【青の楽園 第九話】
「パメラ、何か食べないと体に障ります。」 ジムゾンの呼びかけにパメラは答えなかった。床にそのまま座り込み、抱えた膝に顔を突っ伏して黙りこくっている。ジムゾンは屈みこんだまま困り果てて天を仰いだ。好物の筈のかぼちゃスープも今のパメラには本当にどうでもいいようだ。 「もういいよジムゾン。置いて帰りな。腹が減ったら食べるだろうさ。」 レジーナに言われてジムゾンは食事を乗せたプレートを床に置いた。せめて部屋の隅にあるテーブルに置きたかったのだが、パメラの両足はがっちりと縄で縛られている上に柱に括りつけられている。テーブルまで行くことはできない。 「何か用事があったら呼んで下さい。」 そう言い残してジムゾンは地下室を後にした。 夕方再び皆が集まった会議の場でオットーが指輪のことを話した。激昂したパメラは勿論、パメラを擁護するディーターやヨアヒム達とパメラを疑うオットー達と、意見は真っ二つに分かれて激しい論戦が繰り広げられた。しかし他にモーリッツを殺害したと思しき人物はあがらず、結局パメラが地下室に入れられる事になった。 パメラの疑いは指輪をレジーナの部屋に置いた事。暗号以外に人狼を見分ける証拠品となった“666”の数字が刻まれた道具は持っていても不利になるだけ。パメラは既に地下室に入れられたレジーナに罪を着せる為に指輪を置いたという寸法になる。 そうなるとレジーナは白となるわけだが、まだ仲間同士での偽装工作の疑いがあるゆえに地下室に入れたまま様子を見る事になった。 「むさ苦しくなったもんだ。」 オットーはぐるりと室内を眺めてため息をついた。地下室以外にはもう男しか居ない。 「お墓も増えました。」 そう言ってジムゾンは椅子に腰を下ろして肩を落とした。 「ゲルトに始まり、ニコラスさん、カタリナさん、そしてモーリッツさん…。アストラも。夢ならどれほどいいかと、何時も思います。」 「ああ、もうとんでもない悪夢さ。」 オットーは肩肘をテーブルについてジムゾンと同じように明後日の方向を見つめた。 「なあジムゾン。」 不意に声をかけられてジムゾンが顔を上げると目の前にディーターが立っていた。ジムゾンは一瞬、顔を強張らせた。ディーターは神妙な顔つきで辺りを見回し、他に誰も居ないのを確認しつつも声を潜めた。 「今日お前の部屋で一緒に寝ていいか。」 「はあ?」 頓狂な声を上げたのはオットーだった。ジムゾンは驚いて目を丸くしたままディーターを見つめている。 「いやさ、俺の部屋カタリナの部屋の真下だろ。もう寝ようと思ってさっき部屋に一旦引っ込んだはいいんだが、どうも天井のあたりに何か気配を感じて薄気味悪いんだよ。 ほら、ここ古いじゃねえか。天井にもちーせえ穴があいてるし。そこからこう、浮かばれない血塗れの亡霊が俺をじーっと見てるような…。」 言い難そうにそわそわしたディーターの様子を見て、オットーとジムゾンは顔を見合わせ、大笑いした。 「しーっ!ンな大声だしたらバレんだろ!」 「だ、だって。お前。何?オバケが怖いんだよな?ようは。」 「くっくっ…あなたの顔見たら亡霊の方が逃げ出しますよ!」 腹を抱えて笑う二人を見ながら、ディーターは顔を真っ赤にしたまま苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。 「でも。オットーが今日当番なんですから、オットーの部屋を借りてはいかがですか?」 「断る。部屋が男臭くなったら嫌だ。」 「オットーも男でしょう。」 「俺は同じ男でもお上品なの。ここは親友の名においてジムゾンが間借りさせてやるべきだ。甘えん坊のディーター君のために。」 「てめえら…。」 ディーターは額に青筋をたて、今にも爆発しそうな表情で二人を睨んだ。それを見たジムゾンは唇を尖らせてぷいとそっぽ向いた。 「そんな怖い顔する人とは一緒に寝たくないです。」 「すみませんぼくがわるかったです だからいっしょにねてくれるとうれしいな、とおもいます まる」 ディーターが風呂に入っている間、ジムゾンは再び暗号との格闘を始めた。部屋の隅のテーブルに向かい、時折あーだのうーだの唸りながら思いつく限りの組み合わせを力任せに書き綴っている。ジムゾンの横に置かれたゴミ箱からはぐしゃぐしゃに丸められた紙がそろそろ溢れそうな勢いだ。 「どうかな。状況は。」 ヴァルターは茶を飲めの菓子を食えの、何かしら理由をつけてはしょっちゅう状況を窺いに来ている。まるで秋から大学に行く事が決まっているヨアヒムが受験勉強していた時のようでもあった。そしてヨアヒムがそうであったようにジムゾンもまた返事もろくに返さず考えつづけ、ガリガリと書き続けていた。 「あっ。」 ヴァルターが寂しそうに踵を返した瞬間、ジムゾンが声をあげた。 「何か解ったのか?」 声を上ずらせながらもヴァルターは周囲を見回した。今一階の広間に居るのは見張りのオットーだけだ。ジムゾンは相変わらず返事を返さず鉛筆を滑らせ続ける。暫くして手を止めると少しの笑みを浮かべてヴァルターに向き直った。 「単純だったんです。このPSAは!」 二人は時折辺りを窺いながら、ぼそぼそと話を続けた。 「PSAというのもまた、ゲマトリアだったのです。PSとは“700”Aとは“1”の事。つまり、“701”です。」 ジムゾンは最初の暗号から下に矢印を引いて文章を訂正する。 『ヨハネ 1318 701 神になろうとした者が犯した罪の理由』 「この、“神になろうとした者”とはカインの事を指すのだと思います。カインは自分で育てた作物を神に捧げたが故に神に受け取ってもらえませんでした。それというのも、作物を育てるという行為は物を自らの力で作るという事=創造。となって、それを捧げるという事は、神に感謝するというより神に近付こうとした或いは神になろうとした傲慢の表れだと受け止められたからです。」 「うむ。それを知った当初は、神は残酷な仕打ちをなされると思ったものだ。」 「解釈のしようですからね。それはさておき、カインの犯した罪というのは“殺人”です。でも、ここに直接当てはめても無意味です。となると、これは前の数字“701”を“1318”に対してどうにかしろという意味に思いました。 殺人は人を亡くしてしまう事。数の問題としては、“減らす”という事です。だから。」 『ヨハネ 1318-701』 「解は“617”です。色々試した結果、しっくり来る単語が出来上がるのが一つだけありました。“2+5+10+100+500”です。 このままだと意味が通じないので並べ替えます。すると“2+100+10+5+500”つまり“brief(手紙)”なんです。よって。」 『ヨハネの手紙』 「ページ数などは記されていませんが、3つある“ヨハネの手紙”の中のどこかに答えがある筈です!行きましょう、村長さん。ゲルトの家へ!」 ところが、そこには何の手がかりも記されてはいなかった。 ゲルトの家から戻ったジムゾンはどんよりと沈んでいた。続いて戻ってきたヴァルターは宿の扉を閉めてカンテラの火を吹き消した。 「何も無かったのか?」 就寝前の茶を飲みに下りてきていたトーマスに問われ、ジムゾンは小さく頷いた。同じく下りてきていたヨアヒムや、オットーも揃って残念そうな声をあげた。 「間違ってるはずは無いのに…。」 「私もあの回答が正しいのだと思うよ。」 ヴァルターは慰めるようにぽんぽんとジムゾンの肩を叩いた。 「ただ残念な事に、ゲルトの家は荒らされてしまっている。人狼がそれとは知らず証拠品を破棄してしまった可能性もある。 それはそれで仕方が無い。こちらには手がかりもあるのだし、また明日から頑張ればいい。」 「その手がかりが容易く見つけられれば良いのですが…。」 ジムゾンは倒れるように椅子に腰掛け、テーブルに肘をついた片方の手で顔を覆った。 「モーリッツさんが仰っていたのです。“恐らく見つからない”と。」 「でも今日また一つ見つかった。悲観する事は無いとも。」 ジムゾンは暫くしょげていたが、ふと思い出したように立ち上がって地下室へ向かう。 「地下室に居る者に何か聞いても雑音になるだけだぞ。」 ヴァルターはさすがに渋い顔をしてジムゾンの背中に忠告を投げかけた。 「パメラに残していた食事を下げて来るだけです。食べて無くても、放っておいたらこの暑さでは傷んでしまいますから…。」 地下室は青白い光で満たされていた。持ってきたカンテラの明かりよりも明るく思える。パメラとリーザは眠っており、食事には手はつけられていなかった。 「窓、もう少し開けましょうか。」 「頼むよ。」 レジーナに言われてジムゾンは一番奥にある高窓に歩み寄り、持ってきた踏み台に上って窓を全開した。夜空には雲一つなく、一面に散りばめられた星と共に帯状に広がった大小様々な星の集まりも見えた。天の川だ。 「綺麗ですね。」 ジムゾンは暫し我を忘れて見入った。 「赤い月には劣るさ。」 突然の声に驚いてジムゾンが振り返ると、壁にもたれて目を閉じていたヤコブがぼうっと床を見つめていた。ここに集められた者達でも大抵挨拶など二三の言葉は交わしていたが、ヤコブだけは捕えた日以来こちらから話し掛けても沈黙を続けていた。 「見た事あるかな。皆既月食だ。あれはとても綺麗だよ。」 「神秘的、ではありますね。」 同時に不気味でもあるのだが、ジムゾンは敢えて口にしなかった。そうしてヤコブの前に屈みこむと唐突に切り出した。 「ヤコブは、どうして人狼の事を知ったのですか?」 無回答も覚悟だった。だがヤコブは一瞬きょとんとした後で苦笑しながら口を開いた。 「さあ、何時の事だったかな。」 「本人との接触があったのですか?」 「いいや。俺は誰が何なのかは何も知らない。」 ヤコブは首を横に振る。予想していた回答だった。嘘であれ真実であれ。 「“666”の数字を見た事も?」 「無いね。…ハハ。でも自分の額に刻もうとした事はあったかな。」 「額?」 「ナイフで軽く傷つけただけさ…。小さい頃の事で、母親に見つかって、こっぴどく叱られたけどな。」 乾いた笑いを漏らすヤコブを見ながら、ジムゾンは記憶の棚から取り出したヨハネの黙示録の項を繰っていた。額。額。そうだ。 ―また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、全ての者の右手か額に刻印を押させた。 この刻印のある者でなければ、物を買う事も売る事もできないようになった。この刻印とはあの獣の名、或いはその名の数字である― 「それこそが真に正しき者への帰依。今ある“神”なんてまやかしだ。…アハハ。俺の言う事を信用するのか?子どもの与太話を。信じろ。信じるな。決めるんだ。お前が。お前の一言が無辜の民を断罪するんだ。俺を、リーザを、レジーナを、パメラを。死体を積み上げて天に手を伸ばすのさ!」 ジムゾンは最後まで聞く事もできず、逃げるように地下室を出た。扉の向こうから、まだヤコブの笑い声が聞こえていていた。 自室に戻ると、ジムゾンは寝台の上にうつ伏せに倒れこんだ。やはり聞くべきでは無かったろうか。だがあのヤコブの様子からして、彼が正気ではない事だけはなんとはなしに理解できた。 暫くして扉を叩く音が聞こえた。 「俺だ。…居んのか?」 扉の向こうからディーターの声が聞こえ、ジムゾンは漸く彼を部屋に泊める約束をしていた事を思い出した。 「どうぞ。」 返事と同時に扉が開きディーターが入ってきた。湯気で立ち上るハーブの香りをかいでジムゾンはもう一度風呂に入りたくなった。少し気晴らしをしているつもりだったのに、さっきの一件でまた汗をかいてしまった。 「何やってんのお前。」 ジムゾンは返事のかわりに上体を起こして寝台の淵に腰掛けた。ディーターがその隣に腰掛けると寝台がギシッと音を立てた。 「ベッドが傷んでる。」 「あなたが重いからでしょ。」 ディーターが生乾きの髪の毛を荒かましく拭くので水滴がジムゾンの頬に飛んで来た。文句を言おうとしてジムゾンはディーターの方を見る。視界に入ってきた裸の上半身はあちこち傷だらけだった。 いつも上半身は何も着ない上に上着を羽織っているだけなので、胸の大きな傷などは目にしていた。が、僅かに上着に隠れていた部分にもこれほど傷があるとは思いもしなかった。 刹那、先程のヤコブとの会話が思い出された。ヤコブは聖書の記述に倣って額に傷をつけたと言っていた。聖書のとおりに準えるのなら、額にその“666”があっても不思議ではない。ディーターは何時も頭に布を巻いていて額は隠されてしまっている。 モーリッツは言っていた。“果たして物かどうか…。”と。肌に刻まれているとしたのなら。あまりにも近すぎて誰も気付かない。灯台下暗しの盲点だ。 ジムゾンが逸る気持ちを抑えきれずに顔を上げるとディーターと目が合った。同時に見えた額には“666”の印は無かった。 ふーっと安堵の吐息を漏らしたジムゾンをディーターは怪訝そうに見つめた。 「なんだよ。これがそんなに気に入らねえか?」 そう言われてジムゾンが顔を上げるとディーターは指先で自分の額を示していた。そこには矢張り印は無かったが、横一文字に大きな傷跡が刻まれていた。 「い、いえ。」 普段から覆い隠しているのだ。ディーターは傷の事を気にしているのかもしれない。それ以上触れない為の曖昧な返事だったが、余計気にさせてしまったかもしれない。と、ジムゾンは後悔した。 「ご心配無く。もうこんな危ねえ事はしねえよ。」 「う?」 「てか、今だったら喧嘩になってもそう気安く相手に攻撃させねえからよ。」 どうやらディーターは、ジムゾンが傷の多さに呆れていると思ったらしい。 「喧嘩そのものをやめて下さい。」 ジムゾンは複雑な笑みを浮かべた。 「お前だって昔は俺に喧嘩吹っ掛けてたくせによ。」 「昔は昔です。今はそんな乱暴しませんし、運動もしてないんですから勝てませんよ。」 つんとすまして言うジムゾンを見てディーターは意地悪く笑う。 「どうだか。」 突然視界が傾いた。わけも解らずきょとんとしたジムゾンの目の前にはディーターの顔がある。髪の毛の先からしたたった水滴が頬を濡らし、ジムゾンは漸く我に返った。 「あぁこりゃホントだ。」 ディーターは苦笑し、すぐにジムゾンを解放して元の位置に座った。寝台に仰向けに倒されたまま中々動かないジムゾンを見てディーターが起こそうと手を伸ばすと、ジムゾンは肩をびくっと震わせた。 「…お前さあ。」 ディーターは明後日の方向を向いたままぽつりと漏らした。 「俺の事、疑ってね?」 ジムゾンは答えなかったが、表情の僅かな動きは肯定を示していた。 「今日モーリッツの家に行ったっての。あれ、嘘だろ。」 ドキリとしてジムゾンが視線だけディーターに向けると、ディーターもまたジムゾンを見下ろしていた。ジムゾンはゆっくりと上体を起こして座りなおした。 「嘘じゃありません。」 「ああ確かに嘘じゃあねえな。お前はモーリッツの家に行った。だが用事があったのはモーリッツの家じゃない。上にある俺の家だ。」 ジムゾンは顔を強張らせたままディーターから視線を逸らした。 「“聖書にまつわる比喩表現”。持ってただろ?俺はあれをモーリッツに返した覚えはねえ。」 相変わらず沈黙を続けるジムゾンに痺れを切らし、ディーターはジムゾンの両肩を掴んで無理やり自分の方を向かせた。 「なあ、何を見たんだ。何があった?“青の会”の事か?やっぱりモーリッツが何か言ったんだな?」 「やっぱり、って…。」 「…ああ、違う!そうじゃない。その事をモーリッツが知ってるのは知ってたが、俺は犯人じゃねえからな!余計な疑念を蒔きたくないから黙ってただけだ。」 「…嘘つきましたね。知らないなんて。」 ジムゾンは厳しい目を向けた。 「ああそうだ。でもこれでおあいこだろ?お前だって俺の家に入った事を隠してた。そこで俺を疑うような何かを見て、危ういと思ったから嘘ついた。俺が青の会に所属していたのを隠していたのも同じ事だ。」 暫くお互い見つめあったまま黙っていたが、そのうちディーターは目を逸らして肩を落とした。 「炭鉱で働いてた時に同僚から誘われただけだ。実際ただの互助会だったし、変な儀式も無かった。」 「でもおかしいですよ。青の会はインテリ層、もしくは紳士の間で広まっていると聞きます。あなたのような人に声がかかるなんて。」 「随分なお言葉だな。」 さすがにディーターもムッとした様子だった。 「それで、お前は俺の部屋で何を見た。“格言集”か?悪いが“学歴もない”“低所得層”の俺はラテン語でもフランス語でも、解らん言葉を暗記なんてできねえ。教会にあの文字を書いたのは俺じゃねえ。」 自分が蔑むような発言を暗に言ってしまった事実を突きつけられて、ジムゾンはウッと言葉を飲み込んで体を引いた。 モーリッツは言っていた。自分に話をあわせようと努力しているのではないかと。少なからず気にしているであろうのに、体にある無数の傷なんかよりもっと嫌な心の負い目を刺激してしまった。 親しき仲にもある礼儀の一線を超えてしまった事、そしてディーターが感じたであろう不愉快さを思うに、ジムゾンは体から血の気が失せるのを感じていた。 「ご…ごめんなさい…。」 「ンな事はどうでもいい。それより何を見たんだ。なあ。俺の家は窓は建て付け悪いが、ドアは鍵が無くてもガチャガチャやってりゃ開くようなモンなんだ。もし俺が留守の間に誰かが何かをしてたなら、それが手がかりになるかもしれねえ。」 俯くジムゾンをディーターは少し強く揺する。と、パタパタっと水滴が二つシーツの上に落ちた。 「ごめんなさい…。ごめんなさい…ディーター…。」 語尾はもう言葉にもならなかった。ディーターはそれ以上強制もできず困ったように頭をかいた。 「いいんだよ。もういいって。本当の事なんだしよ。」 ディーターは泣きじゃくるジムゾンの背を手繰り寄せて抱き、子どもをあやすように頭を撫でながら途方にくれた。こうなった時のジムゾンが元の調子に戻るのが遅い事を誰よりよく知っていたからだった。 あくる朝、ジムゾンが目を覚ますとディーターはまだ眠っていた。ジムゾンは腰に置かれた腕を慎重に外して寝台から降りた。泣き疲れてそのまま眠ってしまっていたので簡単に衣服を整える。幸い、目だった皺はついていない。部屋から出ようとしてふとディーターを見ると、先程退けた弾みでなのか両手に巻かれている包帯のような布が緩く解けていた。 額の布と同じくディーターは何時も手袋をしている。食事の時などは外すのだが、それでも手に巻いている布は外さない。拳闘でもするんじゃないかと言う事で今まで誰も言及する事が無かった。 ―全ての者の右手か額に刻印を押させた― 黙示録の一節がふと思い出される。昨晩は感情が昂ぶってしまって包帯の事は忘れてしまっていた。下着の事だって結局言えないままだった。 たしかにディーターはこの布を決して外さない。でも、額のそれと同じ事で目を背けたくなるような酷い傷痕があるから見せたがらないのかもしれない。確かめよう。きっと傷痕なのだろうけど、見て安心したい。 ジムゾンはゆっくり歩み寄ってディーターの腕を覗き込んだ。 「痛っ…。」 支えにしようと窓辺に置いた手に痛みが走る。見ると窓の木枠が削れてとげのようになっていた。指をさすりつつ更に覗き込むが、よく見えない。ジムゾンは静かに寝台へ近づき、意を決して布の端に手をかけた。起こさないようにそっと持ち上げて布を外す。 一重二重と外してとうとう最後の一巻きをめくった瞬間、ジムゾンは息を飲んだ。あらわになった右手の甲には火傷の痕のような物があった。いびつな形の火傷の痕は、はっきりと“666”の数字を浮かび上がらせていた。 次のページ |