【赤い雨】

 雨が降りしきる中、黒服の集団に囲まれて少年はぼんやりと佇んでいた。雨音に混じってすすり泣く声と話し声が聞こえてくる。何故 あの善良な夫婦が殺されなければならなかったのか。慎ましい暮らしをしている者を襲うより町で悪徳な金貸しでも襲えば良いのだ。と。そして
「それでも、離れに居たヤコブが殺されずに済んだのは不幸中の幸いだったわね」
「幸いなんて!とんでもない」
「そうだよ。あんな惨い姿の両親を見ちまったんだからねえ……」
チラチラと少年を気にしながら話す声は少年の意識にまでは届かなかった。少年はただ呆然と雨粒が不規則に跳ねる地面を見つめていた。しかし、そこここに出来た大小様々の水溜りは鉛色の空を映し出していたが、少年の目には一瞬で日常を崩壊させた忌まわしい赤にしか見えないのだった。


「雨の日こそ用心せにゃ駄目だ」
 不意に男の声がヤコブの意識を呼び戻した。一人夢から覚めた気分でヤコブが辺りを見回すと、そこには体を冷やす雨も葬列も存在しなかった。雨は、この宿の外で降っている。
 村に一つだけある宿屋の一階は酒場になっており今日も数名の村人が集まっていた。今しがた喋った男・ディーターは安いビールをあおり聞き手となっていた神父や宿の女将の方を向いて続けた。
「雨や嵐の日は誰も歩きたがらないから泥棒もやってこないなんてのはありえねえ。雨は音を消しちまう。しかも今言ったように誰も出たがらないから昼間っから人気も無い。盗みやら何やらをやる上でこれ以上の条件はねえわけだ」
 聞いていた神父や女将は感心した様子でディーターを見た。尤もな理論ではあった。
「そりゃあ、お前は良く知ってるわなぁ」
 ヤコブの後ろから皮肉るような声が聞こえた。ディーター達が注目したようにヤコブも思わず振り返った。声の主はがっしりとした体格の初老の男だった。意地悪い視線をディーターに向けてはいるが、表情に皮肉の色は無い。しかし男が指摘したとおり、喧嘩でできたと思しき傷痕や無精髭や身なりなどからしてディーターはまさにその筋の人間そのものの外見をしている。実際に賭博やその他あまり道徳的に良くないと呼ばれる物に手を染めていた事もあった。とは、ヤコブが以前女将であるレジーナから聞いた話だった。
「余計なお世話だ」
 ディーターはフンと笑って軽く返すが
「トーマスさん」
 神父が窘めるように男を見た。およそ世間というものを知らなさそうなこの若い神父には今のトーマスの言葉が冗談だと解らないようだった。
「ジムゾン、冗談だ。冗談」
 トーマスが困惑してしまうより前にディーターが苦笑しながら神父を制した。
「雨の日が怖くなるよ。それでなくても物騒なのに」
 トーマスの向かいで飲んでいた行商人のアルビンが呟く。
「変な噂も流れてるしな」
「人狼の噂ですか?」
 首をかしげて問いかけるジムゾンにディーターは軽く頷いた。
「あははっ。そんなの何処かの子どもの作り話だよ」
 笑って一蹴したのはヤコブの向かいに座っていたゲルトだった。村一番の資産家の息子で何不自由無い生活を送っていた所為か、悩みという言葉は無縁の男だ。ヤコブとは同級という事もあって村の中でも特に親しくしている。
「だってさあ、こんな田舎の村に他所から人が来たらそれだけで怪しいよ。幾ら人間に化けられる化け物が居るとしたって、すぐばれちゃうね」
「それもそうだねえ」
 一応は筋の通った理屈にレジーナは賛意を示す。
「さっ、もういい時間だし。帰ろうか、ヤコブ」
 ゲルトが立ち上がり、ヤコブもそれに倣った。お互いのジョッキは既に底をついており、お開きにするには丁度良かった。二人は代金分の銅貨をカウンターに置いて宿を後にした。雨の中を二人で他愛も無い話をしながら歩き続け、何時もの分かれ道で別れた。

 ヤコブは家に帰り着くとすぐさま暖炉に火を入れた。上着も脱がずに暖炉の傍に座ってみるが、体は一向に温まらない。外の雨は更に酷くなり薪の爆ぜる音さえもかき消してしまう。先程ディーターが忠告していた事は随分前から知っていた。何故ならあの酷い雨の日に、音も無く両親が惨殺されてしまったのだから。
 雨は農業に従事する者にとって無くてはならないものだ。それでもヤコブは雨の日が嫌いだった。怖かった。だから最後の家族を亡くして一人になってからは何時も雨になると朝から宿に入り浸っていた。誰かと一緒に居なければ不安でならなかった。今日も例に漏れず朝から宿屋でちびちび酒を飲んでいたのだが、思わぬ噂話が始まってしまった。
 ヤコブの両親は人狼に喰い殺されたのではないかとまことしやかに囁かれていた。部屋は荒らされてこそいたが何も盗られていなかった。怨恨の線が考えられないにも拘らず、あまりにも惨いやり方で殺されていた。そして、遺体の一部が欠損していた。これらの事を説明するには、存在を証明する事もできない伝説の生き物の所為にするほかなかったからだ。
 ゲルトが噂話を一蹴したのは単に彼が湿っぽい話が嫌いな楽天家だからというだけではない。両親を失ったヤコブが伯父に引き取られてこの村に来た経緯の全てを知っているからこその行動だった。
 帰ってから大分経った気はするが体は一向に暖まらなかった。時計の針は十一時を過ぎていたがどうもそわそわして落ち着かない。そういえば鶏小屋は大丈夫だろうか。前の雨の時に応急処置をしただけだからまた雨漏りしているかもしれない。そう思い立ったヤコブは徐にカンテラをつかむと足早に出て行った。
「なんだ。まだ起きてたのか」
 家から出るなり聞きなれた声がした。声のした方にはヤコブと同じように傘とカンテラを持ったトーマスの姿があった。
「鶏舎の雨漏りが気になってさ」
 そう言ってヤコブは畑の奥にある鶏舎を見やった。つられてトーマスも鶏舎に視線を向ける。雨の所為で見え難くなってはいるが小さな鶏舎の影がぼんやりと見えた。
「そうか。だが日が変わる前には必ず家に帰れよ」
「ああ。……何でだ?」
 ヤコブは別れを言いかけたが、トーマスの言い方が妙に引っかかって問い返した。
「雨音が消してしまうのは人の気配だけじゃない」
 心臓が大きく跳ねた。じゃあ他に何があるんだ。そうトーマスに問いたかったが言葉が上手く出なかった。
「なあヤコブ。何故雨が降るか知ってるか」
 謎めいた問いを返されてヤコブは怪訝な表情でトーマスを見た。
「神様のお慈悲だろう。雨が降らなきゃ飲み水にも困るし。作物も育たない」
 お慈悲が行き過ぎて困る事もあるが。などと苦笑いしながら農夫として当然の答えを返した。
「昼の雨はな。だが夜の雨は違う。人間を外に出さない為だ」
 至って真面目に語るトーマスの姿がどこか無気味に感じられた。そんなヤコブの不安など知るよしもないトーマスは言葉を続けた。
「夜が来るのもある意味同じ事が言えるんだが、夜に雨となると更に外に出なくなるだろう。やることも無いし、雨が降ってる分体も冷えて馬鹿らしい」
「そりゃあ出たくないし、出ないだろうよ。だけど何故なんだ?外に出ちゃいけないってのか?」
 不安の所為もあって募る苛立ちがつい言葉を強くする。
「魔物が動く時だからな」
 何気ないトーマスの一言がヤコブの周りに流れる時間を止めた。
「奴らは姿が見えない分、足音が消えるだけの盗人より性質が悪い」
 トーマスは懐を探り懐中時計を取り出して見た。
「あと三十分だ。いいか、十二時までには家に帰れ。戸締りをしてそれから後も外には出るな」
 そう言い残してトーマスは森の中に消えた。

 トーマスは何も知らないのだ。鶏舎の屋根に再び応急処置を施しながらヤコブはそう思っていた。トーマスの忠告では魔物は家の中にまで侵入しないとされているようだった。だが両親は家の中で殺されたのだ。そんな事を考えながらヤコブは半ば意地になってあまり意味の無い修理を続けた。
 暫くして修復は終わった。ポタポタと水滴が滴る程度だったので予想よりは早く済んだ。それでも日は跨いでしまっただろう。近場の空き箱に腰を下ろして懐中時計を見ると十二時を十分過ぎていた。
「ほらな。何も無い」
 苦笑して独り言を言った途端不安になって周囲を見回したが、何の変化も見られなかった。鶏達は皆大人しく眠っている。
 今から家まで戻るのも面倒になったヤコブは鶏舎脇の倉庫にしまっておいた古い毛布を引っ張り出した。鶏舎の片隅で蹲って頭から毛布に包まると、さして時も置かずに意識が暗転していった。


 嫌な夢を見た。宿屋で思い出していた所為かトーマスの話の所為かは知らないが、両親が殺されたあの日の夢だった。幼いヤコブは咽るような臭いの中で悲鳴の一つもあげる事ができないでいた。本当ならそこには既に沢山の村人が集まっていた筈なのだが、代わりに何やら大きな黒い影が目の前に居た。両親の遺体の傍に蹲っていたそれはヤコブに気が付き振り返る。真っ黒な塊の中に赤い双眸が光り、大きな口からは真っ赤な液体を滴らせていた。逃げなければ。そう思っていても体は言う事をきかなかった。まるで金縛りにあったかのようにそれでも悲鳴すら出なかった。黒い化け物がゆっくりと自分に近付いてくる。大きな口が一杯に開かれて、あわや、という所で目が覚めた。
 天井をぐるりと見渡して鶏舎である事を確認し、ヤコブはふーっと大きなため息をついた。冷や汗で全身が気持ち悪いくらいに濡れている。相変わらず雨音が聞こえ、あたりも暗い。懐中時計を見るとまだ夜中の三時だった。寝なおそうにも気分が悪く、せめてびしょびしょになったシャツを脱ごうとボタンに手をかけた。
 白いシャツが赤く汚れた。鮮やかな赤い色が、冷や汗を吸った白いシャツの上にじわりと滲んだ。驚いて手を見ると手にはべったりと赤い液体がついていた。
「っ……!」
 ヤコブは息を飲んであとずさった。視線が地面に落ちた所為で手をついていた位置に水溜りができている事に気が付いた。暗くてよく見えないが、その水溜りの色が恐らく赤であろう事は容易に想像できた。恐る恐る自分の体を確認してみるが外傷などもなく傷みも無い。そうなると考えられるのは――改めて周囲を確認してヤコブは自分の予想が正しかった事を知る。鶏は、一羽残らず食い殺されていた。
 人間がこんな事をするはずがない。さりとて野生の狼がわざわざ人里まで出てきて鶏舎を襲撃するなどという話も聞かない。第一、この村の森には狼の群れは無いとトーマスが言っていた。そうなると考えられるのは、両親を殺した犯人ではないかと噂されていた、人狼――。
 あの日と同じで人狼は毛布に包まっていたヤコブに気がつかなかったのだろう。一瞬だけホッと胸を撫で下ろしたが、今はまだ夜だ。あの日とは違う。鶏舎の中には何の気配も無いが何時人狼が気まぐれで戻って来るとも限らない。ヤコブはカンテラも持たずに鶏舎から出ると家に向かって駆け出した。

「だから雨の日は用心しろと言ったのに」
 突然後ろから声が聞こえ、ヤコブはぎょっとして振り返る。雨に濡れながら佇んでいたのはディーターだった。宿屋で見せたのと同じ苦笑いを浮かべているが、その瞳は血のように、赤い。
「おっ……おまっ……」
 口だけは魚のようにぱくぱく動くが肝心の言葉が声にならなかった。ヤコブは一度ごくりと生唾を飲み下して改めて口を開いた。
「お前が……父さんや、母さんを……?!」
「父さん?」
 言葉を準えてディーターは怪訝そうにヤコブを見た。やがて何かに気が付くと憐れみにも似た表情を浮かべた。
「気の毒にな」
 他人事のような言葉を受けてヤコブは思わず頭に血が上った。
「お、お前が……!父さんや母さんを食い殺しさえしなければっ!俺は……俺は……!!」
 ヤコブはディーターの言葉を待たずに逃げ出した。家は目と鼻の先だが今更家に逃げ込んだ所で袋の鼠になるのが関の山だ。ならばどこを頼ればいいだろう?鶏舎でヤコブの存在に気がつかなかったあたりからして、さして鼻は利かないようだが矢張り屋外は危険だ。とはいえこんな時間に開いているような場所と言えば教会くらいだろうか。そこまで思いつくとヤコブは振り返りもせず一心に教会を目指した。

 幸いにして礼拝堂の扉は開いていた。礼拝堂に飛び込んだヤコブはすぐさま扉に鍵をかけてその場に座り込んだ。鶏舎には入り込む隙間が幾らでもある。昔両親と暮らしていた家も田舎だからという理由で何時も裏口は開けていた。人狼とて生き物だ。しっかりと戸締りさえしておけば入ることはできないだろうし、トーマスも戸締りがどうのと言っていた気がする。
「おや……ヤコブさん?」
 声に驚いて顔を上げると寝巻き姿のジムゾンがカンテラ片手に祭壇脇の扉から中に入ってきていた。その瞳は何時もどおり、青い。
「鍵だ!ジムゾン、鍵かけてくれ!」
 瞳の色に安堵したのも束の間、ヤコブは焦って叫んだ。ジムゾンはわけがわからないと言った様子だったが大人しく扉に鍵をかけた。
「どうされました?こんな夜中に」
「人狼が出たんだよ!」
「人狼?あの、今噂されてる?」
 さすがにジムゾンも訝しげな表情を浮かべた。
「ああ!さっき俺の鶏が全部食われて……ディーター!そうだ、ディーターだ!あいつが人狼なんだ!あいつが鶏を残らず」
「お、落ち着いて下さい、ヤコブさん」
 ヤコブの目の前まで来たジムゾンはヤコブと同じ目線になるようしゃがんだ。
「鶏が食われたと仰いましたが、人狼とは人間を食べるものではないのですか?」
「じゃああれだけの数の鶏が、たった数時間で全滅していた事はどう説明すりゃいいんだ!それに、ディーターのあの目は!」
「目?」
「ああ、真っ赤だった!まるで血みたいに!」
 ジムゾンが口を開きかけた瞬間、背後でドスンと鈍い衝撃音がした。
「おーい、ジムゾーン」
 後方の祭壇脇の扉ごしにディーターの声が聞こえた。次いで荒々しく扉を叩く音が礼拝堂に響き渡る。返事をしかけたジムゾンをヤコブは反射的に引き止め、口を塞いだ。カンテラの火も消して参列席の下に隠した。恐怖で自然と荒くなる息を抑えようとしても体の震えは止まらない。心臓の鼓動も、扉を叩く音と同じに大音響で響いているのではないかと錯覚すらしてしまう。
「なに鍵かけてんだよ。寒くて凍えちまう」
 おとぎ話に出てくる狼の猫なで声とは、きっとこんな声なのだろう。普段ディーターの口からは聞いた事も無いような声音だ。憐れみを乞うような声が繰り返される中でジムゾンは訝しげにヤコブを見ている。ディーターが狼だなんて信じられない。そう言っているようだった。
「中に居るのは解ってんだ」
 扉を叩く音が止んだ。と同時にディーターの声が凄むようなそれに変わる。
「早く開けねえと扉ぶち破るぞ」
 扉がミシミシと嫌な音をたてはじめた。さすがにここまで来るとジムゾンも尋常ではない事に気付いたようで、ヤコブの腕の中でもがき始めた。そうしている間にも扉は徐々に変形し始めている。破られてしまうのも時間の問題だろう。何処か他に隠れる場所は無いか。ヤコブはジムゾンの口を塞いだまま辺りを見回した。

 不意に音が止んだ。耳を澄ましてみるが幾ら経っても何の物音もしないしディーターの声もしなかった。諦めて帰った、とは考え難い。しかし何を企んでいるのだろう?ヤコブはジムゾンに大人しく待てと指示し、身を屈めたまま慎重に扉に向かって歩き始めた。何時来てもいいように参列席の影に隠れながら。丁度中ごろまで進んだ所でギイッと何かが軋む音がし、急に雨の音が激しくなった。
「誰の目が赤いって?」
 背後から聞こえたのは紛れも無くディーターの声だった。これ以上無いくらいに目を見開いたままゆっくり振り返ると、ずぶ濡れになったディーターの姿があった。その後ろでジムゾンが礼拝堂正面の扉を閉めている。きっと自分が離れた隙にディーターが扉ごしにジムゾンを言いくるめて騙したのだろう。静かになったのは、自分を祭壇脇の扉に集中させてジムゾンから引き離す為だったのだ――
 漸く気がついたヤコブは臍をかんだ。
「ヤコブさん。ほら、赤くなんてありませんよ」
 ジムゾンは時折ディーターを気遣いながら心配そうな視線を投げてきた。ディーターの瞳は元の緑色になっており、こちらに襲い掛かってくるような様子も無かった。ジムゾンが居るから襲ってこないのだろうか。何にしてもディーターの瞳が赤く染まっていた事は見間違いでも何でもなかったのだ。
「人が親切に来てやればこれだ」
 水をたっぷりと含んでしまった上着を脱ぎながらディーターが呆れたように呟いた。
「お前の両親の事は知らないし、鶏舎を襲ったのも俺じゃねえ」
「おっ……お前じゃなきゃ、誰がやったって言うんだ!」
 二つの件は否定しつつも半ば自分が人狼である事の自白のようにも思えるディーターの言葉にヤコブは語気も荒く反論する。ディーターは答えず溜息を一つついた。濡れた上着を受け取ったジムゾンは再びヤコブを見た。表情は何故か、鶏舎の前で会った時のディーターと同じ憐憫に染まっている。
「まだ、お気づきではないのですか?」
 そう言ってジムゾンは小さな鏡を差し出した。ヤコブが一連の出来事で混乱し、受け取れないのを察したジムゾンは受け渡すのを諦めてヤコブの前に掲げた。ヤコブの目の前に自分の姿が現れた。今何が起こっているのか解らないという表情で自分を見つめている。その見開いた目の色は、赤かった。


「覚醒しなけりゃいいと思っていたんだがな」
 参列者席に座ったディーターはふーっと大きな溜息をついた。
「だから忠告だってした。トーマスからも聞いていた筈だ」
「雨の日の夜は特に危険なのです。幽世との境が曖昧になりますから」
 ディーターの傍らに佇んでいるジムゾンが言い難そうに呟いた。
「願わくば。あなたが本能を忘れたまま普通の人間として生をまっとうできん事をと、思っていたのですが」
 ジムゾンは沈痛な面持ちで俯いた。
 ヤコブは二人の脇をすり抜けて表に出た。冷たく激しい雨が容赦無く体を打ちつけた。
 雨の降る夜だった。何時まで経っても両親が離れの寝室に来ないので、不安になって外に出た。あの日の夜も今日のように冷たく、激しい雨だった。雨になるべく濡れないようにと家に向かって駆けて。それなのに気がついた時には離れの自分の寝台に居た。だから夢だと思っていた。黒い獣になった自分が、一瞬で両親を食い殺してしまったのも。

 シャツについた鶏の血はじわじわと流れ落ちていった。自分から流れ落ちる雨が赤い。このまま全て、あの日のように洗い流してくれればどんなに良いだろう。それでもシャツの色が完全に消える事は無く、自分の瞳の色も戻る事は無い。
 雨が赤い。日常を崩壊させた忌まわしい赤はもう二度と消えないだろう。この命が尽きてしまう日まで。自然と両手は凶器に変わり、自分の目を狙っていた。
「いけません!」
 悲鳴のような叫び声が聞こえて体の自由がきかなくなった。礼拝堂から飛び出してきたジムゾンがヤコブを後ろから抱きとめていた。狂人――少なくとも人間には違い無いジムゾンの体温が背中から伝わってきた。温かさはまだ、感じる事ができるのか。呆然と天上を仰いだままヤコブはそんな事を思っていた。
 不意に顔が歪み、雨が熱を帯びた。熱い雨は止め処なく頬を伝い落ち、次第に熱を失っていった。




≪あとがき≫
二次創作コミュのお題「雨」に沿って打ち込んでみました。「雨降って地固まる説」とか「あらしのよるに、風」とか色々あーだこーだと考えて結構悩みました。
皆様も雨の日はお気をつけて。台風の日に強盗、とかもあるらしいので気が気じゃありませんね。
あと、今回は珍しく作文のルールに従ってみました。
あまりにもディーターとジムゾンが多い!という事でヤコブを選んだ次第だったのですが、結局ディーターもジムゾンもでばってしまいました。

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