【青の楽園 第十四話】

トーマスは足を止めてジムゾンの居る祭壇を仰いだ。立ち尽くしているジムゾンの後ろに不敵な笑みを浮かべたディーターの姿があった。
「ヤコブもレジーナも宿の地下室に逆送。あとはお前一人。」
「終わったのだよ、トーマス。」
次いで聞こえたのはヴァルターの声だった。ジムゾンが顔を戻すと礼拝堂の正面の扉が開かれて、ディーターと同じく捕まっていたはずの皆の姿があった。
「…み、皆…どうして。」
「ディーターがナイフ持ってて助かったんだよ。」
未だ事態が飲み込めずに目を白黒させているジムゾンにヨアヒムが嬉しそうに返した。
「二班に分かれてさ。片方は正面突破組。もう片方は天窓から外に出て玄関付近にいたレジーナの奇襲をしたってわけ。…もう当分あんな心臓に悪いのはゴメンだ。」
何時もの調子で言ったオットーはため息一つついて腰を叩いた。

「フ…。少し見縊り過ぎたか。」
呟いてトーマスは自嘲気味に笑った。ヤケを起こして暴れる、もしくは…と不安がよぎったが、トーマスは大人しく捕らえられるがままになった。
「好きにしろ。その代わり、命が惜しいのならゲルトの論文は全て破棄し、結社についても何も語るな。」
「今更そんな事…。」
息巻いて反論しかけたアルビンをヴァルターが制した。
「この村で起こった殺人は元々はゲルトの宝石目当ての物で、連続して起こった不幸はゲルト殺害に加担した者達による隠ぺい工作だった。…そういう事にしよう。」
「何言ってんの父さん!それじゃ何の解決にもならないし、ゲルトが浮かばれないよ!」
「言えば今度は更に秘密裏に葬られる。」
ヴァルターの言葉にヨアヒムは二の句をつげなかった。
「そうだな?トーマス。レジーナ達トカゲの尻尾のような存在の青の会はともかくとして、君たち上層部の結社は、この国の奥深くまで入り込んでいるのだろう?」
トーマスは一度だけ頷いた。
「ああ。無論、法を司る者らの中にも。…海辺の村も我々が負けた。あそこに居た結社員から任務完了の報告は無かった。にも拘らず村は滅びた…。何故だと思う。」
実際に惨状を見てきたアルビンは思い出すのも嫌なようで、身震いして勢い良く頭を左右に振った。
「逃げたんだな。」
一番に答えたのはオットーだった。
「そうだ。完全な閉鎖状態にならなかった上に、結社員が村人全員に知られたとの報を既に送っていた。村に残ればまた第二、第三の人狼によって葬られる。それで、何人生存したかは知らないが何処かへ逃亡したのだろう。
後は名前も隠してひっそりと暮らす他無い。結社の事を訴えても与太話だとして取り合って貰えまい。そして話せば必ず結社員の耳に入る。そうなったら始末されるのがおちだからな。」

やがて夜が明けて暗い地下室にも陽光が降り注いだ。心地よい小鳥の歌を聴きながら扉の傍の椅子に座っていたオットーが大きな欠伸をする。自分達が逃げ出した経験から地下室の中にも見張りを立てる事になったのだ。レジーナとリーザは片隅で身を寄せて眠り、ヤコブはぼんやりと空を見上げていた。
「…嘘でしょう。」
トーマスの前に跪いていたジムゾンがぽつりと呟いた。
「ゆくゆくは私を結社に引き込んで、トロヤの木馬のようにしようと計画していたなんて。…嘘でしょう。」
ジムゾンは顔をあげてトーマスを見たが、トーマスは目を閉じて黙したままだった。
「本当は、帰ってきて欲しく、無かったんでしょう?」
僅かに歪んだジムゾンの口元は震えを隠せなかった。トーマスがハッとして目を開くとジムゾンはまた、ぽたぽたと涙をこぼしていた。
「違う。それは」
「解ってます。喜んでくれたのも本当だって。」
ジムゾンは鼻をすすり、袖口で乱暴に涙を拭いてから天井を向いた。涙に詰まった声を無理やり出すと再びトーマスに向き直った。
「自分の手元に置いておいたら、いつか同じ道に引き込んでしまうのではと?」
トーマスはそっぽ向き、何も答えなかった。

「人を殺した、罪は罪です。どんな人間だって、どうこう勝手にして良い法は無い。」
トーマスは相変わらずそっぽ向いたままで、ジムゾンは少し身を起こし…両手をトーマスの頬にあてがって無理やり自分に向かせた。幼い頃、じゃれて髭をいじっていた時のように。
「辛かったでしょう。死者の呪縛に、囚われたままで。私は何も気付かないまま…いいえ、与えられた楽園で、過去の痛みから一人守られたまま、それに甘える事しかできなかった。
あなたと二人で暮らした楽園は、あなたに都合良く作られた物だと思い込む事で自我を保ち、あなたを憎みもした。…どうかゆるして下さい。あなたの愛に真に気付けなかった罪深い私を。」
聖母の衣の青の瞳に、またも涙が溜まっていくのを見つめながらトーマスは黙ってそれを聞いていた。
「トーマス・フォン・キルヒナー。私は、父と子と聖霊の御名によって。あなたの罪をゆるします。」
ジムゾンはトーマスを抱きしめた。
「お父さん。」
かつてその背に届かなかった腕は伸びやかに成長し、トーマスの大きな体を包んでいた。トーマスは後ろ手に縛られた指先でジムゾンのか細い指を手繰り寄せて、掴んだ。ジムゾンはトーマスの胸に顔を埋めて泣き、親子は何時までもそうしていた。二人の姿を後ろからぼんやり見ていたオットーは椅子の背にもたれたまま寝たふりをするのだった。


数日後に無事橋がかけられ、トーマスらは町の警察に引き渡された。ヤコブは橋を落としただけだったので起訴はせず、ヴァルターの計らいでそのまま精神病院へ送られる事になった。かつて村に住んで同じように農夫をしていたヤンを殺したのでは?とゲルトの資料にはあったが、証拠不十分でやはり事故死の見方が強く立件はされなかった。
そしてリーザの妹のローゼを連れて出稼ぎに出ていたカタリナの夫、エルンストが事件の報を受けて慌てて村へ戻ってきた。何しろ幼いという事もあってリーザの審議は難航していたし、エルンストにしてみればリーザは娘であって妻殺しの犯人だ。心は平静ではおられないだろうと思われたが、あくまでもリーザの保護者として付き添った。
レジーナとトーマスも同じく審議中だが、過去の罪の件もあって恐らく死刑は免れないだろう。ジムゾンは暇を見つけては獄中のトーマスやレジーナを訪ね続けた。
村は平穏を取り戻したが、以前とは少しずつ違ってきていた。
ヤコブの畑が荒れ放題になるのを見かねたパメラは家を出てヤコブの家に代わりに住んで慣れない農作業を始めた。学校に行き出さないペーターはパメラを手伝い、時々ローゼとも遊ぶようになった。
ヨアヒムは予定通りミュンヘンの大学へ行く事になった。ヴァルターから、誘われても絶対に妙な集会に行くんじゃないと何度も念を押されて。
惨劇の舞台となった宿屋はレジーナの承諾もあって、ゲルトの家と同様に取り壊される事になった。
オットーは相変わらず黙々とパン作りに励んだが、アルビンは行商をやめた。何か思うところでもあったのだろうか。村に定住して店を開くのだという。

「これでよし…と。」
本棚を綺麗に整理しおえてジムゾンは頭に被っていた布切れを外した。暫く入る事の無かったトーマスの書斎は本の海だった。雑多な種類の書物があちこちに散乱し、さながらモーリッツの書斎を彷彿とさせた。少しずつ始めたトーマスの家の掃除も今日で漸く終わりだ。
キチンとあるべき場所に収まった本達をぐるりと見渡す。確かに様々な本があり、日記も几帳面につけられてはいたが結社の事を記した物は何も無かった。必ず焼却しろと言われていた書類にも、取り立ててそれらしい事は書かれていなかった。恐らくはその何の変哲も無い内容は暗号なのだろうが、もう解き明かそうという気持ちにはなれなかった。
放っておけば国を揺るがす脅威になるかもしれない。そして皆が気付く頃には取り返しのつかない事になるのかもしれない。けれどまだ今は時期ではない。トーマスがそう言っていたように、時期ではないのだろう。せいぜい自分にできる事は、聖職者としての責務をまっとうする事だとジムゾンは思った。
「むわっ!」
突然目の前が真っ暗になってジムゾンは声をあげた。その瞬間に暗闇は取り払われ、悪戯っぽく笑うディーターの姿が現れた。
「なんだ。脅かさないでくださいよ。…子供じゃあるまいし。」
「毎日ご苦労なこったなぁってよ。」
「いつ父さんが戻って来てもいいようにしておきたいんです。」
「…。」
力無く笑うジムゾンを見てディーターは口をつぐんだ。ほぼ無駄な努力と決まったようなものだ。その事実は冷たく、告げる事はもとよりこの沈黙すらも冷たいものに違いなかった。
「神父さまーぁ!玄関のお掃除終わったよう!」
「あ。はーい!」
沈黙を破る声にジムゾンは大声で答えて玄関へ走っていった。

「お疲れ様でした、ペーター。有難う。」
ペーターから箒を受け取るとジムゾンは得意げな表情のペーターの頭を撫でた。畑に手伝い…という名の遊びに行く途中だったペーターをつかまえて手伝ってもらっていたのだった。
「また何かあった時はお願いしますね。」
そう言ってジムゾンは懐から取り出した5マルク銀貨をペーターに渡した。ペーターは嬉しそうに礼を言うと牧場の方へ駆け出していった。まだ夕暮れまで少し時間があるから遊びにでも行くのだろう。ジムゾンはトーマスの家の鍵をかけてディーターと二人で教会に向かった。
「今日はお仕事お休みだったんですか?」
「休みは明日。今日は昼までだった。…どうよ、今晩。」
ディーターが酒を飲む真似をしてみせ、ジムゾンは笑った。
「いいですね。丁度フランス人のブラザーに頂いたポマール産ワインがあるんです。」
「へえ!それはそれは…けどお前辛口苦手じゃなかったっけ。」
ポマールのワインと言えば一級品だが辛口でも有名だ。日頃から聖体拝領のワインがぶどうジュースなら良いのにとぼやいているジムゾンには意外な取り合わせだった。
「いい機会だから挑戦してみます。」
「とかなんとか言って、自分で飲めねえから俺に消費させようって魂胆だろ。」
「あは。」
二人は笑いあい、夜にディーターの家で落ち合う約束をして別れた。

「はい、ジムゾン。頼まれてたお芋。」
どんっ、とテーブルに籠が置かれて網目から土がこぼれた。籠の中には掘りたてのじゃがいもが沢山入れられ、涼やかな土の匂いはまさに秋の匂いだった。
「有難うございます、パメラ。…すっかり農婦さんですね。」
頬に土をつけたパメラの顔を見てジムゾンは微笑む。
「まーねー。どうせ他にやる事無いし。」
「お家にも帰ってないそうですが…。」
「いいのよ。どうせディーターが住んでるだけだし、盗まれるような物も無いし。なにより!年頃のレディがあんな手の早そうな男と一つ屋根の下なんて危ないじゃない。」
「ぶっ…。あっはっはっは!…それもそうですねえ!」
「何よそれ、笑う所ー?!」
パメラは頬を膨らませ、ジムゾンは暫く笑い悶えていた。レジーナに対する自分たちの感情と同じで、ジムゾンはパメラをせいぜい妹くらいにしか考えてないし、ディーターもそうだろうと思った。
はて、ではディーターはどういう女性が好みだっただろう。ふと思い返しても解らない事にジムゾンは気付いた。
「しかし実際ディーターもそろそろ将来の事を考えた方がいいですよね。」
「そうよ。せめてもうちょっと見てくれを綺麗にすれば、それなりに魅力的だと思うんだけど。」
「と、言うより不安定な職のディーターに果たして妻や子を食べさせていけるかどうか…。」
「じゃあジムゾンと同じで神父にさせちゃえば?」
「絶 対 無 理 です。」
「うわ即答。」
パメラもジムゾンも二人して腹を抱えて笑った。詰襟のスータンを着てローマンカラーを身に付けている姿があまりにも似合わなさすぎて。
「というわけで、無精髭で傷だらけの野性的な男性が好みという奇特な女性を募集中。ですね。」
「…居ないわよ、たぶん。」
パメラは乾いた声で笑った。
「いっそジムゾンが女の子だったら良かったのにね。」
「はあ?」
「だって小さい時から仲良しだし。今日だってまぁた子供みたいな事したんでしょ。」
ジムゾンは、ん?と首をかしげ、トーマスの家での一件を思い出した。
「ペーターに聞いたんですね。」
「そ。窓から忍び込むなんていよいよもって子供っぽいっての。」
「ああ…鍵やぶれるんでしたっけ。」
さすがにジムゾンも呆れたように苦笑した。あの惨劇の最中に様々な局面で役立った技術とはいえ、その技術を悪事に使わなければ良いがと祈るばかりだった。

日がとっぷり暮れて教会の戸締りを終えるとジムゾンはディーターの家に向かった。以前なら夜に通ってもレジーナの宿の明かりが見えていたのに、今は少し遠く離れたアルビンの店の明かりが薄っすら見えるだけだった。
きしむ階段を上り、ドアを軽く叩いてドアノブをひねった。
「…ん?」
てっきり開いているものと思っていたドアは開かない。先ほど通りから見上げた時に部屋の明かりは見えていた。部屋に居るはずなのにドアを閉めたのだろうか。
もしかして、約束をすっかり忘れて寝てるのかもしれない。そういう事もありえるディーターなだけにジムゾンは今度は加減無くドアを叩いた。すると奥の方で声が聞こえ、ほどなくしてドアは開いた。
「鍵なんてかけて、寝てたんじゃないでしょうね。」
「起きてたよ。鍵だって開けてた。ここ本当に建て付け悪ぃんだ。」
そう言ってディーターは苦笑しながらジムゾンを招き入れた。

部屋は以前来た時に比べて綺麗に片付けられていた。と、言っても余計な物を隅っこに寄せただけのようでもあった。 プレッツェルをつまみに酒を飲みつつ、二人は何時ものようにとりとめも無い事を話した。案の定、ジムゾンが持ってきた赤ワインはジムゾンには舐める事しかできず、殆どがディーターの胃袋に捧げられる形となった。
「やっぱジムゾンちゃんにはぶどうジュースだよなぁ。」
「…だから、酔ってませんってば。」
顔が真っ赤になっているのを冷やかされてジムゾンはムキになる。そうしてムキになっては無理してディーター用のコルンを流し込むという寸法で益々顔は赤くなるばかりだった。
さすがにこれ以上飲んだら今度は吐く。僅かに残っていた理性で手を止めてジムゾンはソファに深くもたれかかった。もういい時間だったが帰るのも面倒だった。ディーターは明日仕事が休みだと言っていた。ならば好都合だ。このままソファに寝かせて貰おう。ディーターのベッドはそんなに大きくなかった。以前来た時の事を思い出していたジムゾンは突然ハッと目を見開いた。

ディーターの寝台の上には何故かジムゾンの下着があった。あの時ディーターはなんと言っていた?たしか、ドアはガチャガチャやってれば開くような物だと、言っていなかっただろうか?簡単に開く物だから。その後有耶無耶になった事もあって、トーマスがディーターを容疑者に仕立て上げる為に忍び込んで置いたのだと勝手に解釈していた。
だが今日、鍵が開いていたにも拘らずドアは中々開かなかった。ディーターは建て付けが悪いと言っていた。ならば、ディーターの部屋に侵入する事は、鍵を持っていない限り事実上不可能だという事だ。そうなるとあの下着は。
「泊まって行くだろ?ジムゾン。」
相も変らぬ能天気な声を聞きながらジムゾンはゆっくり体を起こした。まだ頭はフラつくが、酔いは殆ど醒めていた。
「…いえ。そろそろ帰ります。」
「馬鹿言え。そんなへべれけで帰ったら危ねえ。」
「大丈夫です。それに、明日も早いんですから。」
「人の忠告くらい素直に聞けよ。ほら、フラついてんじゃねえか。」
「いいったら、いいんです!」
伸ばされたディーターの手がまるで自分に絡みついて来るように思えて。ジムゾンは思いっきりディーターの手を払いのけていた。

「…ああ。」
すうっ、と。ジムゾンを見下ろすディーターの薄緑色の瞳が冷たい光を帯びた。と同時に、口の端が引き上げられて笑みの形に歪んだ。
「そうか。バレちまったか。」
恐怖に凍りついたジムゾンは身動きもできず、再び伸べられたディーターの手に易々と捕えられた。
「わ……私の…下着を盗んだのは…あなただったんですね…。」
ジムゾンは震えながらディーターを凝視した。
「あんな、所に。ごわごわになるまで。よ…汚して…。」
「毎晩のように使ってたんでね。」
何に使ったのか聞けよと言わぬばかりの口ぶりだったがジムゾンは聞かなかった。
「あの晩だって…。一緒に眠った時、何か、おかしいなって。せ…背中に…。」
「朝なら生理現象で済む事なんだろうがな。…まあ。あの晩はトーマスが見張ってただろうからどうせ何もできなかったんだが。」
抗うすべもなく抱き上げられる。ジムゾンは抱えられたまま震えるしか無かった。
「私がお父さんと喧嘩した夜も…。…お父さんがゲルトと出かけるのを見計らって…!だから…!」
「ん。お陰でトーマスが犯人か、共犯者だろうって目星がついたわけじゃねえか。良かったな?」

寝台の上に半ば放られるように下ろされて、ジムゾンはすぐさま逃げようとした。しかし酒に酔った体では平衡感覚を失ってまともに動く事もできず次の瞬間にはディーターに組み伏されてしまった。
「怪我させられたのは本当だし、警告の文字も俺は書いてない。ただ、利用させて貰った。」
「ひ…酷い…!」
「それならお前だって同罪だろ。信じてたじゃねえか。トーマスが異常だって。」
冷たい言葉にジムゾンは反論もできずに唇を噛締める。
「お前の事が好きだったんだ。ずっと。…お前も薄々感づいてたんじゃねえか?」
否定はしなかった。なんとなくは、そうじゃないかと思っていた。
「…冗談だと思ってたんです。」
「冗談!…ハッ…俺は真剣に想ってたってのに、冗談かよ。」
「きゃ…。」
ディーターの手が顔に向かって迫ってジムゾンは目を閉じた。だが手は顔に当たらず、嫌な音が響いた。目を開けて見ると聖服のボタンが数個引きちぎられてしまっていた。
「知っているでしょう?!ソドムの罪は背教行為だと!」
「ああでも俺はお前を抱きてえんだよ!」


二人はお互いに肩で荒い息をする。最初に沈黙を破ったのはディーターだった。
「お前の事が好きだ。でも背教行為だと知っているし、それ以前に俺はお前に相応しい男じゃねえ。地位もねえ。教養も、金もねえ。しかも上っ面の甘言に絆されて青の会にまで入ってた。…お前の友人でいる資格さえない。正直、生きる価値も無いと思う。」
「…ディーター…。」
「どうしょうもねえよな。もう、そこまでどうしょうも無いんなら、この際落ちる所まで落ちちまえばいい!」
叫ぶディーターの姿が、また、トーマスの姿に重なって見えた。道ならぬ恋を選んで、友人を殺して。待っていた赦しは死という名の呪縛だった。絶望したトーマスは更に道を踏み外して結社にのめり込んでしまった。ディーターは今、岐路にいる。
自分が居なくなればディーターの悩みの種も消える。一時の自由と赦しを与えるだろう。しかしその後は?ディーターは果たして、その後の人生に希望を見出せるのだろうか。否。違う。
ここで自分が消えるのは容易い。しかしそれは結果的にディーターに忘れ難い印を刻みつかせる行為に他ならず、それは決してディーターを救いはしない。ならばどうすればいいのか。ジムゾンにはもう答えがわかっていた。

ジムゾンは手を伸べてディーターの両の頬を包み込んだ。
「愛しています。ディーター。」
呆気にとられているディーターをじっと見つめて微笑んで、そうして半ば強引に引き寄せて、抱き締めた。
「…ジム」
「私はあなたの罪を赦します。あなたがこれまでどういう人生を歩んできても。これから何をしようとも。」
そっとディーターの体を押してジムゾンは再び微笑みかけた。
「だって私はただの人間です。いつか神様が魂をお召しになる瞬間まで、ずっとあなたの傍に居ます。神を愛し、あなたの事を愛しているから。怖れる事は何も無かったんです。」
ジムゾンは呆然としているディーターの頬に片手を押し当て親指でざらつく無精髭をなぞった。
「だからそんな、悲しい事を言わないで。生きていなければこうして触れる事もできない。文句を言いたくても言えない。愛してるなんて言っておいて、勝手に逃げるのは無しですからね?」
「…ハ…。やっぱ子供だな。」
ジムゾンが笑い、ディーターもつられて笑った。
「一緒に生きましょう、ディーター。あなたは私の、大切な…人…。」
そう呟きながらジムゾンの意識は暗転していった。


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