【罪の行方】

「それって本当にあったことなの?」
「さあ。なにせ言い伝えだからね。」
興味津々で問い掛ける少女に司書の青年は困ったような顔をして笑った。

バーデン・ヴュルテンベルク州都、シュトゥットガルト市内の州立図書館。小学校のグループ研究で訪れた子ども達は案内役の青年相手に質問の嵐を浴びせていた。何でも人狼のことを調べるんだという子ども達に対して提供できる資料が短い絵本やおとぎ話しか無く、青年は仕方なく比較的長い話を一つ披露していたのだった。勿論、年齢相応でない個所はうやむやにして。

「つまんないな。最後がわからないなんて。」
一人の少年は面白く無さそうに呟いてペンを机に放った。
「今でもきっと生きてるんだと思うなあ。だって人狼って死なないんでしょ?」
ブロンドの少女は瞳を生き生きさせて青年に問う。
「ばっかだな。年取るんだから寿命が来たら死ぬにきまってんじゃん。」
元気の良さそうな少年が青年に代わって返答し、ブロンドの少女はキッと少年を睨みつけた。

「どうなんだかはわからないけど。」
今にも喧嘩が始まりそうな二人を両手で押し留め、青年は続ける。
「今生きてたら大変だぞー。なんたって、人間を食べるんだからね?」
脅かすような言葉に子ども達は一瞬本気で顔を青くして身を引いた。
青年は慌てて脅かしすぎたと謝りながらふと窓の外を見る。外はもう殆ど日が沈んで藍色に染まり、空には星が瞬き始めていた。
「さあさあ。今日はもう暗いからこれくらいにしてお帰り。でなきゃ…。」
再び意地悪く脅かした事を青年が後悔したのはその直後だった。

「お疲れー。まだやってたのか?」
資料を片付け終わった青年に後ろの螺旋階段から声がかけられる。
「お疲れゲルハルト。もう帰るよ。」
ゲルハルトと呼ばれた赤毛の青年は階段から降りて奥へ去ろうとしたが、何か思い出したかのように入り口の前で青年を振り返った。
「そういえば、支所に異動するんだって?」
「ああ。」
青年は屈託無く笑い、強く頷いた拍子に流れるような金色の髪がふわりと揺れた。髪の隙間から見える耳にはひどく古びたラピスラズリのピアスがされてあった。その青は瞳の青と同じ色だった。

「あんな辺鄙なところの小さな村にねえ。…ま、頑張れや、ニコラス。」


図書館を出たニコラスは吹き抜ける冷たい風にコートの襟元をぐっとしめて首を竦めた。待降節に入った街ではクリスマスマーケットが開かれており、人通りも車のとおりも何時もより多い。寒さは日を追う毎に厳しくなり初雪もそろそろ近そうだ。
「一杯飲んで帰らなきゃ死んじゃうぞ。」
思わず独り言を呟いた後でニコラスは苦笑した。
もう一体どれだけの年月が流れたのだろう。戦が終わったかと思えばまた戦。しかもそれは時代が進むごとに激しさと冷たさを増していく。今はようやく束の間の休息に入ったようなものだ。
人狼の系譜は一旦は途絶えたかのように思われた。空が近くなったと安堵していた矢先に再び何度目か数えるのも忘れた生を受けた。恐らく、時代と共に進んでいった“科学”とやらの研究か何かで、誰かが人狼の生成法でも突き止めたのだろう。ニュースや新聞でもよく不可解な死が報道されるようになった。
ニコラスはやれやれと溜息一つつくとマルクトに向かって歩き始めた。

「てか、お前なんであんな所に居たんだ。」
「村へのバスがあの辺にあるバス停からの便しかなかったんです。…あっ!」
すれ違いざまに聞こえた声だったが突然の大声に思わずニコラスは立ち止まる。見ると、黒髪の美しい若い神父が同じく立ち止まり青い顔をして時計を見ている。どうやらバスを逃したらしい。
「俺ももう帰るから送ってくよ。それより先にメシだメシ。どうせお前もまだなんだろ?だったら付き合え。」
落胆する神父の腕を強引に取って歩き出したのは燃えるような赤毛の男。無精ひげをはやし頬には幾つかの傷がある。
ニコラスはおや、と思い二人をじっと見詰めた。先程子ども達にした話の仲間だった。生きていたのだろうか。しかしそれにしては気配が違う。
遠ざかる二人の後姿が雑踏に消えてしまうまで目を細めて見守る。
赴任する村ではまたどちらかが死に絶えるまでの血の宴が訪れるだろう。その時に、また彼らに会うような気がしてならなかった。

『背中の十字架は取れたかい?』
誰へも届かないニコラスの囁きは月に届き、月は相変わらず青白く静かに輝きつづけていた。




『贖いの背 Mary Magdalene』 終




back