【恩愛の夜明け 第六話「二人のドルイド」】
ピルゼン訪問は意外にあっさり終わった。不安が大きくなっていたジムゾンにとってこれは嬉しい事だった。すぐにもウィーンへ向かうかと思われたが、何を思ったかロタールはオルミュッツまで一旦戻ると言う。あまり寄り道をするのもどうかと渋ってみたものの、またディーターは同意してしまった。ライナー、ひいてはクララを待たせてしまう事になるが仕方が無い。もう兵団に勧誘される心配も無いのだから、とジムゾンも同行する事にした。それからゆうに四日をかけて、三人はオルミュッツに到着した。 モラヴィアの中心地、オルミュッツはやや小ぢんまりとした都市だった。規模としてはインゴールシュタットと同じか、やや小さいくらいだろうか。町に入るなり兵士達の出迎えを受けたあたり、ロタールは端からここへ立ち寄る事を決めていたようだった。小高い丘に立つ城へ辿り着くと、一人の男がばたばたと早足でやって来た。 「あ、兄上。プラハから、いや、き、宮中伯、カペル卿が」 焦ってどもる男――弟なのだろう――にロタールはやや顔を顰める。 「客人の前で失礼な。落ち着いて話せ。請求書でも来たのか」 「そ、そうです。請求書がですね。何でも扉の修理代とかで。全体、今度は何をやらかしたんですか。三月前だって、いきなり馬車一揃えの請求書が来るし」 三月前の馬車となると、ディーターがインゴールシュタットで迷惑料と請求してせしめた分ではないかと思われた。今にして思えば確かに、一介の異端審問官兼修道士が昨日の今日で捻出できる物では無かったろう。それにしても、きっちり修理代を請求してくるあたりはさすがしつこいリヒャルトである。牢で迫られた恐怖を思い出してジムゾンは思わず身震いした。 「やらかしたんじゃない。正当な任務だ」 ロタールは事も無げに言い捨て、こちらに向き直った。 「弟のユリアンです。私が居ない間執務の代行をしています」 互いに簡単な自己紹介と挨拶を済ませて、ジムゾンは改めてユリアンを見た。ロタールと同じ長い黒髪で、体格もよく似ている。しかし顔立ちは正反対にお人好しそうと言うか、気弱そうなものだった。態度も見た目通りで、特に不安げな丸い琥珀色の瞳はどことなく修道士見習いのヨハンを思い出させた。紹介を終わらせると、ロタールはユリアンを放ったらかしてジムゾンらを促した。遅れてやってきた侍従達が案内を買って出たが、それも断っていた。廊下を歩きながらジムゾンが振り返って見ると、ユリアンは諦めの表情で肩を落としていた。 「ヨハンを見ているとどうも弟を思い出しましてね。それでお守りを引き受けていたのもありました」 ロタールは溜息混じりに呟いた。 「私もプレンツラウに入った時、本当は愚弟に家督を譲り渡すつもりでいたのです。が、泣いて引き止められてしまってこういう中途半端な状態に」 「そりゃそうだろうよ」 ディーターは明後日の方向を見ながら苦笑した。ユリアンはどう見ても辺境伯という器ではない。ただの領主と言うなら何とかなったかもしれないが、辺境伯は常に異民族の侵略に備えなければならない指揮官でもある。その為他の領主らと違って自治権など大きな権限が与えられているのだ。しかもモラヴィアはオスマントルコへ直に接する防衛の要所である。その上今は北からスウェーデンが侵略の機会を窺っているような状況だ。尚更任せるわけにはいかないし、ユリアンとしても任されてはたまらないだろう。 「当時はあれに任せても良いと思ったんだよ。今となってはとんでもない話だが」 と、ロタールも苦笑いした。そうこうしている内に小さな広間のような部屋へ辿り着いた。てっきり客室にでも連れられるのかと思っていたが、一体何事だろうと思いつつジムゾンは中へ足を踏み入れた。 「神父様!」 どこかで聞いた声だった。そして目にした光景に、ジムゾンもディーターも唖然とした。目の前にはなんとクララが。しかも立って、そこに居た。それだけではない。クララの傍らにはヨハネスの姿もあり、更にそのすぐ横には帽子から外套まで緑尽くめの金髪の青年が一人、涼やかな笑みを湛えていた。 「ニコラス!」 ディーターが珍しく驚いた様子でその名を呼ぶ。 ニコラスはかつて村で一緒になった人狼で、ヨハネスと同じく古いケルトのドルイドだ。旅の吟遊詩人として旅芸人の旅団と共に村へやってきて、壊滅後は二人と別れて一人で旅に出た。 ドルイドは古代ケルトの祭司、賢者と呼べる存在であり、とうに滅びて久しい。しかしニコラス達のように人狼の法則を作り上げたドルイド達のうちの一部はその法則に縛られており、通常の人間同様人生を終えた後も、再び同じ外見、性格や記憶を引き継いで生まれてくる――転生を繰り返している。 ジムゾンはあまりの事に混乱しつつも、喜びを隠し切れず駆け寄った。 「異端だと知れると色々厄介になりそうだったのでこちらに引き取ったのです。治療中だったのでヨハネス神父とそのご友人にはとばっちりを食らわせてしまいましたが」 ロタールは口の端を引き上げてニヤリと笑う。直接ウィーンへ行かず、迂回させたのはこの為だったのだろう。したり顔で感動の再会の様子を見つめていた。異端審問官の癖に異端の人間を見逃すとは考えられない話だったが、ロタール曰くにはそう四角四面な物でも無いそうだ。 「ニコラスさんにまで会えるなんて、何とお礼を言ったら良いか!」 ジムゾンはすっかり感激してロタールを見た。が、すぐにその表情は固まってしまう。 「どうかされましたか?」 それに気づいたニコラスはジムゾンの顔を覗きこむ。 「――ニコラスさんと一緒で。ブラザー・ヨハネスも居て。しかもクララさんが居るとなると。一寸、拙いのでは無いでしょうか」 ジムゾンは固まったまま、顔だけをゆっくりディーターに向けた。ニコラスが居る事で人狼が三人になった。そしてヨハネスは狂人で、クララは占い師である。更にオルミュッツは城壁に囲まれた小規模な城塞都市でもある。これで城内に狩人と霊能者が居たら完全にお終いだ。すると、そんなジムゾンの心配をよそにニコラスが笑った。 「大丈夫ですよ神父さん。閉鎖的でも大きな町では何も起こらないんです。それに、ギレッセン卿がいらっしゃる」 「はい?」 訝しげに問うたジムゾンに、今度はヨハネスが返答した。 「ハムステルンならともかく、葬送の子が居ると法が混線して効力が消えてしまいます。ご領主がいらっしゃる間は、たとえ閉鎖空間で役者が揃おうとも、宴は始まらないのです」 ジムゾンは長い溜息と共に胸を撫で下ろした。 「葬送の子だと何故知ってる」 ニコラスと話していたディーターはふっとヨハネスに顔を向けた。ヨハネスは相変わらずにこにこしている。 「ここまで護衛して下さった兵士さんにお伺いしました。いや、偶々蝙蝠に変化されたのを目撃してしまいましてね」 「スラヴの法は畑違いですが、よく存じ上げています」 と、ニコラスも横から添えた。 「ところで、怪我と病は」 「ええ、お陰様で完治しました」 ロタールから話を振られてクララはにっこり笑う。が、すぐに笑みは自嘲気味な苦笑に変わる。 「人狼と狂人に助けられる占い師なんて、前代未聞かもしれません」 「何時でも敵対するわけでは無いですよ。特性以外は、普通の人間と同じなのですから」 ニコラスはクララに微笑みかけた。 「そうそう、あなたにこれを」 ヨハネスは不意にジムゾンへ何かを手渡した。ジムゾンの手の平に置かれたのは、預けていた卵型のドルイドベルだった。小さく揺れているが音はしない。 ひょんな切っ掛けで手に入れたこのドルイドベルは、別名を『生贄の鈴』と言う。手にした人間は人狼の囁きを聞けるようになる代わりに、血の宴に際して真っ先に犠牲となる運命にある。ジムゾンは、鈴の音を鳴らし続けているにも関わらず無事で居るのをクララに疑われ、今回の騒動に巻き込まれた。しかしドルイドベルは元々伯父アロイスの持ち物であったと言う。言わば唯一の形見とも呼べる代物であるがゆえに、ジムゾンはどうしても持っていたかった。それゆえ、音を消して持ち続けられるようにして貰う為、ヨハネスに預けていたのだった。 「もう鳴る事はありません。音の楽しみは減ってしまいましたが」 「有難うございます。本当に、持っていられるだけで十分です」 ジムゾンは嬉しそうにドルイドベルを両手で包み込み、そっと懐に仕舞いこんだ。 「これも返すよ。随分助かった」 ディーターはヨハネスに慈悲の刃を差し出した。 「それは良かった。何なら、差し上げても」 ヨハネスの申し出にディーターは笑って首を横に振る。 「俺がずっと持っていていい物じゃない。何時か狩人に生まれるような事があったら、その時にでも貰うさ」 冗談めかした一言だったが、ヨハネスは何時ものように穏やかな笑みを浮かべた。 幾らか取りとめも無い雑談をした後、会食の席でそれぞれ行く先について話し合った。乗りかかった舟だと言う事で、ヨハネスもクララを送り届けるまで同行を。ニコラスはウィーンの森で冬を越す予定らしい。結果、全員一致でウィーンへ行く事となり、出発は明日に決まった。 解散して広間から出たところでジムゾンはロタールに呼び止められた。促されるまま辿り着いた一室はロタールの私室と思われた。領主の部屋らしく重厚な赤い絨毯が敷かれ、年代物の調度品が置かれている。しかしジムゾンの父の私室と同じようなもので、辺境伯にしてはやや簡素と感じられるくらいだった。全体に生活感も無く、長らく不在状態になっているのが窺える。 「ユリアンさんが代行をなさっているのですよね」 ジムゾンはゆっくりと歩きながら部屋を見回す。 「していますよ。私は基本的に南のブリュノを拠点にしていますし、この部屋も使えと言うのにそのままにしてる」 などと溢しながらロタールは執務机に指を這わせる。掃除はきちんとされているようで、離した指に埃はついていなかった。ジムゾンに応接用の椅子へ座るよう促し、自身も向かいの椅子に腰掛けた。 「ずっと気になっていたんですけど。ブラザーはどうして軍を離れて異端審問官になったんですか?」 椅子にかけるなり、ジムゾンは問い掛けた。ピルゼンでロタールは“そのうち解る”と言ったが、解らないままだった。傭兵になっていた理由は知っている。だが、何故突然辞めたのか、家督を継ぎたくなかったのかは良く解らなかった。吸血鬼だと言うならともかく、死後十分な措置を取ればそうはならないで済むのだ。仮に妻を娶れない事情があったとて、その時こそ弟に譲れば済む話だろう。 ロタールは暫く黙っていたが、やがて諦めたように口を開いた。 「半分は単純に隠遁したかったのです。変に考えが老け込んでしまいましてね。あとの半分はアルブレヒト――ヴァレンシュタインを陰から支えようと思っていたのです。高尚な理由ではありません。ご存知の通り、彼は元々新教徒です。もし謂れ無き異端の疑いがかかった時には、私がいいように口添えしようとね」 予想外の返答だった。ピルゼンで見る限り、ロタールとヴァレンシュタインは方針にかなりの食い違いがあるようだった。軍を辞した理由も、意見を違えたからなのかと思われていたくらいだ。異端審問官になってまで彼を支えようと思ったのなら、何故今になって見捨ててしまうのか。ジムゾンには不思議で仕方が無かった。するとジムゾンの疑問を見透かしたかのように、ロタールは説明を続けた。 「十二年前のプラハ、白山の戦いでボヘミアのスラヴ人貴族はほぼ壊滅しました。民衆も母語であるチェコ語を禁じられ、かつてスラヴ人の国であった頃の面影は殆ど無い。私もスラヴ人です。できる事なら、せめてスラヴ人の手に支配権を戻したかった。それゆえ彼の手助けもしていました」 淡々と語るロタールを、ジムゾンはただ見つめる事しかできなかった。そうだ、幾ら大義名分があったとて、事実上神聖ローマ帝国はボヘミアやモラヴィアを力で制圧したも同然だ。名前も身なりもドイツ式。言葉に何の訛りも無い。てっきり同じ国の人間だと思っていたロタールが、急に遠く感じられた。と、同時に、プラハのティーン教会で彼の見せた寂しげな表情の理由がやっと理解できた。 「ですが人の欲望とは恐ろしいものだ。小貴族に過ぎなかった彼は侯爵、そして公爵となり今や私と同列。しかも此度の召集では選帝侯位まで求めたと専らの噂で、事実そうだとピルゼンで確認しました。――彼が何故それほどの野心家になったのか、境遇の事から散々聞かされて良く知っています。しかし多少の野心は構いませんが、過ぎた欲と性急さは争いを生む。その事についても充分忠告してきましたが、私からの忠告もやっかみとしか思わなくなってしまった。私は新たな火種を作る為に動いていたわけでは無いのです。あくまでも自治権を取り戻させ、ゆるやかに独立させる事が理想でした。私達がそうしてきたように」 暫くの間、部屋は沈黙に支配された。壁も扉も分厚い為、外の音は何一つ入ってこない。落ち着かなくなったジムゾンが指を弄る音さえも大きく反響しているのではないかと錯覚を覚えるほどに静かだった。そのうち指を弄るのにも飽いて髪の毛を弄り始めた時、ロタールが漸く口を開いた。 「さて、お呼びした本題ですがね。これまで陛下と面会した事は」 あまりに唐突な問いでジムゾンは面食らった。陛下というと、皇帝以外に無い。面識など無い事くらい解りそうな物なのに、とジムゾンは内心複雑だった。 「いいえ。だって、本当の叔父だという事も最近知ったくらいですし。――母の事で確執があると思って避けていたくらいです」 ジムゾンの返答に、ロタールは少し考え込んでいるようだった。 「プラハを発つ前ライナーから聞いていたのですが。あなたにね、陛下からのお招きがかかっていると言うのですよ」 ジムゾンもまた考え込んでしまった。幾ら実は血縁関係にあるとはいえ、あまり大きな声では言えない関係だ。母に対する恨みつらみを息子で晴らそう、などと言う事も考えられなくも無いが現実的ではない。何しろ皇帝フェルディナントは本当のバイエルンの公女と結婚し、その死後後妻を娶っている。幾らなんでも、一人の女に何時までも執着しているとは考えられない。悪意あっての招きとは思えないが、それにしても妙な話だ。ジムゾンは怪訝な表情でロタールを見た。 「それって、ライナーさんの勘違いなんでは」 「いや、ライナーに限ってそれはありません。その言葉を聞いた時書記官のオットカルも居たと言います。しかもあなたが望むなら、宮廷付きの司祭にしたいとも」 ジムゾンは益々困惑して首を傾げた。実は人狼だという事がバレていて、行ったが最後処刑されてしまうのでは無かろうか。或いはまだバレていなくて占いにかけられ、人狼と判定が出た暁にはルーデンドルフの領が潰されてしまうとか。いやいや、そんな恨みの執着は無い筈だ。と、考えは堂々巡りするばかりだった。 そんなジムゾンの様子を見ながら、ロタールは椅子に背を凭せかけた。 「ヨハネス神父らの話からすると、都市部ならあなたも幾らかは伸び伸びできる。旅を続ければ常に血の宴とやらに怯えなければならんでしょう。選択肢の一つとしてウィーンに留まる事を考えてもよいのでは」 ジムゾンは一瞬目を見開き、すぐに俯いてしまった。確かにそれもありだろう。ウィーンに留まり続けられれば、宴に怯える事無く、さして不自由も無く暮らせるだろう。だがディーターと別れる事になってしまう。彼の居ないこの先の人生なんて想像すらできない。何時もなら即断る所だが今回は状況が少し違った。 「勿論、断る事も可能ですよ。公式の呼び出しでも無いのですから、義務はありません。ライナーには私から言って――」 ジムゾンが上の空なのを見てロタールは口を噤んだ。ジムゾンは断れないかを考えているわけではない。ここで召し出しに応じればディーターを自由にさせられる。果たしてディーターは何を望んでいるのか、自分と共にある事を望んでくれるのか。そればかりを考えていた。 「あなたとしてはディーターと四六時中共に居たいところかもしれませんがね」 やや険しい表情を浮かべたロタールの一言に、ジムゾンは僅かに身を震わせた。離れたく無いでしょうが、彼にとってはその方が有益かと。そんな言葉が続くような気がして、急に血の気が引いていくのが解った。 ロタールはディーターの能力を随分高く評価しているようだった。ピルゼンでは一旦ヴァレンシュタインの勧誘を遮ってくれたものの、あくまで脱線した話を戻すために過ぎなかった。野に埋もれさせておくには惜しいとまで言った、そのディーターを独占したい気持ちを責められているような気さえした。 「そんなのじゃありません、そんな」 ジムゾンは所在無げに視線を彷徨わせ、片手を緩く握って口元に押し当てる。 「だって、ウィーンなんて。知らない人ばかりで。それに、まだ」 独り言のように呟いた言葉の最後は、若干涙混じりになってしまった。ジムゾンは徐に立ち上がる。 「ウィーンに行くまで考えてみます」 言い残して踵を返し、足早に扉へ向かった。その背に、どこか諦めたような声がかけられる。 「まあ、ゆっくりお考えなさい」 『何の話だった?』 ジムゾンが客室に帰るなり、ディーターからの囁きが聞こえた。どんよりした今の自分の顔を見られないだけ幸運だったろうか。 『皇帝陛下から、私を宮廷司祭にしても良いというお話が出てるんですって』 『へえ』 『驚かないんですか』 『ライナーが閲覧もすぐ許可されたって言ってたじゃねえか。堅物で有名な皇帝がすんなり許可するって事は、それなりに目をかけてんだろ、お前に』 会った事も無いのに、とジムゾンは独りごつ。 『ディーターはこのお話、どうしたら良いと思いますか?』 期待と不安で一杯になりながら、ジムゾンは勇気を振り絞って聞いてみた。何時もなら大抵、お前が決めろとすげなく即答されてしまうのだが。今日に限って、ディーターは黙っていた。ジムゾンは固唾を呑んでディーターの答えを待った。 『そりゃあ乗らない手はねえな』 漸く返って来た答えに、ジムゾンは思わず動きを止めた。 『血の宴に巻き込まれる心配も無い、暮らしも安泰。ウィーンまで攻められる心配も先ず無いだろうしな。いい事ずくめじゃねえか』 まるで他人事のようなディーターの言葉が何の感慨も無く頭を通り過ぎていく。実際他人事には違いないし、ジムゾンにとって何が有益かを考えれば当然の答えである。しかしすっかり動揺しきっている今のジムゾンには、その思いが理解できなかった。硬直してしまった思考の中で、ジムゾンは機械的に問い返した。 『でもそうしたら、あなたはどうするんですか?一緒には居られないかもしれないんですよ?』 せめてウィーンに定住すると言って欲しい。だがそんなジムゾンの淡い期待はすぐに砕かれてしまった。 『今まで通り旅して回るさ。体動かしてねえと鈍るばかりだしな』 ま、でも偶にはお前に会いに寄るよ。後に続いたその囁きはジムゾンに届かなかった。ジムゾンは完全に無視して寝台に倒れこみ、毛布を引っかぶってしまった。 『ジムゾン?』 ディーターの訝しげな囁きは、ただ虚しく夜の闇に溶けていった。 次のページ |