【寄る辺無き人】

怒りの日 その日こそ
世界は灰燼と帰さん
ダヴィドとシヴィッラの予言の如く

全てを裁く審判者が来たり給う時
人々の恐れはいかばかりか

次の日の朝、カタリナが無惨な姿で発見された。ジムゾンは昨夜処刑されたモーリッツと共にカタリナの死者ミサを挙げていた。参列者は誰も居ない。二人の遺体を埋葬する為にディーターが教会に居るだけだ。レクイエムは読誦に入った。この分で行けば集合時間には間に合うだろう。
そんな事を考えながら、ジムゾンは改めて自分の心の闇の深さを実感していた。それは村人全員に言える事でもあったが糾弾しようという気にもならなかった。教会の儀式が形骸化しているのは年月の垢の所為ではない。人が、自分がそうさせるのだ。

『彼女に真実を話したのですか。』
ジムゾンは自然とそんな事を問うていた。
『話した。』
ディーターの無感動な返事が聞こえる。
『…それで、彼女は何と。』
『それも運命なのだろう、と。特別嘆く事も無い。死ぬ間際までずっと大人しいもんだった。憐れなあなたたちの糧にでもなれば、ともな。後は祈るだけだった。』
ジムゾンの歌声が一瞬途切れた。
『何故彼女を襲撃したのですか。』
『そんなに気にするほどの事か。』
意味の解らない反応としつこい追求にディーターは次第に苛立ってくる。
『私の占いの信憑性を高めるため。そして、彼女がもう一人の共有者だからですよ。』
ぎすぎすしかけた二人を宥めるようにニコラスが返答する。
『えっ。』
『ほぼ間違い無いでしょう。』
驚くジムゾンをよそに、ニコラスは当たり前のように言ってのける。
『ヨアヒム君は急いてますね。だから真っ先に占わせた。自分でもしくじったと思ったのでしょう。票数を集めていたアルビンを難癖つけて処刑しない事で共有者なのだと思わせようとした。』
『そう。私もてっきりアルビンさんだとばかり…。』
『ご老人を処刑したとはいえ、彼はまだ私に対して半信半疑。今日は勝負に出たい所です。』

ジムゾンは未だ複雑な思いを抱えながらも、先程の自分を恥じていた。
『棘付きの車輪。』
『―!』
ニコラスが含みを持たせて呟いた言葉にジムゾンはハッとする。
『ご安心ください、神父さん。如何に散りざまが美しかろうと人は人。彼もマクセンティウスなどでは無い。』*1
『私は、そんな。』
反論しかけたジムゾンの頬は紅潮し火のように熱い。
『何の話だ。』
今にも泣きそうなジムゾンと楽しそうなニコラスの会話が理解できず、ディーターはわけがわからないと言った風だった。
『あなたに内緒の話の一つや二つあっても良いでしょう。』
くっくっ、と言う笑い声混じりにニコラスが答える。
『まあ今は解らないままで居てください。』


「では告白しよう。私が霊能者だ。」
集会で真っ先に宣言したのは、なんとヴァルターだった。
「ヤコブは人間だったが、モーリッツは人狼だった。人狼について熟知していた彼が、とは…皮肉なものだ。」
ヴァルターは沈痛な面持ちでうつむき、首をゆるく横に振った。
「何てこった…あんたが人狼なのか!」
叫んで立ち上がったのはオットーだった。頬を引きつらせながらヴァルターを凝視している。
「霊能者は僕だ!ヤコブもモーリッツもどちらも人間だった!」

『はは。これはいい。実に素晴らしい!』
珍しくやや興奮した様子でニコラスが囁く。
『村長さんが狂っていたなんて…。』
ジムゾンはあまりの事に呆然としている。村一番の人格者である彼が狂人だとは信じられなかった。
『村人騙りの可能性も無きにしもあらずだ。ヴァルターは、賢しい。』
ディーターはあくまでも慎重だが、ニコラスには確信めいた物があるようだった。
『大丈夫。そうであれば対処するまでの事。…フフ、お陰で勝負がやり易くなりました。』

「静かに。」
ざわめく村人達をヨアヒムが制し、続いてニコラスの占い結果発表を指示する。ニコラスは動じる風もなく立ち上がり水晶玉を取り出した。テーブルに置かれた水晶玉は昨日の星の煌きとは打って変わり、真っ黒に染まっている。中心部では星の代わりに真っ赤な三日月がゆらゆらと揺れていた。村人達は揺らめきながら血のような液体を滴らせる三日月を見て表情を恐怖に染める。ニコラスが説明するまでもなく、その禍々しい様子が何を表すのかは容易に予想できた。
ニコラスは真っ直ぐにアルビンを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「アルビンは人狼です。」

「…ああ、爺さんが言ってた事は本当だった!!この偽者!人狼め!」
アルビンは立ち上がって喚き、猛然とニコラスに向かっていく。
「アルビンさん、落ち着いて!」
咄嗟にジムゾンはアルビンを押し留めるが容易くせり退けられてしまう。アルビンは百数十マルクもの荷物を背負って村を渡り歩く行商人だ。見た目はひょろりと頼りなさそうだが、普通の男より寧ろ力はある方なのだ。そんな様子を見かねて渋々ディーターが代わりに押し留める。*2
「殴り合いした所で何の解決になる。」
「放せ!お前なんかに俺の気持ちが解ってたまるか!…それともお前も人狼の仲間なのか?!」
気が動転してかアルビンの口調が変わった。ひとしきりディーターに罵詈雑言を投げ、後はもう訳のわからない事を喚くばかりだった。
「解った。仮にお前が人間だとしよう。お前にはニコラスが偽だと解った。でも俺達には解らない。ここでお前が喚いて暴れて、それで一体何になると言うんだ。お前が人間だと言うのなら、落ち着いて自分の目で見た限りの真実を語れ。でなければ俺達には判断のしようもない。」
「ディーターの言うとおりだ、アルビン。村のためを思うなら落ち着いてくれ。」
「村の為?…は…こんな村の所為でこんな事に巻き込まれて…。被害者の俺がどうしてこんな村の為に死ななきゃいけないんだよ!」
ヨアヒムにさえも食って掛かるアルビンに、横合いから平手が飛んだ。
「落ち着きな!ヨアヒムはまだ処刑するなんて言ってないよ!」
叩いたのはレジーナだった。
「あんたが人間ならそりゃ災難だろうさ。だけどね、だからってこの村を侮辱するのはやめとくれ!」

レジーナの剣幕にアルビンも黙るしかなかった。先ほどの騒ぎが嘘のようにしん、と静まり返る。ずっとレジーナの傍に引っ付いていたペーターはあまりの事に怯え、パメラにしっかりとしがみ付いている。
「レジーナ。」
ヴァルターがレジーナに呼びかけるとレジーナは漸く我に返った。レジーナはらしくない、とでも言うかのように苦い表情で肩を竦めて席へと戻った。
アルビンの騒動で置き去りにされた形となった霊能者二人。現時点では判断のしようもなく、議論は自然とアルビンの処遇一点のみに絞られてしまう。しかし霊能者の真偽を確かめる為にもアルビンを処刑するしか無いのでは無いか、と言う所へ落ち着いてしまうのが関の山だった。
「ヨアヒム、アルビンはお前の仲間じゃあ無いのか。」
ふとそんな事を聞いたのはトーマスだった。
「何故。」
「昨日あれだけ怪しかったアルビンを難癖つけて庇った。」
「そう言われてみれば…。」
オットーも何気なく思い返す。
「それを聞いてどうするんだい。」
ヨアヒムに問われてトーマスは訝しげにヨアヒムを見た。
「アルビンが仲間なら吊るわけにはいかない。またそうならばニコラスが偽だともはっきり解る。もう隠しておく必要は無いんじゃないか。」
ヨアヒムは答えようとはせず、黙って席を立った。暫らくして戻ってきたヨアヒムの手にはカタリナの雑のうが握られていた。雑のうをテーブルの上に置きヨアヒムは席につく。
「僕の仲間はカタリナだった。」

袋から取り出されたのは初日にヨアヒムが見せた物と同じ羊皮紙の巻物だった。
「騙りが出る事を予想して罠を仕掛けようとした。カタリナを人狼だと言えばそいつが偽者だというのは明白になるからね…。」
「裏目に出たな。」
トーマスの厳しい一言にヨアヒムは返答もできずに項垂れる。
「占われた所為で彼女は襲撃され、人間だと確定しているのは結局僕一人。大体仲間が一人潜伏している状態で人狼が騙ったとて、そう易々と人狼だと判定なんてしないんだ…。」
「気を落さないで下さい、ヨアヒムさん。あなたの所為じゃない。」
心配そうなジムゾンの言葉にヨアヒムは少し頷いてみせただけだった。


やがて日が暮れて夜が来た。やはりどう足掻いてもアルビンの処刑は変わる事は無かった。黙りこくり、心象も良くないのではどうしようも無い。 今日はトーマスも処刑に立ち会っていた。錯乱して何をし始めるか解らないアルビンはこれまでの二人とは違って両手をしっかりと荒縄で縛られていた。
これまでのようにジムゾンが告解の有無を聞くとアルビンは鼻で笑って言った。
「俺がアシュケナジーだって知ってるくせに。」*3
ジムゾンは無言で俯いた。彼の話す言葉には特有の訛りがあった。また教会に来ることも無くジムゾンと会話する事もこれまで一度も無かった。行商人という職業柄教会を遠ざけているのかとも思っていたがある時彼が村人と話しているのを聞いて初めてユダヤ人なのだと解った。
「嫌味で聞いたんじゃない事は解ってるよ。それが“形式”だからだろ?」
アルビンの問いかけにジムゾンは戸惑った。返答し果せないうちにアルビンが口を開く。沈黙こそが肯定の証だったからだ。
「愛の神だの何だの言いながら、所詮あんたたちも形にとらわれてるに過ぎないのさ。」
アルビンの言うとおりだった。けれど何かが違う。そう思っていても今のジムゾンにはうまく説明する事も出来なかった。
「俺がただ疎ましかったんだ。俺が呪われし民だから。」
呪われし民。その言葉にジムゾンは表情を強張らせた。
「そんな事はありません。神の愛は…。」
反射的に教義を持ち出してみたものの、その先が続かなかった。目の前に居るユダヤの男が必要の無い存在だなんて事は決して無い。教会の教えで例え忌むべき者とされていたとて、同じ神の子には違いない筈だ。けれど自分は?
罪の無い人を喰い、親しい人でさえもこうして騙している自分こそが必要の無い存在なのでは無いのだろうか。そう、自分は神の子ではなく悪魔なのだから。

「もういいよ。」
嘲笑まじりにアルビンが言った。
「大いなる離散以降何の寄る辺も持てず彷徨う俺達の事なんて、俺達以外には誰も理解できない。」*4
「あなたがそう思っているだけです!」
ジムゾンは思わず叫んでいた。その声にヨアヒムらも驚いてジムゾンを見た。我に返ったジムゾンは恥ずかしさに声を詰まらせながら必死に涙をとどめて続けた。私に言う資格なんてない。無いけれど。衝動のような気持ちだけがジムゾンを動かしていた。
「壁を築いているのは自分なのです。誰かが作るのではない。遠ざけようと思っているから周りも遠ざかる。選ばれた民だという思いが胸にある以上は…教義を形式的にとらえている以上は理解されなくて当然です。」
まるで自分自身に言い聞かせているようだとジムゾンは思った。そして同時に人間であるアルビンへの羨望と嫉妬が溢れている事にも気が付いた。自分の底意地の悪さを実感しながら、それでも言わないよりは良かったのだと自分に言い聞かせていた。
「あんたに言われたく無いね。」
泣きそうになっているジムゾンをアルビンは呆然と見つめ、やがてぽつりと呟いた。微かに笑ったその顔に皮肉さは無かった。

雪のちらつく中で聖句を唱えながらジムゾンはアルビンの遺体を運ぶ三人の後姿を見つめていた。アルビンとは一度ゆっくり話をしてみたかったと思った。これまでで一番大きな喪失感を感じたが涙は出なかった。悲しくないからではない。あまりの事に心を失ったからでもない。ただ生きようという思いだけがあった。
『教えとは身を救うものながら、時としてその身を縛るもの。あんまり深く考え込まない事ですよ。』
歌うようなニコラスの囁きが風にまじって聞こえる。
『さあ、今日の襲撃はもう解りますね。』
『ええ。』
ジムゾンが答えようとした時だった。

『おや。誰かが見ている。』
ニコラスが何かに気づいた。
『右横の森60キュビット程度の位置です。』*5
帰る身支度を整えてカンテラの光を調整しながらジムゾンは人狼の目であたりを見回した。ニコラスが言ったとおり、森の中に人間の反応がある。あれは…。
『トーマスさんですね。』
何時の間に戻ってきたのか。遺体を教会に運んで家に帰ったと思っていたトーマスだった。
『神父さんを監視しているようだ。大丈夫。尾行してくるでしょうがそのまま気づかぬふりして帰りましょう。』
言われたとおり、ジムゾンは何食わぬ顔で教会に向かって歩き始めた。と同時にトーマスの気配も動く。やはり尾行されている。
『ゲルト襲撃後に神父さんが倒れた時といい…。何かあったのですか?』
『いえ…それが、私にも。』
『昔はそうでは無かった?』
『ええ。ああいう態度を取られ出したのはごく最近の事です。』
『どうも何かありそうですね。神父さんの正体に気づいているのか定かではありませんが…今後疑念をもたれないように注意しましょう。』
悴んだ手を聖服の袖に隠しながら、ジムゾンは身を縮めて足早に歩む。背筋に感じる薄ら寒いものは寒さの所為ではない。
ばれてしまった?
初めて感じる恐怖を振り払おうとしてジムゾンはただ行く手だけを無心に見つめていた。


next page →


【注釈】
*1マクセンティウス…4世紀のローマ皇帝。
キリストの花嫁になるというお告げのあったアレクサンドリアのカタリナに改宗させるべく哲学者を送り込むが、悉く弁舌で負かされた。マクセンティウスはカタリナに自分の后になるように言うも拒否され、激怒した彼はカタリナを車輪の刑に処する。棘付きの車輪は天使によって破壊されるが、カタリナは斬首され殉教した。その後カタリナは聖人に列せられるが、実在したのか信憑性に欠ける為後年教会暦から除名された。

*2マルク…重さの単位。1マルクは約234g
*3アシュケナジー…ドイツに住むユダヤ人の事。
*4大いなる離散…通名ディアスポラ。バビロン捕囚の後にユダヤ人が散り散りになってしまった出来事を指す。
*5キュビット…長さの単位。1キュビットは約40〜60cm
back