【宴の終わりに】

「あんな事やって、上からやいやい言われねえかな。」
聖誕祭ミサも無事に終わったその夜、夕食の片付けをしているジムゾンの背中にディーターが問いかけた。
「大丈夫ですよ。」
ジムゾンは手際よく洗い片付けを終えてディーターの待つ居間へ来た。両手に持った揃いのコーヒーカップから良い香りが漂っている。片方をディーターに渡して向かいのソファに腰掛けた。
「けどもし、この中に“人狼”が居たら?俺たちが本当に共有者だって感づくかもしれねえし。」
「事前に本部占い師に占って貰っています。少なくとも、人狼は居ません。…って前にも言いましたよね。」
「いやそうだけどよ…。狂人が、特に囁けるヤツがチクッたら困るなあと。」
ぶつぶつ言いながらディーターはさりげなく立ち上がってジムゾンの隣に座りなおした。
「人狼ももう殆ど駆逐されているのです。それに…この現代ではまず血の宴が発生する事がありません。この村のように閉鎖空間になり得る場所など限られていると今年の中間報告でもあったでしょう?
村への新参者が現れる度に本部の占いにかけているのです。見つけたら仕留めるのは狩人の仕事。まあ私たちが活躍する機会は無いでしょう。」
「ん。」
ディーターは視線は逸らしたまま拗ねた子どものように顎をジムゾンの肩に乗せた。
「やっぱり何時まで経っても子どもです。」
幼い頃にしていたように、ジムゾンはディーターの後ろ頭をぽんぽんと叩く。カラーもせず適当に着ているスータンからは国連の職員証が覗いていた。
「トーマスにはもう少し詳しい話を聞いた方が良いでしょうね。森の中で消えた人狼…。ローテンブルクで取り逃がした金狼かもしれない。」


+++


「いやはや、どこで道を間違えたかな?」
ニコラスは誰に言うでもなく苦笑混じりに呟いた。村に別れを告げてマインツの駅でフランクフルト行きの列車を待っているところだった。
一旦フランクフルトまで出て、そこからロンドン行きのECに乗り換える。引き続き観光旅行…と言いたい所だったが、生憎単なる出張だ。
『ただの村人に転生したまでは良かったけれど、こういう世界は初めてだ。』
はあっと白い息を吐き出して、地面に置いたスーツケースの上に腰掛けた。
『この人生を二十数年生きてきたのに、はらから達も見つからない。…終焉を迎えるより前に、人狼の法自体が崩壊したかな。』
行き交う人たちをぼんやりと見つめる。小さな子を連れた家族、若い恋人達に老夫婦。人の姿は何時の時代も変わらない。しかし利便性は大きく変わった。念話と同じように何時でも何処でも誰かと会話できる道具、神の雷に匹敵する破壊力を持った兵器など。人の力で作ってしまえる事が証明されてしまっている。
自分にはもう天変地異を起こすような力も無い。残された三人のはらから達と共にあれば話は別だが、元より力は、その誇示のために存在するわけでもない。ある契約に基いた事柄への制裁に使われたもので、決して裁くために存在したものではない。神は人を裁きはしない。古より今に至るまで、裁いてきたのは人でしかない。古の神々、そして自分達は、今となっては廃れた力を持っていただけの事だ。そして、それゆえに『神』と呼ばれただけのこと。
『彼らを凌駕する“力”が無ければ、我らが主への畏敬の念も薄れて当然なのか?』
茶化して口にした言葉がやけに青臭く感じられて、ニコラスは自嘲ぎみに笑った。あの村での出来事は楽しいものだった。カタリナやオットーとは家族同然に親しくなれたし、この人生もまんざら捨てた物でも無い。
そんな事を考えていると、視界が何か見慣れない物で遮られた。列車が到着したようだ。ニコラスは立ち上がり、早々に列車へ乗り込んだ。

列車に揺られてどれくらい経ったろうか。俄かに前方の席あたりが騒がしくなった。
「お客様方にお知らせがございます。」
不意に大きな声が聞こえてニコラスは顔を上げた。アナウンスでも使えばいいのに、車掌と思しき男性が前方の通路に立って呼びかけていた。
「この車内にて殺人が行われました。」
車内の全員が一斉に驚きの声を上げた。不安げなざわめきは次第に大きくなっていく。
「殺害されたのはスコットランドヤード巡査長のアーヴァイン・ケインズ様。」
「おや。」
車掌を見た瞬間、ニコラスは思わず目を丸くした。
「こちらはケインズ様のご友人で、目撃者のマンジロー・フジタ様。…フジタ様。たしかに、ご覧になったのですね?」
マンジローと呼ばれた日本人と思しき青年は顔を青くして頷いた。
「け、毛むくじゃらの、化け物でした。アーヴァインが殺されたデッキに。こ、腰が抜けて。気が付いたら、消えて…。」
車掌は結構、と言うように頷いた。
「私は国連の人狼討伐本部ドイツ連邦支局長のヨハネスと申します。人狼出没の報を受け、車掌として同乗させて頂いておりました。皆様、これより一切、私の指示に従って頂きます。」

『人が悪いですね。』
『おやおや、私は法則から外れてしまった君を拾い上げに来たんだよ。』
『それはどうも。』
ニコラスはふっと苦笑いを浮かべた。
『しかしこの構成で名前が元のままとは。いやあ、歪みは簡単に直らないものだ。』
ヨハネスの笑い混じりの声が頭に響く。アーヴァインにマンジロー…。この人物が居る時は姿も名前も変わる筈だが、今回は混在した形になっている。
『短期決戦か。あまり得意では無いんですよ。』
『健闘を祈るよ。』
そこまでで念話は途切れた。勝利するか敗北するかはただ神のみぞ知る。元の流れへ戻るために、そして今度こそ迎えるであろう終焉へ向けて、再び静かな戦いが始まった。


おしまい




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