【人狼の宴・第二話】

一夜明けて、村には爽やかな秋晴れの空が広がった。役場が休みという事もあってヴァルターは村の中をぶらぶら散策していた。昨日の論戦はゲルトが笑い飛ばしたように実にしょうもない事だったように思うが、童心に帰ったようで思い返すと楽しくもあった。ヴァルターが思わず笑みを漏らしていると、誰かの話し声が聞こえてきた。見れば、こちらへ向かって歩いてくる見慣れない青年とカタリナの姿があった。
「こんにちはぁ、村長さん。今から買い物?」
ヴァルターに気付いたカタリナが立ち止まって大きく手を振る。カタリナは村唯一のパン屋であるオットーの従姉妹にあたる。ハンブルクの出身で都会生まれの都会育ち。ハンブルク工科大学の院を出た才女なのだが、突如として村に引っ越してきた。なんでも牧羊に興味を持ったらしく村で数十頭の羊を飼って暮らしている。しかし如何に興味を持ったからと言って牧羊が重労働である事実は変わらず、時折牧場でヤコブが手伝いにかり出されている姿も見られた。
「いや。単に散歩してるだけさ。」
と、ヴァルターは否定したが、ついでにこの先にあるオットーのパン屋で買い物でもして帰ろうと思っていた。さて肉はあったかなと思った所で、改めてカタリナの横に居る青年に目が行った。金色の髪を肩辺りまでのばしており、服装などからしても実に都会的な青年だ。
「ところでそちらの青年は?」
「ニコラスよ。休暇でここへ旅行に来てるんだって。」
カタリナが紹介し、ニコラスは微笑んでヴァルターに握手を求める。
「ニコラス・アッシェンバッハです。シュトゥットガルト州立図書館で司書をしています。」
「ようこそ。私はヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ。」
「えっ!」
「偶々名字が同じでね。名は父が冗談半分につけたんだ。先祖でも何でもないよ。」
目を丸くしているニコラスを見てヴァルターは苦笑いした。 ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ、とは歌劇タンホイザーにも登場する中世の吟遊詩人だ。父がノリでヴァルターと名づけたというのは本当で、小さい頃から音楽学校に進めといわれてヴァイオリンを習わせられたりもした。

「近々人狼が現れるのだとかお伺いしました。」
ニコラスは複雑な笑みを浮かべた。驚いたヴァルターを見てカタリナが口を挟む。
「あれ?村長さん、ヒューグラーさんから聞いてないの?」
ヒューグラーとはトーマスの姓だ。様子からすると、カタリナはどうもトーマスの話を信じているようだった。そしてこの分ではトーマスの蒔いた噂が村中に拡散している事はほぼ間違い無いだろう。
「昨日聞いた。馬鹿馬鹿しい噂だ。カタリナ、そんな妙な噂はお客人に話すものじゃない。」
「あたしじゃないわ。ニコラスは宿の女将さんから聞いたのよね。」
カタリナの問いかけにニコラスはこくりと頷く。まさかレジーナまであんな珍妙な話を信じているのか。そう思うとヴァルターはまた微妙な疎外感に苛まれた。
「写真も拝見しましたが…私には未だ信じられません。」
苦笑いするニコラスを見てヴァルターは心底ホッとした。しかし次の瞬間ニコラスは顔から笑みを消した。
「ですが撮影場所だというローテンブルクの地名を聞いて、ふと不安な事は思い出しました。5月に判決が下った事件で――。」
「ああ。」
ヴァルターは思わず遮るように相槌を打った。今から4年前の今頃発覚した事件だったろうか。被害者の同意の元で殺害し、尚且つその肉を食ったという事件で思い出すのも気味が悪かった。
「もしそういう嗜好の犯罪者を比喩として人狼と呼んでいるとするのなら…。ありえない話では無いと。」
ヴァルターの口から反論の言葉は出なかった。と同時に、ヴァルターは薄ら寒い物が背中を伝い落ちていくのが解った。木々のざわめきがいやに大きく聞こえる事に気が付いたニコラスは慌てて言葉を添えた。
「図書館で時々子ども達におとぎ話の事を聞かれるんです。それでこんな話を考えるようになってしまって…。ヒューグラーさんの仰っていたという事やお写真はあくまでも“目撃談”ですから、この仮説とは無関係だと思います。」


「ふぁ〜あ……。眠いな……寝てていい?」
「だめデース。」
酔いつぶれてテーブルに伏すゲルトの頭をジムゾンが軽く叩いた。あれから数日後の夜、宿屋は宴会場と化していた。ペーターとリーザが村に戻った祝いという名目でだ。
ヴァルターを除く役場の職員が全て州からの出向である為不在で、完全なフルメンバーとは言い難いが村人全員が一堂に会するのも随分と久々の出来事だった。
「私の時は歓迎会なんて無かったぞ。」
誰に言うでもなく呟いたヴァルターの不貞腐れた言葉が隣のレジーナの耳に届く。
「歓迎会なんてして欲しかったのかい。アハハ、子どもじゃないんだから。」
レジーナは苦笑し、ヴァルターはふんとそっぽ向いた。
「お、おばさん。ちょっと僕横んなりたいんだけど…。」
不意に弱弱しい声が聞こえてヴァルターとレジーナが目を向けると、ペーターが青い顔をしてこちらを見ていた。どうも格好からするに、腹の具合が悪いようだった。
「腹痛いのかい?」
レジーナの質問にペーターは頷くだけ。レジーナは呆れたようにため息ついて両手を腰に当てた。
「一気にしこたま詰め込むからだよ。今日はお客さん居ないから、好きな客室で寝てな。」
「私も一緒に行こう。」
ヤコブの姿は見当たらず、ヴァルターがペーターに付き添った。
「お客…。ニコラスさんが…居るのにさ。」
額に脂汗をかきながらペーターが苦笑する。クリスマス市が始まって観光客は一気に町に流れた。その事と酒の力も相俟ってレジーナはニコラスの存在を忘れてしまっているのだろう。今日の宴会にも居るというのに、相変わらずそそっかしい。それでもその一室以外は全て空いている。空き部屋はすぐに見付かり、ペーターはベッドに倒れ付した。
「薬か何か持って来ようか。」
ヴァルターの問いかけにペーターは小さくいらないと呟いた。お節介でも一応ヨアヒムに聞いてみよう。そう思いつつヴァルターが部屋から出ると二・三離れた部屋からディーターが出てくるのが見えた。ディーターはこちらに気付く事も無く背を向けて階下に下り、ヴァルターもその後を追う形で階段を下りた。

一階へ戻ると先程までの騒がしさは幾分か和らぎ、そろそろお開きといった雰囲気になっていた。ヴァルターはヨアヒムを探したが見付からない。もう帰ったろうかと思った瞬間、先程は見当たらなかったヤコブの声が聞こえた。
「迷惑かけてごめん。レジーナ。」
「いいんだよ。どうせ暫くはウチも暇だしねえ。」
「あ、村長。」
ヤコブがヴァルターに気付き声をかける。
「有難う。ペーターを運んでくれたって、今聞いて。」
「その事でな。ヨアヒムを探してるんだが。」
「大丈夫だよ。あいつ村に着くまでずっと飯食ってなかったって言っててね。それで急にがつがつしたもんだから胃がびっくりしてるんだと思う。」
「しかしかなり悪そうだったぞ。一度診て貰った方が――。」

刹那、凄まじい悲鳴が宿中に響いた。一瞬の緊張の後、一階は蜂の巣を突付いたかのような状況になった。声はパメラのものだったろうか。聞こえたのは上の階からだった。事態の確認は階段を駆け上がっていったアルビンやオットーにひとまず任せ、ヴァルターはそれに続こうと階段に詰め掛けるカタリナらを押し止めた。
おおかたネズミでも見たんじゃないか。心の片隅にあったそんな思いは更に聞こえたオットーの叫び声でかき消された。
「…何?」
リーザが青ざめた表情で階段の上を凝視する。しかし何時まで経っても二人とパメラが下りてくる気配は無い。
「レジーナ、すまんがここを頼む。」
逸る気持ちを抑えきれず、ヴァルターは一気に階段を駆け上がった。解っているのは階上というだけで何階なのかは判らない。二階に辿り着いて三階へ伸びる階段の一段に足をかけかかったヴァルターの視界を何かがかすめる。体勢を戻して二階の廊下を覗くと廊下にへたりこんでいるオットーの姿が見えた。位置的に、先程ディーターが姿を現した部屋の前になるだろうか。
足早に歩み寄るヴァルターに気付いてもオットーは何も言わない。冷や汗を流しながらヴァルターの姿を目で追うばかりだった。
やがてヴァルターは扉が開け放たれた一室の前に辿り着き、そして言葉を失った。
先ず一番奥に見える窓ガラスが赤いペンキで汚れていた。次に目線を下にやると、床も同じように赤く汚れていた。仄かな白熱灯の明かりだけでもよく判る鮮やかな赤だった。そして最もひどい部分には何かが転がり、すぐ脇の床にへたり込むパメラと、それを支えるアルビンの姿もあった。
「……なんなんだ。これは。」
誰かが大人気ない悪戯でもして赤ペンキをぶちまけた。廊下にまで漂っていたこの異臭さえなければ、ヴァルターもそう思えていただろう。部屋に転がる物体と赤ペンキの正体をわかっていてもなお、ヴァルターは問わずにはおられなかった。
「ゲルトだ。」
全く怯えた様子も無くアルビンがぽつりと呟いた。


宿は一転して重苦しい空気に包まれた。酒等は全て片付けられ、眠っているペーターを除く全員が黙って席についた。あの後すぐさま警察への連絡を試みたが、電話は不通。携帯電話は全て圏外。インターネットの接続もできなくなっていた。町へ通じる道は大量の土砂で埋まり、車での移動もできない状態だ。この村のある山を下りた先にはモーゼルに面した大きな村・コッヘムがあるにはあるが、町への道を通らなければ車では下りられない。
「ケーブルも電話線も切られてた。携帯なんかは妨害電波の可能性もあるな。」
様子を見に行ってきたアルビンは淡々と報告を終えた。
「…仕方ない。夜が明けるのを待って、コッヘムまで歩いて下りよう。」
「いけません。」
厳しい顔でヴァルターの提案に反対したのはジムゾンだった。コッヘム村はすぐ眼下に見えるが、山の傾斜はかなりの急勾配だ。もし間違って転げ落ちれば軽傷では済まないだろう。
「大丈夫さ。若い頃何度か獣道から下りて行った事がある。時間はかかるがね。」
「いいえ。たとえ仮に通信機能が復旧しても、交通手段があったとしても。報告は禁じます。」
ジムゾンの言葉は全く予想もしなかった物だった。全員が耳を疑い、ジムゾンを見た。
「この中に居る“人狼”を処刑しおえるまでは。」

「…待ってくれ神父。そりゃ俺は人狼っぽい何かを写真に収めはしたよ?だが、確認したわけでもないし、そもそも何でゲルト殺しが人狼の仕業だって言うんだ?」
皆が呆気に取られる中でアルビンだけが冷静に問いを投げかける。
「人狼などという化け物は居ません。」
「はあ?」
「“人狼”とはある種の恐ろしいウィルスに感染した人間。人を殺す事を躊躇わず、さらにはそれを食する事で己の魂が昇華されると信じている、サイコパスの一種です。」
ジムゾンは静かに立ち上がり、上座に向かってゆっくりと歩み始める。
「古代には“狼憑き”などとも呼ばれていました。研究に研究を重ねた結果、それがウィルスによるものである事が判明しました。ですが治癒法は無く、処刑するより他ありません。」
「待ちたまえ。一体、何を根拠にそんな事を。」
ヴァルターが立ち上がって振り返ると、ジムゾンはヴァルターを素通りして何かを机上に置いた。それは、職員証と思しき物としっかりした紙で作られた書状だった。いずれも見覚えのある青地に白い星のマークが印刷されている。
「今まで隠していてごめんなさい。私は確かに神父ですが、NATO軍に所属する諜報員でもあるのです。古代よりこの地方に害をなしてきた人狼――それを殲滅する為に長らく潜伏していました。…任務を遂行する機会など、無ければ良いと思ってましたが。」

突然の突拍子も無い話に皆が唖然としている間にも、ジムゾンは淡々と話を続けた。
「諜報員は専門のカウンセラーによって人間である事を認められている者の事。この書状がその証明です。」
そう言ってジムゾンは書状を机の中央まで滑らせた。
「ですがこういう説明をしても一人では信憑性に欠けるという事で、諜報員は必ず二人一組でブロックごとに潜伏しています。……勿論、私の仲間がこの中にいます。が、今はその身の安全の為に誰であるかは明かしません。」
ジムゾンの話を聞きつつヴァルターは改めて書状を覗き込んでみた。一見おかしな所は何も無い。コピーなどでは無さそうだし、仮に偽造だとしたならかなり高度な技術が必要だろうと思えた。
「それで、これからどうすると言うのかね?」
皆の視線が退いたのを見てヴァルターは書状を手に取った。
「はい。投票によって希望を募り、おとぎ話と同じように、毎晩一人ずつ処刑してゆきます。決定権はこの私に。皆さんは私の指示に従って頂きます。」
あまりにも無感動なジムゾンの言葉に、ヴァルターは思わず目を見開いて顔を上げる。
「君は自分が何を言ってるのか解ってるのか?!何の権利があって人を殺められるというんだ!」
「人狼の殲滅の為。民衆を危険から守る為です。」
「無実の人を処刑しないと確実に言えるか?もしそうなれば本末転倒だぞ!」
「多少の犠牲は仕方がありません。戦争もそんなものでしょう。」
ジムゾンは表情を変える事すらなくさらりと言ってのけた。昨日までは安らぐように思えた柔らかい微笑が、これほどまでに狂気じみて感じられた事は無かった。ヴァルターは言葉を失ってどっかと腰を下ろし、大きな溜息と共に頭を抱えた。と、同時に言いようの無い憤りが心の底から溢れてきた。
「解った。君のいうとんちんかんなウィルスが存在し、NATOに対策部署あったと仮定する。だがね、何故そういう重大な事が周知されない?隠す事の意味は何だね?」
ヴァルターは半ば睨むようにジムゾンを見るが、とうのジムゾンは全く動揺する様子も無かった。
「誰にも益が無いからです。そして、この国の為でもあります。……何故なら人狼の発祥の地がこの国であり、誕生を招いたのが我らローマ教会だからです。」

再び沈黙が訪れた。ジムゾンは書状と職員証を回収するとまた自分の席へと戻った。そして人狼が創られた事情と、その経緯を語った。教会の力を誇示する為に作り出された物であることも。
「あの戦争が終わって随分と時は流れました。国は東西に分かたれ、そしてまた統合し。それでもまだ、この国へ向けられた冷ややかな視線は消えず、過去の罪もまた認識の上で消えてはいません。この上、そんな物を世界に拡散させた要因が作られたとなればドイツは更に孤立し、迫害される危険性さえあります。
勿論それはこの国だけの事情。NATOにとってみればそれこそ“ドイツを抑え込む”いい機会です。問題はローマ教会が切欠を作ってしまったという事実。
教会の暗部も曝け出されている今日、些細な事であれば流す事もできます。ですが、布教の段階でそのような事があったとなればバチカンの存在を根底から覆す事態になりかねません。そして仮にバチカンが、ローマ教会が崩壊するような事になれば。世界の均衡は確実に崩れます。
元々はおとぎ話のようにこの国の中だけで密かに処理されてきた事でした。しかし時が経ってその歴史が明らかになり、人狼が世界に拡散してしまった事がわかりました。
ドイツは自国を守る為に。NATOは世界情勢をこれ以上不安定にさせない為に。それぞれの思惑の元に創設されたのが、人狼の殲滅機関というわけです。
もしお望みであればその研究資料もお見せします。当然一切の複写を禁じ、人狼が殲滅された暁には暫くの間監視がつく事になりますが。」

「……たとえばの話じゃが。お前さんたち諜報員が殺されるという事は無いかな?」
問い掛けたのはモーリッツだった。ジムゾンは促すように視線を向けた。
「わしらにはとてもじゃないがイチかバチかで処刑するようなマネはできん。人狼のウィルスだとかなんとかは正直どうでもいい。ここでお前さんとその仲間を秘密裏に葬り、ゲルトの件を単一の殺人事件として警察に委ねる。……そういう選択肢もあるがのう?」
モーリッツは意味ありげに全員を見回した。それは恐ろしい提案だった。しかし、ジムゾンの言う事を全面的に信頼できるわけでもない。親しい誰かを闇雲に処刑するよりはその方法が一番良いのではないか。そんな思いが一瞬、全員の頭をよぎった。
「そういう事も何件か報告されています。」
ジムゾンはにっこり笑った。余裕から来る物かそれとも恐怖の裏返しか。ヴァルターの目にはどちらでもないように思われ、ジムゾンが発した次の言葉に戦慄を覚えるのだった。
「二人一組で行動するのはその対策も兼ねています。私が殺されれば仲間が機関へ報告します。そして私は仲間の名前を死んでも明かさないでしょう。その為の訓練も受けています。
また、仮に二人とも殺されたとしても災禍の後には極秘の調査が入ります。諜報員が不可解な死を遂げていた場合、その区域の関係者の全てが人狼共々永遠に沈黙する事となります。
不幸な事故に遭うか、突然の病によって。」

「…嘘よ!そんなのただの脅しでしょう?あなたこそ、その人狼なのではなくて?!」
立ち上がって叫んだのはパメラだった。青ざめた顔でジムゾンを指した指先はわなわなと震えていた。
「そうだわ。自分が犯人だと解るのが恐ろしくてそんな突拍子も無い嘘をつき、あわよくば証拠隠滅のために皆殺しにしようというのでしょう?」
「落ち着いて下さい、ケーラー夫人。あなたの仰る事の方が突拍子も無いお話ですよ。」
ジムゾンはパメラに憐れむような視線を投げかけて目を閉じた。
「信じるも信じないも皆さんの自由です。私はただのNATOの、いいえ神の駒。人狼殲滅の礎となるのなら喜んでこの身を捧げましょう。」
すんなり聞けばよくある自己犠牲の宣言に過ぎない。しかし、ジムゾンの言う言葉は別の意味をも内包する。
――若し全員が協力的で無いのであれば、ここで自殺して村ごと滅する――
そう、脅しているのだ。
薄っすらと開いたジムゾンの瞳は微かに笑みの形に歪み、穏やかだった青の瞳は挑発するかのような妖しさをたたえていた。まるで、夜毎人を誘い惑わす夢魔のように。
「選んで下さい。罪を背負ってでも村を救うか、己可愛さに村を滅ぼすのかを。」


「俺はジムゾンを信じる。」
トーマスがぽつりと呟いた。皆は驚いてトーマスを見つめ、ジムゾンさえも驚きを隠せないでいた。
「通信機能は破壊され、ゲルト以外には一人の欠員も無い。ゲルト殺しの犯人が皆殺しも目論んでいる事は明らかだ。
ゲルトがあんなにも無惨に殺されていたのに、誰一人として気付かなかった。それだけの技量のある犯人なら、ここで変な話をでっちあげて名乗り出るより、闇に紛れて殺して行く方が余程効率がいい。人の疑い合いが見たいとかいうイカれた奴であったとしても、放っておけば自然と殺し合いにはなるんじゃないか?」
トーマスの問いかけに反論する者は居なかった。つい先ほど、我が身可愛さにジムゾンを殺す事を全員が僅かでも思ったのだ。もしこの調子で人が次々に殺されていったなら……処刑などという方法を提示されるまでもなく、逃げ回り、誰も彼もを疑い、そして何らかの手段で殺し合うだろう。
「ジムゾンの言う事がおかしいとは思わない。むしろ一番いい方法だとすら思える。」
「正気かトーマス?!私には絶対に人を殺める事などできん!たとえ自分が殺されそうになってもだ!お前は…我が身可愛さでそんなに簡単に狂気に染まれるというのか?!」
ヴァルターは悲痛な声をあげたが、トーマスは複雑な面持ちでヴァルターを見るだけだった。
「我が身可愛さだけじゃない。」
トーマスの代わりに口を開いたのはオットーだった。
「自分が殺されるかもしれないという事だけが問題なら、無抵抗に殺される道を選ぶというのも理解できる。僕だってできる事なら殺しなんてしたくない。どんなに憎い人間でも、殺したら悲しむ人が居るから。だけど、僕の家族が。大事な人が殺されそうになっている時に、“何もしません。はい殺してください。”なんてマネは僕にはできない。…もうこれ以上、家族を失いたくないもの。
もしこう思う事が狂ってる事になるのなら、僕は狂ってても一向に構わない。」
オットーは早くに両親を亡くし、独り立ちできるまでカタリナの実家である親戚の家に引き取られていた過去がある。静かに語るオットーにヴァルターは何も言い返す事が出来なかった。
「俺はジムゾンに従う。皆はどうだ?」
トーマスの問いに賛同する者はいないが、声高に反論する者もまたいなかった。
「日ごととかの制約が無くて…本当に怪しいと思える人が居るのなら…。」
ぼそぼそと呟いたのはリーザだった。
「確認じゃが。処刑を間違えても責任は全てお前さんが取るんじゃな?ジムゾン。」
「ええ。後々の処理は全てこちらで行います。何の心配も要りません。」
モーリッツの問いに頷いたジムゾンの顔からは笑みが消えていた。ジムゾンは先に、決定権は自分にあると明言した。それは同時に責任の全てを負うという意味でもある。
「私は当面神父さんに従うよ。先ずはゲルトについて皆で考えよう。もしとんでもない決定が下れば、その時また考え直せばいいと思うんだ。どうかな。」
ヨアヒムの提案には小さいながら賛同の声が多々聞かれた。
「ご協力感謝します。」
ジムゾンは何時ものように微笑んだ。僅かに引きつった唇は、先程の挑発的な態度が演技であった事を物語っていた。ジムゾンとて好き好んで処刑など提案してるわけではないのだろう。ほんの少し救われた心持になりながらも、ヴァルターは未だ心から賛同できないでいた。


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