【人狼の宴・第四話】
部屋は赤く汚れていた。酷い臭いだった。微かな安堵感をも嘲笑うかのように、新たな犠牲者が床に横たわっていた。自然と集まった者達はただただ唖然として、悲鳴の一つも聞かれなかった。 「調べられるのがそんなに嫌だったのでしょうか。」 ジムゾンは面白く無さそうに呟いてアルビンの部屋へ入っていった。アルビンの無惨な遺体のすぐ横の床でのびているパメラを、ヤコブとオットーは二人がかりで運び出した。 今日調べられる事になっていたのはヨアヒムだった。そして殺されてしまったアルビンはカウンセラーとして名乗りを上げた一人だった。ヤコブによれば、ヨアヒムは人狼では無いとの事だった。しかしヤコブがカウンセラーを詐称しているのであればその判定は偽りの可能性が高い。今しがたジムゾンが言ったように“調べられると悪い”事情があったので…ヨアヒムが人狼だから真のカウンセラーであるアルビンを殺害したというのが現状で一番すんなり落ち着く所だった。 「ニコラスさん、それにディーター。」 検死を終えて出てきたジムゾンは二人に呼びかける。程なくして、まだゲルトの血が残ったままの担架に布で包まれたアルビンの遺体が乗せられて運び出された。 「それじゃ今から遺体を運んできます。一人では行動しないようにして下さい。」 淡々と言うとジムゾンはディーター達と共に教会へ向かった。 「神父さん、ほんと事務的よねえ。」 苦笑いしつつ呆れた様子でカタリナが呟いた。たしかに笑う所と言えば笑う所だが、一夜のうちに二人の犠牲者が出た後に笑いが出るものだろうか。昨日からの飄々としたカタリナの様子にどことなく違和感を覚えながら、ヴァルターは視線も向けず曖昧に頷いた。 ジムゾン達が戻ってくるまでまだ時間がある。ジムゾンには駄目だとあれだけ言われてはいたが、せめて通信の手段だけは何らかの形で復旧させておきたい。アルビンが殺害されて確実に無実だと呼べる人間が出なくなった今、もしこの先ジムゾンやディーターまでもが殺されてしまえば必ず村は混乱する。そうなれば守秘義務などよりも人命が最優先だ。その時になって慌てなくても良いように、今のうちに役場へ行って悪あがきでも修理できる所まででもやろうとヴァルターは思った。 さて、そうなると困るのが明かりだ。日が出るまでにはまだ大分時間がある。かといって明かりになるような物はライターと携帯電話以外に無く、それらの光程度では殆ど何も見えはしない。レジーナに言えば宿にある懐中電灯なりのありかが解るだろうが、もし反対されたらそこで終わりだ。一人で探すことにしたヴァルターはとりあえず宿の裏手にある物置へ向かった。 「しかしいきなり言われてもな…。」 「仕方ないのよ。あのままだと難しいと思うわ。」 話し声が聞こえてヴァルターは咄嗟に物陰に身を潜めた。そっと覗いてみると、なんと物置の傍にはトーマスとパメラが居た。二人ともなにやら神妙な顔つきで話し込んでいる。 「あなたくらいにしか頼めないの。」 パメラが縋るようにトーマスを見上げ、トーマスは難しい顔で腕組みしたまま考え込んでいる。こんなところでコソコソ話し合っているという事も奇妙だが、なによりおかしいのがパメラの様子だ。夫を殺されたばかりで先程までのびていたというのに全く平然としている。しかも、トーマスに対する口調などからして普段とは違う。 二人がよからぬ関係にあるというのならまだ可愛い(普段なら大変な問題だが)。こんな状況下にこんな所でこそこそと話し合っているとなると、人狼なのではないかという可能性の方が恐ろしい。ジムゾンの話によれば人狼は2ないし3名。ペーターが居ない今、人数的にもしっくり来る。 「解った。なんとかしよう。」 「良かった!こんな時に悪いけど、宜しくね。」 どうやら話が纏まったようで、二人は宿の玄関に向かって別々に歩いて行った。また二人が戻ってこないとも限らない。ヴァルターは急いで物置に向かった。 懐中電灯はあっさり見付かった。非常時に何時でも持ち出せなければいけないのだから、当然と言えば当然だ。そして同じく当然のように役場には誰も居なかった。まだ出勤時間ではない事、そして道が寸断されている事もあるが、実は昨日からクリスマス休暇に入ったのだった。普通なら前夜から翌年までなのだが、取り立てて何も忙しい用事も無いという事もあって職員全員が揃って20日から休暇を取っていた。モーリッツによると毎年恒例の事らしい。出向の職員にとっては纏まった休みも欲しかろうという配慮もあっての事だった。 人狼という奴はそういう事まで計算ずくだったのか。などとヴァルターはまた一人で考えながら制御室に辿り着いた。一見、どこも荒らされた様子は無い。何処が故障しているのか解らないが、とりあえず持ってきた工具やパーツの類を脇に置いて調べて回った。 「どういう事だ…?」 ヴァルターは思わず呟いていた。何処も故障していないのである。線は全て綺麗なままで、接続部分が抜かれた様子すら無い。昨晩は確かに電話もパソコンも繋がらなかった。そこまで思い出してヴァルターははたと気がついた。通信を試みたのは宿屋からだけだった。もし、宿屋の通信だけが妨害されていたとするのなら…。 携帯電話は相変わらず圏外だった。妨害電波が発生しているのならそれは当然だろう。だが役場に備え付けている電話やパソコンなら通信は可能なはずだ。 ヴァルターは懐中電灯を片手に福祉課へ走り、手近なデスクの受話器を取った。耳に当てると、ツーという耳慣れた音が聞こえた。繋がっている。逸る気持ちを抑えながら慎重にボタンを押す。程なく呼び出し音が聞こえ、数回のコールの後に相手が出た。 『もしもし?』 聞きなれた声が聞こえた。適当にアドレスで目に付いた番号を押しただけだったが、どうやら娘のゼルマにかけていたらしい。ヴァルターは妙な安堵感と気恥ずかしさに一人苦笑した。 『父さん?どうしたの?』 電話口の笑い声がヴァルターである事を察してゼルマも半ば笑いながら問いかけてくる。 「いや。つくづく色々と都合よく出来ているなと思ったよ。」 『なにそれ。』 「ええと…。」 ヴァルターは鼻の下に人差し指と親指の腹を押し当てて言葉を探した。特に言いたい事なんて無いが、そのまま切る事もできなかった。そうしているうちに、また勝手に笑みが漏れてしまう。 『あっ。そうだ。今度ね、日曜日。午前中にそっちに行くから。』 唐突に言われてすぐには思い出せず、置いてあった懐中電灯を照らしてカレンダーを探した。日曜日はクリスマスイブだった。 「マティアスはどうする。あまり小さいうちに連れまわすと体に障るだろう。」 『見たくないの?じゃあ連れて行かないけど。』 「い、いや。問題が無いならいいんだ。」 慌てて否定すると電話の向こうで笑い声がした。 『あの人も挨拶だけでもしておきたいっていうし。来年からはちゃんとそっちで過ごすって言ってるのよ。』 「ああ。」 『ところで、何の用だったの?』 何気ない会話も束の間、現実を思い出してヴァルターは返答に窮した。状況の説明はできない。さて、こういう時はどう言えばいいものだろう。明日にも自分が殺されるかもしれないというのに。徹夜ボケなのかまだ現状の把握が完全にできていないのかどうか定かではないが、まったくいい言葉が浮かばなかった。 「かけ間違えた。」 案の定、はあ?という言葉と共に盛大な笑い声が返ってきた。 『じゃあまた日曜日にね。』 「楽しみに待ってるよ。」 お互い別れの挨拶を言って電話が切れた。ヴァルターは受話器を持った腕をだらしなく下ろし、背をデスクにもたせて天井を仰いだ。誰も居ない役場の中で不通を告げる電子音がやけに大きく響いていた。 「こんなところにいらっしゃいましたか。」 突如背後から聞こえた声にヴァルターは驚いて振り返った。非常口の微かな明かりに照らされた通路にジムゾンが佇んでいるのが見えた。ジムゾンは歩み寄りながら言葉を続けた。 「一人で行動しないでと言ったのに。」 「それは悪かった。」 ヴァルターは受話器を置いてジムゾンに向き直る。 「もしもの時の為に通信だけは確保したいと思っての事だ。」 「そうですか。」 ジムゾンはついとヴァルターの横をすり抜けた。そうしてたった今置かれたばかりの電話に指先を這わせた。受話器にはまだヴァルターの手のぬくもりが残っている。 「制御室は無事でしたね。」 「見たのかね。」 「ええ。」 「電気系統の確認に行ったのはアルビンだけだった。」 「彼が嘘をね。」 ジムゾンは唇に手を押し当てて考え込む。 「どのみち君達は通信を遮断するつもりで、それは人狼も知っている。」 「ええ。」 「君もできれば“破壊”までされたくはないな?」 「そうですね。報告ができませんから。」 ヴァルターは何か思いついた様子でジムゾンの真正面に回り込んだ。 「アルビンが真のカウンセラーなら同じ事を思うだろう。“破壊された”事にしてしまえば、何かあった時に何時でも連絡が取れる。そのために嘘を言ったのではないだろうか。」 やや興奮した様子で語るヴァルターをジムゾンはぽかんとした表情で見つめた。 「我々は真相を知らずとも人狼は解っていますよ。“自分達は壊していない”と。そんな嘘をついた所で、有事の際には結局破壊されてしまうでしょう。」 「しかし。」 「それに。」 反論しかけたヴァルターにジムゾンはぐいと顔を近づけた。 「現状では通信機器が破壊されようがされまいが、人狼には何の問題も無いのです。我々諜報員が設備の有無に拘らず外界との通信を遮断してしまうのですから。そしていざとなった時に壊してしまえばいい。 ヴァルター。私はね、知っていたんですよ。」 ジムゾンは生徒に言い聞かせる教師よろしく片手を腰にあて、もう片方の手の人差し指を顔の前に立てて見せた。いきなり呼び捨てにされた事と語調の強さにヴァルターはたじろいだ。 「いけませんか?そうお呼びしては。」 ジムゾンの表情がふっと和らぐ。 「いや。」 ヴァルターは気圧されたまま短く否定の言葉を返した。 「それより、知っていたとは。」 「アルビンさんが嘘をついていた事です。」 ジムゾンは傍にあった椅子を引いてきて腰掛け、ヴァルターもすぐ横にあった椅子を引っ張り出して向かいにかけた。 「昨晩、宿屋には皆指定時刻に集まっていました。」 「そうだな。」 「集合時間は6時です。役場が終わった時間が5時。村長さんは残業だとかで、ギリギリまで役場におられましたね?」 「戸締りして出たのが5時40分くらいだったかな。急いで行ったよ。」 「役場に人が居なくなったのが5時40分。それまでには、ディーター以外の全員が宿には揃っていました。ディーターが通信機器を破壊するわけがありません。そしてその後、時々あなた達の姿が見えなくはなりましたが、役場まで行って破壊して帰ってくるほどの時間はありませんでした。 もし制御室ではなく別の場所が破壊されていたのなら。たとえば、境付近の電線が切られるとか。そういう事であれば解らなかったかもしれません。ですがアルビンさんは制御室だけを見て、破壊されていたと言った。物理的に不可能なのですから、嘘としか言いようがありません。」 ヴァルターはただただ唖然としてジムゾンの話を聞いていた。 「全員の行動を時系列で考えてみれば解る事でした。そういう解り易い嘘を、真のカウンセラーがつくと思いますか?一見するとたしかに真らしくはありますが、対立候補が人狼と意思疎通の手段を持たない狂える人間であった場合には自分が真だと人狼にもバラしているようなもので、何の益にもなりません。 あの嘘の真意は、彼が“自分は狂人だ”と人狼に向けて送ったメッセージだったのですよ。」 ヴァルターは長い溜息をついて椅子の背にもたれた。自分の考えの浅さを思い知るというか、さすが訓練を受けた者との違いを知るというかで感嘆していた。 「何故人狼は狂人を襲ったんだ?」 「続きは宿でお話します。」 ジムゾンは席を立った。ヴァルターもそれにならって腰をあげた。ジムゾンは目で促すと踵を返して開け放しになっている裏口へ向かった。遠目に見える裏口に人の気配は無い。 「君は一人で来たのか。」 ヴァルターが呼びかけるとジムゾンは立ち止まって振り返った。 「私は行動を立証しなくても構いませんから。」 「誰にも言わずに?」 「そうです。もたもたディーターに報告していたらあなたが居なくなってしまうでしょう?あなたが人狼で、怪しい行動をしていたとしたら押さえるいい機会なのに。」 ジムゾンの返事を聞いて今度はヴァルターがふっと笑った。 「君もまだまだだ。」 同様に裏口に向かって歩きつつ、すれ違いざまにジムゾンの首元を片手できつく掴んだ。指は獣の爪を模した形に曲げられて、指先は首筋に食い込んで衣服に僅かな跡形をつけた。さすがのジムゾンも驚いて一瞬身を大きく震わせる。 「私が人狼だったなら今頃君を喰っている。」 肩を竦めて両手を一寸上げて見せたヴァルターの背中を見ながら、ジムゾンはやれやれ、と苦笑いを浮かべた。 宿に戻った時にはもう太陽が昇っていた。ヤコブやカタリナは作物や羊の世話がある。全員であまり気が乗らない朝食を終えて一旦散会となった。ジムゾンによれば人狼は太陽が昇っている間は活動をしないらしい。なんとも律儀なものだ。 ジムゾンはアルビンの嘘についてまだ何も言わなかった。また、自分がアルビンを狂人だと思っているという事と通信機能が生きている事は決して口外しないようにと口止めをした。総合して考えるとジムゾンは比較的ヴァルターを信頼しているように思えるが、そう安心もできない。人狼の嫌疑をかけられて諜報員に殺されなくても、人狼に食い殺される可能性は残っているのだから。 する事も無いヴァルターは散策を始めた。読みかけている本の続きも気になっていたが、屋内に篭る気分にはなれなかった。ぼんやり歩いていると野原に腰を下ろしているニコラスの姿が見えた。 「とんだ災難だったな。」 声をかけるとニコラスが驚いて振り返った。わざわざ立ち上がろうとするのを制して、ヴァルターも近場に腰を下ろした。 「そういう運命なのでしょう。」 ニコラスは微笑んで空を仰いだ。 「恐ろしくは無いのかね。」 「恐ろしいですよ。自分が立てた妙な仮説が当たっていた事も含めて。」 ふと思い返すと、たしか初めて会った時にニコラスはそんな事を言っていたような気がする。人狼とは異形なのではなく、特殊な犯罪者なのではないかと。 「私は天涯孤独の身ですから。今更失って怖いような物もありませんし。せいぜい生きて村を出られればいいなと思っているくらいです。」 天涯孤独という事は孤児だったのだろうか。聞く事も憚られてヴァルターはつい口を噤んでしまう。 「ところでヴァルターさん。人狼の噂を言い出したのはトーマスさんとアルビンさんだそうですね?」 「ああ。そういえばそうだった。」 「あまりにも偶然過ぎやしないかと思いませんか?」 ヴァルターは暫くニコラスの言葉を反芻していた。そのうち答えにいきついてニコラスを見た。 「二人が人狼ではないかという事かね?」 「あくまで仮説です。」 ニコラスもまた顔を戻してヴァルターに向けた。 「居もしない物を怖がっているふりをして、実際に事件が起こった時に疑惑の目を逸らす意図など考えられます。的外れな物を怖がっていたのですから、一時的には疑惑の対象として見られないでしょう。ああ、何にも知らないんだ、って。 トーマスさんが触れ回ってアルビンさんにも話が行き、それなら自分も見た事があるぞ。という流れのように思えますが、共謀していないとも言えませんし。」 「そうなるとアルビンは?仲間に殺されてしまったのか?」 「アルビンさんはそういう犯罪者に感化された狂信者なのでは?と考えればそう不自然でも無いです。おとぎ話でもそうでしょう。人狼仲間は食べられませんが、狂人なら食べられます。」 ジムゾンにお預けを喰らった話題を思い出してヴァルターは体ごとニコラスに向き直った。 「なぜ狂人を襲う必要があるんだ?狙うのなら真のカウンセラーだろう。」 「恐らく、人狼としては今日アルビンさんを襲撃できたのは不本意だったでしょうね。」 強い風が吹き抜けて枯れ草が舞う中、ヴァルターは固唾を呑んでニコラスの言葉の続きを待った。ニコラスは風で乱れた髪の毛を顔から除けつつ口を開いた。 「昨日アンケートをとった際、多かったのはアルビンさん真派でしたね。」 「そうだな。“言ってくれて腑が良かった”“調べたかった”などそれらしい姿勢も見られたし、なによりヤコブは弟が処刑されるというのに大して驚きも嘆きもしていなかった。」 ニコラスは満足げに頷いた。 「当然、居るかもしれない守護者…つまりおとぎ話の狩人ですね。狩人もまた真らしきを守護する事でしょう。人狼も恐らく昨日はアルビンさんが守られていると思っていた。」 「…しかし襲撃に失敗するのは人狼として嫌な事ではないのか?」 「いえいえ。そうとも限りません。失敗する。つまり人狼が襲おうとしたという事実が狩人には情報として入る。襲おうとしたという事は益々真ではないかという目が強くなる。そうやって、主導権を握ろうとしたのですね。 そしてもう一つ行うに当たって重要な事があります。それは、ヨアヒムさんが人間であるという事。仮に襲撃が成功すれば調べられる対象が人狼だったのではないかという単純な疑惑が生まれます。現に、今日発見した時神父さんはそう呟いていました。だから対象が人狼なら襲撃しない方がむしろ賢明です。あとはもっと簡単に。守護が成功した場合白黒になる、最悪真っ黒という事態も考えられます。そういう事から、私はヨアヒムさんはほぼ人間だろうと思っています。」 一息ついてニコラスは肩の力を落として笑った。 「それからこれは個人的な意見になりますが。“調べたかった”なんていうのは全く真らしくないと思いますよ。」 「というと?」 「もうほぼ自白してた状態なんですから調べても無駄ですよ。あれは寧ろペーター君への愚痴では無いでしょうか。自白しないで抗ってくれれば、カウンセリングに持ち込んで一日延命はできたのにと。それに“腑が良かった”もですね。…あの状況では仕方なかったかもしれませんが、寧ろディーターさんに疑惑が行ったのは好都合。そのままカウンセリングにでもかけていれば案外偽が解ったかもしれないんです。一概にはいえませんが諜報員の相方を知りたいのは人狼くらいのものでしょう。」 ヴァルターは早朝ジムゾンと話した時と同じような思いにかられて目を閉じた。 「ダメだなあ、私は。」 「いやいや。単に慣れです。」 ニコラスがさらりと言った言葉にどこか違和感を覚えた。前にもこういう目にあった事があるのだろうか。訝しく思いつつも言及まではしなかった。ニコラスと別れて方々散策して回ったが、大した収穫も無く再び日が落ちていった。 「なんであたしなのよ!」 宿屋に甲高い叫び声が響いた。声の主は、カタリナだ。 「昨日俺の事いきなり人狼呼ばわりしたらしいじゃねーか。」 対するディーターは両手を腰に当ててカタリナを見下ろしている。 「だから、それは神父さんに説明したわよ!単に見た目でそう思っただけだって!」 「でもそれにしちゃ態度がしらじらしかったねえ。」 突っ込んだのはレジーナだった。そういえばあの場にはレジーナも居た。 「なんかクセェんだよなあ。」 「羊飼ってるんだからそりゃ臭うよ。」 ヤコブが横合いから的外れな突込みを入れる。ディーターは一瞬ヤコブの方を向きかけたが無視を決め込んだようだった。 「人狼は誰かをスケープゴートにしなきゃならねえ。それとなくカタリナが話題を振って、その後村長が俺を見たのなんだの続けるって示し合わせてたんじゃねえか?って俺は思うわけよ。」 「ですがカタリナの態度は迂闊過ぎるのでは?」 「人狼が全員演技上手とは限らねえだろ?」 ニコラスの反論に怯む事なく、ディーターの疑念は中々固いもののようだった。今日は一時的にディーターが纏め役となった。というのも、昼頃からジムゾンが体調を崩して寝込んでしまったからだ。今も一人客室で休んだままで決定は全てディーターに委ねられていた。こういう性質の者が組織の纏め役になるとほとほと手を焼く。言い合うディーター達の姿を遠目に見つつ、ヴァルターは眉根を寄せて目を閉じた。 カタリナには確かに不審な部分があるが、それを言い始めると全員に当てはまる。オットーだって従姉妹が殺されるかどうかの瀬戸際だというのにぼんやりしていて相変わらず実感が湧かないような、そんな風に見える。 「村長様はだんまりか。」 皮肉めいた口調でディーターが話を振ってきた。ヴァルターはディーターを一瞥して目を逸らした。 「反論しても聞き入れられまいよ。」 カチンとしたのか、ヴァルターに向かって行きそうになったディーターをレジーナが押し止める。ヴァルターは黙って立ち上がり、再びディーターに目を向けた。 「たしかにカタリナの話ぶりは、まるで君が人狼であるという前提があってのように聞こえたな。しかし私には当初、君とカタリナが人狼で、お互い仲間だと知っているから思わず言ってしまったのかと思えていたよ。だが君は人狼ではない。 さて、では君が言ったようにカタリナが人狼で、君をスケープゴートにしたがっていたと仮定しよう。自分の正体を隠しながら仮想の人狼をでっちあげる。そこまで綿密に計画立てていたのなら、あのようなヘマはすまい。なにより、今日アルビンを襲撃した事から計算高さが窺える人狼の姿と一致しない。 カタリナが言うように、思い込んでいたとしても若干不自然さは残るが。だからと言って人狼だと断定するのは早計だろう。誰かを勝手に人狼だと思い込む事が悪いというのなら、ディーター。君も今まさにカタリナを人狼だと盲目的に思い込んでいるのではないかね?」 「ヴァルターの言う事ももっともじゃな。」 モーリッツの一声が緊迫した沈黙を破った。 「ディーターはどうも視野が狭くていかん。こんな調子が続くようなら纏め役を任せとうないの。」 臆する様子も無いのを見てディーターもさすがにぐっと言葉につまっていた。 「じゃが、他に怪しいモンがおるかと言われればそうでもない。ヴァルター。お前さんは他に“処刑したい”人間がおるかね?」 穏やかに話を振られてヴァルターもまた言葉に詰まった。言われてみれば、では誰を処刑するのかなど考えてもいなかった。反対するだけで対案を出しもしない人間は議論をする上で大変厄介なものだ。これまで公務員として生きてきて、身に染みてよく解っているつもりのそれが解らなかった。ヴァルターの返事が無い事から察してモーリッツは目を逸らし、全体を見渡した。当然、対案を出す者は誰一人として無かった。その様子を見てモーリッツは再びディーターに目を向けた。 「と、いう事じゃて。わしは反対はせんよ。」 「カウンセリングにかけるのはパメラだ。異存ねえな。」 若干不貞腐れた様子でディーターが言い、決定は了承された。アルビンと同じ部屋だと言うのに殺されず、また、殺害されるのも何も知らなかったというのだ。あからさま過ぎるので、それこそ人狼が濡れ衣を着せようとしているのかもしれないが、パメラ本人が人狼である可能性も否めない。 今日はレジーナとオットーがディーターに伴った。 「明日俺が生きてたら絶対処刑してやる。」 宿を出る瞬間、ディーターはヴァルターを振り返って吐き捨てた。 「ただの脅しですよ。」 ヨアヒムがそっと慰めの言葉をかけてきた。口元には苦笑いが浮かんでいる。 「私も今日は最初散々色々言われました。アルビンが真で、お前が人狼だから襲撃したんじゃないかって。神父さんが口ぞえしてくださったので助かりました。」 「そのジムゾンだが。大丈夫なのかね?」 「ええ。ちょっと疲れているだけのようですから。今晩ゆっくり休めば明日には彼から纏め役の権限を奪還して下さると思いますよ。」 「良かった。」 ヴァルターはほっとして胸をなでおろした。これからカタリナが殺されてしまうというのに勝手なものだな。心の深淵から意地の悪い声が聞こえたが、もう今は聞かない事にした。 急に戻ってきたオットーに呼ばれ、ヨアヒムはジムゾンに持って行くはずだった水と薬をヴァルターに託した。いよいよ考えが纏まらなくなってしまっていたヴァルターは快諾し、トレイを持ってジムゾンの部屋を訪れた。 「わざわざすみません。」 幾分か回復したのか、ジムゾンは上体を起こして本を読んでいた。ヴァルターはトレイをサイドテーブルに置いて寝台横の椅子に腰掛けた。 「今日の処刑はカタリナだったでしょう。」 「ああ。よく解ったな。」 「あの子はカタリナを疑ってましたからね。こうと決めたら中々撤回できない。」 ヴァルターはふと先程のディーターの捨て台詞を思い出した。冗談半分だとは思うが、カタリナに対する些細な疑いが処刑にまで発展したのだ。明日もディーターが決定を下すようであれば案外冗談では済まないかもしれない。 「ところでジムゾン。今朝の件なんだが。」 昼間に聞いたニコラスの見解を説明するとジムゾンはそれに同意した。 「私が言いたかったのもニコラスさんと同じです。別に隠すほどの事でもなかったんですけど。」 ジムゾンはそこで言葉を区切り、ナイトテーブルを指し示した。テーブルの上には小さなコーヒーサーバーとカップが幾つか置かれてあった。 「さっきレジーナに持ってきて貰いました。良かったら飲んで下さい。…それとすみませんが、私の分も注いで頂けませんか?」 本当についさっき持ち込まれたようで、コーヒーは出来立ての良い香りを立ち上らせていた。ヴァルターはコーヒーをカップに注いでジムゾンに手渡し、自身もそれを口に運んだ。 「本当はね、伏せておいて反応を見たかったんです。アルビンを狂人と見るか、真と見るのか。」 「どちらが人狼が取る方針なのかね。」 「んー。一概には言えません。そうですね。強いて言えばアルビン真説を取る者が人狼臭いですよね。ですがディーターも同じ事を思ってますしね。総合した態度などを見たかったです。」 「私にはよく解らなかったな。」 「殆ど経験によるカン頼みですからね。」 ディーターの事は言えません、とジムゾンは苦笑いした。 「明日は大丈夫かな?」 「ええ。今日はご迷惑おかけしました。もう大丈夫です。」 そう言って笑うジムゾンの声が何故か少し遠くなった。 「ヴァルター?」 ジムゾンの声に我に返る。それも束の間、ジムゾンの声はまた遠のいてしまう。得体の知れない暗い海から懸命に浮上しようと試みるが、もがけばもがくほど意識は深く沈んでいく。コーヒーの入ったカップをテーブルに置いた。それっきり、ヴァルターの意識は深淵に飲まれた。 次のページ |