来事なのだが、それがレジーナであるという事実を受け入れられずにいた。
「何もおかしな事じゃない。」
ヴァルターは難しい顔をしたまま紫煙を吐き出す。真犯人の特定が喜ばしいだけでないのは村人全員に共通の事だった。
「土を掘り返せばすぐわかってしまう。では人気の無い場所と言ってもここから森までは遠い。焼けば痕跡が残る。となれば洗濯する以外方法は無い。よって一時的に倉庫に置いていたと考えるのは自然な事だ。
今日は朝からバタバタしていたから洗濯ができていなかった。それである程度目星をつけて探す事にし、その間ペーターにレジーナを引きつけてもらっていた。」

「たしかにあたしはニコラスに会いに行ったよ。だけど殺しちゃいない!」
ヤコブと同じように縛られたままレジーナが叫ぶ。同じ部屋に置いておくと逃げられないとも限らない。よってヤコブは階段下の物置へ移され、レジーナが入れ替わりに地下室へと入れられていた。
オットーの作ったパンとスープを夕食にと運んできたジムゾンはどうにも答えられずに目をそらすしかなかった。
「あんたもあたしがやったと思ってるのかい。」
答えに窮するジムゾンを見てレジーナは微かに笑みを浮かべる。
「…あれだけ物がでてくりゃ仕方ない事だろうね。いいよ、気にしないどくれ。」
背後で扉が開く音がした。ジムゾンが振り返ると、番をしていたディーターが何段か上になっている入口からこちらを見下ろしていた。そのペリドット色の瞳は今まで見た事も無い冷たさをたたえていた。ジムゾンは促しの言葉をかけられるまでもなく急いで地下室から出た。
「何か言われたか。」
ジムゾンは無言で首を横に振った。
「ならいい。いいか、ヤコブもそうだがあいつらが何言っても聞くんじゃねえ。」
まるで凄むように言われてジムゾンは戸惑った。
「どうして?話をするくらいは構わないでしょう?」
「人を陥れる為に平気で嘘をつくような奴らなんだぞ!」
一階フロアに居た誰もが一斉にディーターを見た。ディーターはそんな事に構う様子も無くジムゾンの両肩を掴んで続けた。ふと、ジムゾンの脳裏にトーマスの事を聞かされた日の情景が蘇る。
「あいつらとはもう根っこから人間が違う、くらいに考えなきゃだめだ。神父のお前は解りたくも無いだろうが、世の中にはどうにもならねえ奴らもいるんだよ!」
刹那、ジムゾンには目の前のディーターがあの日のトーマスに重なって見えた。
「あなたまで、そんな事を…。」
ジムゾンのかすれた声はディーターの耳には届かなかった。肩を掴むディーターの両手が異様に大きく感じられる。痛いほどに強く掴まれて動く事もできない。少年の頃は同じくらいだったのに、力も、そして体躯も一回りどころではなく自分のそれを遥かに上回っているのだとジムゾンは初めて認識した。

ジムゾンの表情に怯えの色を見て取ったディーターは慌ててジムゾンを解放する。ジムゾンは無言でその脇をすり抜けて行った。ジムゾンが階段を上がろうとした時、ふとヨアヒムたちの声が聞こえた。
「でも驚いたなあ。父さんにあんな芸当ができたなんて。」
「立派な盗人になれますよ村長さん。」
ヨアヒムとアルビンが口々にヴァルターをひやかしている。というのも、証拠品を見つける為にヴァルターが窓からレジーナの部屋に侵入したという話が発端だ。窓の鍵は工具箱から取ってきた針金で開けたという。そういう誉められ方は嬉しくないぞと言うヴァルターの声を聞きながらジムゾンは階段を上がっていった。
「昔悪さして捕まってきたディーターに経緯を聞いている時にやり方も聞いていてな。それを思い出した。」
一瞬ジムゾンの動きが止まった。が、すぐにまた階段を上がる。パメラやモーリッツが茶化す声。ディーターが憤慨する声を聞きながら、ジムゾンは額に浮かんだ冷や汗を震える手の甲で拭った。
「…暑い…。」
真夏の夜、風のよどむ屋内は暑い。そう独り言ちて思ってみても体を覆う薄ら寒さは拭い去ることはできなかった。


眩しい光を感じてリーザは目を覚ました。ぼんやりとした視界を照らすのはカーテンごしに見える朝の光だった。羊飼いを生業としているカタリナを母に持つリーザの朝は早い。やるべき仕事もなく、学校にも通い出さないリーザには早く起きた所で直接的な意味は何も無い。それでもカタリナは「子どもの頃から癖をつけておかないと」と一切の妥協は許さなかった。
だがリーザが迎える日々の始まりは薄っすらとした朝の光によってもたらされる物である。太陽がここまで高くあがるという事はこれまでの短い人生の中では無かったはずだ。
リーザは身を横たえたまま小さな手を伸ばす。寝起きでまだよく動かない指先には冷たいシーツの感触しか無かった。

「これで三人目…か…。」
オットーは深い溜息をついて天を仰いだ。
昨夜の当番だったヨアヒムとオットーは、朝早く階下に下りてきたアルビンとリーザにカタリナの行方を聞かれ、手分けしてカタリナを探していた。そして外回りを捜索していたヨアヒムが変わり果てた姿のカタリナを発見したのだった。
カタリナの遺体は宿の裏の空き地に無造作に捨てられていた。窓の真下にあった所から、恐らく殺害後に窓から投げ捨てられたのだろうと推測された。遺体の損傷は酷いものだった。腹を裂かれている点はゲルトやニコラスと同じだったが、カタリナは誰なのか解らないくらい顔を滅茶苦茶に潰されていた。加えて、異様な方向に曲がった首には何かで絞められた跡があった。
「最初に首をこう、後ろから絞めとる。縄というにはちと細いから紐みたいなもんじゃろう。顔は…。一つ一つの傷が不規則で浅いからのう…。握りこぶし程度かそれ以下の石ころで殴りつけた。という所じゃろうか。出血の具合からして、絞殺したあとで殴ったり腹を裂いたりしたのじゃろう。また、空き地の遺体周辺に踏み荒らしたあとが無い事からその後に窓から投げ捨てられた。というわけじゃな。」

淡々としたモーリッツの推察を聞きながら皆はただ黙って項垂れていた。リーザはオットーの機転で母親の惨い遺体を見ずには済んだが、ヨアヒムは遺体を確認した瞬間に吐いた所為もあって青白い顔で虚空を見つめている。
「組織、なのだからな…。まだ残党がこの中に居るというわけか…。
何か気付いた事は無いか。オットー、ヨアヒム。たとえば重い物が落ちるような音を聞いたとか。」
ヴァルターに問われてオットーとヨアヒムはやや困惑の表情を浮かべて顔を見合わせた。
「喋ってたからかなあ。何も聞こえなかったよ。」
「大抵地下室の傍に居たからな。あそこに居ると地下室の物音は聞こえてもトイレのドアの音なんかは聞こえないんだ。一回ヨアヒムがトイレに行ったけど何も聞こえなかった。
あ。けどすぐに戻ってきたからヨアヒムにカタリナを殺害するのは無理だと断言できる。―…あ。」
オットーは何か思い出したのか言葉を切って考え込む。皆が固唾をのんで注目する中オットーはぽつりと呟いた。
「俺、番する前にカタリナに会った。」

「昼間話した事が気になってさ。時間まで話そうと思ってカタリナの部屋まで行ったんだ。それで偶然アルビンが部屋から出てきたからアルビンの部屋で話す事にした。リーザが起きると悪かったし。
で、話し終わって俺はヨアヒムと合流したんだけど…。アルビンは残ってカタリナと話してたよな。」
皆の視線が一斉にアルビンへと向けられた。
「ちょっ…ちょっと待って下さいよ!私確かにカタリナさんと二人で話してましたよ。でもすぐ別れたんです!」
アルビンは青ざめておろおろしている。しかしどんなに訴えても証明する物が無い。カタリナと一緒の部屋だったリーザは眠っていて朝まで何も気付かなかったのだという。疑いと戸惑いとが入り混じる空気の中、ヴァルターが口を開いた。
「すまないが荷物を検めさせて貰うぞ、アルビン。」
承諾の言葉も待たずにヴァルターとオットーそしてモーリッツは三階へ上がっていった。
「なんにも無いですよ…調べたって…。」
深いため息をついてアルビンは崩れるように椅子へ腰を下ろした。頭を抱えてぶつぶつ独り言を言っているようだが聞き取れない。
「何の話をしてたんだ。」
トーマスの問いかけにアルビンは答えなかった。表情を硬くしたまま沈黙を続ける。やがてドカドカと慌しい足音が聞こえ三階へ上がっていた三人が下りてきた。オットーは抱えてきた大きな袋をテーブルに置いた。アルビンの商売道具だ。
「…なにも無かったでしょう。」
聊か不貞腐れた表情でアルビンが三人を見た。だが三人の誰からも肯定の返事は無かった。オットーは無言で荷を開き、取り出した何かをテーブルに広げた。皆があっと声を上げた。テーブルに無造作に放られたのはべっとりと血が付着したニ、三粒の大きな宝石だった。

「なんで私がカタリナさんを殺さなきゃいけないんですか…。」
冷たい地下室の床に座り込んでアルビンは弱弱しく呟いた。
人狼の疑いをかけられた者達は拘束を増やし再び地下室へ集められた。疲れているのかヤコブは死んだように眠り、レジーナは不審気な様子でヤコブを時折気にしている。そして新たに加わったアルビンは、力無くしくしくと泣くばかりだった。
「ゲルトの宝石を盗ってたじゃない!」
ヤコブの所へ食事を運んでいたパメラが振り返った。アルビンの荷物から出てきた宝石は、見た事があるというペーターの証言からゲルトの物だという確認が取れた。宝石は荷に入っていた大きな真鍮製の香炉の中やガラスの水差しの中からも幾つかでてきた。
「宝石持ってるのをカタリナに見られたんじゃないの。それでバレると拙いと思って咄嗟に殴り殺した。違う?」
冷たく問い詰められたアルビンは顔を覆って首を横に振るばかりだった。
遺体の位置が微妙だった。殺害後窓から投げ捨てられたのは間違いないのだが、遺体はアルビンの部屋とカタリナの部屋との丁度中間のあたりにあった。アルビンが浮上していないうちはカタリナの部屋からという説が当然のように取られてきたが、こうなるとアルビンの部屋で殺されて落とされたという説が有力になった。

「本当に何も知らないんですか?」
「…カタリナさんと別れて、翌朝リーザちゃんに起こされるまでずっと寝てたんです。番してて疲れてたから。本当です。」
ジムゾンの問いにアルビンは俯いたままで答えた。
「それで、一体何を話していたんですか?」
アルビンは再び黙り込んだ。
「ほら、言わないじゃない。さっきもトーマスおじさんに聞かれて黙ってたわよね。」
戻ってきたパメラは腰に手をあててアルビンを覗き込んだ。
「言えなかったんですよ。トーマスさんには…。」
「父…いえ、トーマスさんには言えない事って?もう居ないんですから、言っても大丈夫でしょう?」
ジムゾンは訝しげにアルビンを見た。
「…怒らないで下さいよ。」
アルビンは渋々語りはじめる。昨日の夕方、オットーやディーターも交えて、トーマスとレジーナが怪しいという話をした事。その夜レジーナの私室から証拠品が上がった事もあって、残るトーマスに関する情報を交換していた事や、トーマスが夜中に来ても絶対に扉を開けないと約束した事などを。

ジムゾンは平静を装って聞きつつも、何時の間にか顔は強張り唇は引き結ばれていた。
「そうやってトーマスをスケープゴートに仕立てるってわけかい。」
言ったのはレジーナだった。
「証拠品があがったから、ってだけじゃ疑わないよあたしゃ。あたしだってはめられた身なんだからね。あんたが言うように、誰かがあんたの荷物に凶器を忍ばせたって説も無いとは言わない。
だけどね、なんで証拠も無いうちからトーマスを怪しい怪しいって言う必要があるんだい。」
「それは…。」
強い調子で追及されてアルビンは答えに窮した。
「具体的にどういう事だったんですか?」
ジムゾンはしゃがむのをやめてアルビンと同じように床に座った。
「カタリナさんが、ニコラスさんが気を許すのはレジーナさんかトーマスさんだって言ったのが最初なんです。」

「つまり、ニコラスさん殺害の犯人についての議論だったんですね。」
「そうです。その一点に集中してました。それで、犯人には元々動機なんて物が存在しないに等しいから、二人もありえるなという話になったんです。そこで、ディーターさんが加わりました。」
「ディーターが?」
ジムゾンは思わず頬を引きつらせた。アルビンは暫く不安げにジムゾンとパメラを見つめていたが、そのうちに二人の表情に気圧されて再び口を開いた。
「ディーターさんは、ジムゾンさんの鳩を殺したのはトーマスさんだって言ってました。」
「…鍵の事ですね。私も聞きました。ディーターにも言いましたが、あの南京錠はもう随分と古くなっていて留め金がゆるくなっているんです。どうかしたら、手でもこじ開けられると思いますよ。」
「それに…。…トーマスさんには前科があるって言ってました。」
「前科?」
鸚鵡返しにパメラが問う。
「詳しくはまだ話したくないって言われたから知らないんです。でも、前科があるって凄く怪しいですよね。だからディーターさんはトーマスさんを疑ってきたんだって。」
僅かに元気を取り戻したアルビンの声を聞きながら、ジムゾンの顔は蒼白になっていた。
「言われてみれば、その情報以外にトーマスさんを怪しむ根拠は無いですよね…。ニコラスさん殺しの犯人は、レジーナさんだったんだし。」
アルビンの呟きを聞き逃さなかったレジーナがすぐさま反論したが、ジムゾンの意識にはもうそんな声も届かなかった。

「ほう。アルビンがそんな話を?」
ヴァルターは時折ジムゾンを見ながら集まった刃物類を大きな麻袋に仕舞いこむ。凶器が無ければ殺人は実行しようが無い、という当然の結論に行き着いた結果、今居る全員の部屋と荷物を検め凶器になりそうな物をあらかた集めたのだった。
村人達は皆それぞれに行動しており、一階に居るのは片付けをしているヴァルター、今日の当番であるモーリッツとオットー、そして遅い夕食の片付けを終えたばかりのジムゾンの四人だけだった。
「容疑者である人間の言う事は素直には聞けないな。」
「そうじゃの。かく乱の意図かもしれん。」
オットーもモーリッツも慎重な意見を述べ、ヴァルターも無言ではあったが賛意を示していた。ヴァルターは先日までヤコブを閉じ込めていた階段下の物置へと袋を仕舞い、椅子にかけると三人を眺めて言った。
「実はな。容疑者を処刑してはどうかという意見が出ている。」
「!」
全員が思わず息をのんだ。

「結局ゲルトを殺した犯人が誰なのかは未だ不明だが、ニコラスを殺したのはレジーナに間違いない。あれだけの証拠があるのだからな。無事にこの難局を乗り越えて警察に引き渡した所で、恐らくは死刑になるだろう。それならば今それをした所で問題も無いし、生かしておくだけ雑音のような情報を吹き込まれて不利になる。という見方からだ。」
「法には照らせんぞ。」
厳しい眼差しを向けたのはモーリッツだった。
「警察という組織と概念が出来上がってまだ半世紀も経たん。ここみたいな田舎の村では未だに私刑が行われておるし、それが普通という状態じゃ。
ゲルトの件に関してもたまたまヴァルターが中央省庁帰りの識者じゃったから警察の手を借りたというに過ぎん。
じゃがわしはそういうやり方には反対じゃ。一応は警察に身を置いていた者としてな。」
「だけど雑音が混じるっていうのは正しいと思うし…うーん…。」
オットーは唸って腕を組んだ。
「お話しなければいいんです!私も先程聞いた事は忘れます。ですからどうか、そんな事は…。」
青ざめておろおろするジムゾンをちらりと見てヴァルターはパイプに火をつけた。
「解ってるよ。私が生きている限り、そんな事をするつもりはない。」
ジムゾンはふーっとため息をついてヴァルターの向かいの席に腰を下ろした。

「言い出したのはリーザなのか?」
「何故かな?」
ヴァルターは立ったままのオットーを見上げた。
「実の母親を殺されたんだ。その犯人を殺したいって思うだろう。俺がもし死んだ母さんが同じように殺されたら、刺し違えてでも犯人を殺してやりたいと思うね。」
「ふむ。」
ヴァルターは片手でオットーに座るよう促すとテーブルに肘をついて三人に向き直った。
「たしかにリーザからも言われた。」
「?ってことは、一人じゃないんだな。」
「リーザとペーター。それから、ディーターだ。」


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