【嘘を重ね、行く手には道も見えない】
俺が何時ものように一仕事終えて客人用のテントに戻ると、見慣れない緑尽くめの旅人が居た。 「やあ。お邪魔してます。」 彼は顔の殆どを覆い隠す大きな三角帽子を脱いで挨拶した。年のころは俺と同じくらいだろうか。金色の長い髪の毛がふわりと揺れる。青い瞳といい、どう見てもゲルマン人だ。俺は内心身構えてしまう。 「はじめまして。私はニコラス・アッヒェンバッハ。旅の途中で行き倒れそうになった所を、こちらの長に拾って頂きました。よろしくお願いします。」 ニコラスは屈託の無い笑顔を浮かべて手を差し伸べた。 「僕はアルビン・グラーツ。見てのとおり行商人だ。宜しくね、ニコラス。」 俺は即座に営業用の顔に切り替えその手を握り返した。 「ニコラスは何で旅をしてるの。」 背負った荷物を下ろしながら単刀直入に聞いた。視線はニコラスからはなしていない。 大体おかしい。俺も旅を始めてそう長いわけじゃないけれどゲルマン人の放浪者というのは何かしら理由があるものだ。敗残兵とか、戦火に焼け出された民間人とか。 けれどニコラスは戦争とは無関係のように見える。旅芸人達のようなジプシーや俺たちアシュケナジーなら解るのだが、ゲルマン人が戦絡み以外で旅をする理由なんて無い。 残された理由はただ一つ。何かしらの秘密を持っている可能性だ。 どこかの城から抜け出してきた貴族の人間とか言うのなら構わないが、もし旅芸人を捕縛する密命を受けているのなら困る。また近いうちに戦があるというから魔女狩りみたいな事をしてる余裕は無いと思うが、万が一が怖い。 ニコラスは顔から笑みを消した。無表情のまま暫らく沈黙していたが囁くようにこう言った。 「実は、フランクフルト市議会の密命を帯びているのです。」 一瞬、顔が強張った。 「…と、言ったらどうしますか?」 ニコラスは口の端だけで笑い、意地悪い口調で言った。 「ハハハ。私はただの吟遊詩人です。冗談ですよ、冗談。」 俺の顔がよほど固まっていたのか、ニコラスは大笑いしている。そうだ。その可能性を見落としていた。 「こちらの長にそう聞かれたんです。密偵じゃないかって。」 「僕もそう思ったよ。」 「何故でしょうねえ。よく間違われるんです。そんなに詩人に見えないのかな。」 ニコラスは苦笑いして、ふと俺を見た。 「ところでアルビンさんは何故ここに?」 「アルビンでいいよ。」 俺は荷袋から黒パンを取り出して敷布上に座り、簡単な夕餉の支度を始める。 「本隊と都合がつかない時は何時も混ぜて貰ってるんだ。今回は知り合いに頼まれてた物が手に入ったからその場で引き返してきたわけ。暫くそこに留まって、本隊が来るのを待つつもりさ。」 「余裕があるんですね。」 ニコラスの言葉が妙に頭にひっかかった。ニコラスはなんのけなしに言ったんだろうが、どうにも彼は俺の事を見透かしてるんじゃないかと思えて仕方なかった。 「まあね。今の所困る事は無いよ。」 薄く削いだパンをニコラスにも勧めて食前の祈りをとなえる。何時もの事だから自然と早口になり感情は特にこもっていない。さて、では最初の頃は心からの祈りだっただろうか。 思い出そうとしてみるが、何処までが本当で何処までが嘘なのかがわからなくなってくる。名前にしてもそうだ。偽名を名乗るのも慣れてしまって、今では本名の方を忘れかけている。 アルフレート・オッペンハイム。それが俺の本当の名だ。 富豪のオッペンハイム家に生まれて長い間ずっと何不自由なく育った。俺は妾腹だったが父も兄弟も隔てなく接してくれていたと思う。問題は外の環境にあった。 アシュケナジーだというだけで人は俺たちを避ける。 宗教革命が起こって派が二分したとてキリスト教はキリスト教。その教祖でありメシアなんだという男を処刑したのがユダヤ人だという事で新旧かかわりなくキリスト教徒からは忌み嫌われている。源流がユダヤ教であり、教祖自身がユダヤ人であったというのに。 キリスト教で下賎の職とされる金貸し業や商人はやりたがらない者が多い。俺たちだけがそれをやった。というよりそれ以外に食い扶持を見つけられなかったからだ。そして結果的に財をなした。皮肉な事に、彼らは仇敵と追いやった者を肥え太らせてしまったわけだ。 財をなせばどんな人間であろうと必ず人が寄ってくる。金に困った貴族達をはじめ、時として王侯なども。彼らだって誇りだけで生きていけるわけじゃない。また、戦ともなると莫大な軍資金が必要になる。 彼らは借り入れを申し込みに来る立場だ。幾ら嫌っているアシュケナジーと言ったって邪険に接するわけにもいくまい。だから表面的に親切に見えるのは、差別感が薄れたのではなく金目当てだからなのだろう。 フランクフルトでの一件がいい例だ。市議会は俺たちの財を支配せんがために移動制限までつけようとした。それに対して皇帝はあくまで俺たちを擁護した。当時まだ幼かった俺は単に皇帝は心が広いのだろうかと思っていた。なんの事はない。皇帝は軍資金を俺たちに借りていたからだった。 いよいよ人間不信に陥っていった俺は同時に家族にもそれを感じ始めていた。金の為、表向きには友人のふりをして近づいてくる恥知らず達。しかし対する父達も、身を守る為とはいえやはり表向きには親切なふりをして裏で舌を出している。同じ事だ。 外から人間が来た後で必ず聞く口汚い罵りの言葉を記憶に重ねていくうちに、次第に家族さえも信用できなくなっていった。分け隔てなく接してくれているのはまやかしで、本当は俺の事なんて妾腹の子と詰り裏で村八分にしているのかもしれない。 成長するに従って息が詰まりそうになっていた俺は、少しでも家から離れたくて親戚の隊商に加わる事を志願した。外の世界を見て勉強したいという俺の嘘を父はたいそう嬉しがっていた。 嘘だと思った。きっと、目障りな俺が居なくなってせいせいするくらいにしか思ってない。普通子どもは手元に置いておきたがるはずだ。 父の喜びようをみて、俺はかねてより計画していた事を実行に移す決意を固めた。それは、旅の途中で失踪してしまう事。 計画は成功した。旅の途中で行方不明なんて事もよくある話だったのでやりやすかった。後は持ち出したありったけの貯金を元手に食うに困らない程度働いていればいい。商いのコツは知っていたし、仮にのたれ死ぬとしたって後悔なんてしない。あんな騙しあいの世界で飢える事無く死ぬのを待つよりは、自分の好きなように生きて餓死でもした方がマシだった。 偽名を名乗り、万一親戚に見付かってもごまかせるように何時も帽子を目深にかぶった。本来の意味とは外れるにわか隊商とも言える旅芸人の中に俺のような普通の行商人が紛れている事をニコラスが不思議がったのにも無理は無い。ニコラスに言った理由は本当なのだが、あまり大きな隊に属すと身元が割れてしまうから加わっていたくないというのが本音だ。 旅芸人達は手癖こそ悪いが人懐っこい。ちゃんと気をつけていさえすれば害も無い。また、彼らのような一般的には避けられる人間を受け入れる土地を知っている。そういう土地ならアシュケナジーの俺もあからさまに避けられはしない。 そんな事を思いながら食事を終え、他愛も無い話をしていた。ニコラスのこれまでの経緯や、俺が今度滞在する村の事など。 「へえ。羨ましい話ですね、働かなくていいだなんて。」 ニコラスはため息のようにふうっと紫煙を吐き出す。結構使い込んでいるが質のいいパイプを持っている。一時期は伝染病に効くからと女子どもまでぷかぷかふかしていたものだ。最近は皇帝が嫌ったのもあって漸く収まり、隣国の王がみっともないだの言った所為か上流層を中心にかぎ煙草の方が流行っている。 そういえばかぎ煙草の在庫が乏しくなっていたっけ、と思ってしまった自分の商人としての浸透ぶりがなんだかおかしかった。 「どうだろうね。本人は何とも思って無いみたいだけど。」 働かなくていいというのは今度行く村に居る友人だ。親が村長だったのに呆れるほど時勢に疎く性格ものんきそのもので楽天家などとよく陰で言われている。名前はゲルト・オーベルライトナー。生来の無頓着さからか初めて村を訪れた時にあっちから声をかけてくれた。以来付き合いが続き、唯一の親友でもある。 「既に与えられているしあわせには中々気付けないものですからね。」 意味ありげに呟いてニコラスは少し身を乗り出す。 「それで、頼まれていた物って何ですか?」 「よく覚えてるなあ。」 自分でさえも忘れかけていた事を覚えているのに感心してしまう。俺は荷袋の中をごそごそやってそれを取り出すと手の上に載せて見せた。 「これさ。」 金属で出来た卵型の鈴が手の平で揺れる。奇妙な音がかすかに響いた。 「ドルイドのベルですね。」 「知ってるのか。」 ニコラスは煙草の火を消すと、ちょっと失礼と言い置いて鈴を摘み上げた。傾けて眺める度何ともいえない音色がする。鈴のように尖った音じゃない。柔らかく反響する音だ。 「アイルランドの伝承にある神聖な道具なんだってね。オカルト趣味っていうのかな。そういうの好きなんだよあいつは。その鈴の音を聞いてみたいんだって言ってさ。」 俺は一年前のゲルトの熱心な様子を思い出してまた呆れる。変に現実的なところもあって伝説もおとぎ話も信じてやいないくせに、人一倍の興味だけはあるのだから不思議だ。 「まー正直そこまで遠くに行くつもりもなかったから期待するなって言ってたんだけど、ドナウエッシンゲンで偶然見つけたんだよ。確かに年代物っぽいし変な音もするんだけど…一杯あったし値段も大した事無いから多分紛い物だと思うな。」 と、ニコラスが礼を言って鈴を返した。 「それは本物です。」 「へ?」 何でそんな事が解るんだろう。今の俺の顔にもきっと同じ言葉が書いてあるに違いない。ニコラスはふっと笑って頷いた。 「間違いありません。かなり力を持ったドルイドが持っていたようですよ。」 さすがに不審がる俺にニコラスは慌てて言葉を継ぐ。 「細工を見れば解る事ですよ。それと、それに関してはアイルランドの伝承ではなくケルトの伝承です。ケルト民族というのはかつて大陸各地に居たのです。ドナウエッシンゲンのある黒い森にもね。」 「よく知ってるね。」 「吟遊詩人ですから。」 「ああ。」 にっこり笑ったニコラスに俺は何故かホッとしたような変な気持ちになった。そうだ、吟遊詩人なんだから伝承に詳しいのは当たり前だ。 「何か得体の知れない奴だと思いましたか?」 「ちょっとね。」 ニコラスの問いかけに素直に返答する。気味が悪いと思った、とまではいえないが。 「人は嘘をつくものですからね。色々勘繰るのも仕方無いです。」 寝支度を始めながら呟いたその言葉がやけに耳に残る。 「愚か者は悪徳を避けようとして反対の悪徳へ走り込む。嘘をついているうちに嘘を嘘で塗り重ねるようになってしまう。」 臍の中あたりが重く脈打つように跳ねた。次いで頭から背筋に向かって何か冷たいものが伝っていく。一旦はニコラスに背を向けて眠ろうとした俺だったが、びっくりして思わず振り返った。 「なに。ホラティウスの詩ですよ。…ではおやすみなさい。」 ニコラスはただ穏やかな笑みをたたえていた。 俺は適当に返事を返してすぐに毛布をかぶった。背筋が寒くなったのは自分を見透かされたからだけじゃなかった。まるでこの先の末路までも予言されているかのようで、ゾッとした。 まどろみのなかでかすかに声が聞こえる。 『あの…ベルを持…とは囁き…宿命を負うこと…』 『…を聞いてお…ったかな…第一の犠牲…名を…』 ニコラスの声だったような気がする。それにしては、耳で聞いていると言うよりは頭の中で響いているような風だった。声はまだ続いていたが先程の一件で酷く疲れていて、俺はそれきり眠りに落ちてしまった。 『…またあの血の宴が始まる…何度とない輪廻の運命が…』 |