【第二話:古い歌と古い傷】
Are you going to Scarborough Fair? Parsley, sage, rosemary and thyme, Remember me to one who lives there, For she once was a true love of mine. (スカボローの市場へ行くのかい? パセリ、セージ、ローズマリーにタイム、 そこに住むある人によろしく言ってくれ、彼女はかつての恋人だったから) 翌日、ジムゾンはトーマスに誘われて小高い丘の上にあるヤコブの家へ向かった。庭に植える野菜の種や苗を分けて貰う事になったのだ。ヤコブは農家の長男で、近頃大学を卒業して村へ戻ってきたという。実家が主に作っている小麦とは別に様々な野菜や果物を実験的に栽培しており、対岸にある実家や畑から離れて一人で暮らしている。真面目な性格で、ジムゾンにとって数少ない好感の持てる人物の一人でもあった。 やがてヤコブの小屋に辿り着き、二人は車を降りた。 「おかしいな」 軽トラの荷台から苗用ケースを降ろしながらトーマスが呟く。見つめる先には駐車場と思しき空き地があった。整地されていない地面にはタイヤで出来たような溝が二本残っているだけだった。トーマスは扉に手をかけたが鍵がかかっていた。 「あいつが約束すっぽかすなんて事は無いんだが」 独り言を言いつつトーマスは裏口へ向かい、ジムゾンは背伸びして窓を覗き込む。と、突然扉が開いた。 「おーいトーマス。こっちだ、こっち」 小屋から出てきたのはヤコブではなかった。その姿を見た途端、ジムゾンは種入れ用の布袋を両手で握りしめたままその場に硬直した。出てきたのはなんと、ディーターだった。ディーターもまた、ジムゾンを見ると扉を開けたままの体勢で固まった。声を聞いて戻ってきたトーマスもまた、その気まずい光景を前に立ち尽くした。何とも言えない微妙な空気が流れる中、暫しの沈黙が続いた。 「なんでお前がここに居るんだ……」 口を開いたのはトーマスだった。最悪のタイミングで現れたなと言わんばかりの視線をディーターに向ける。 「……ヤコブが家に急用だって言うからよ。それにお前に苗渡すだけだって」 「お前最近大人気だな」 「そんだけ人望があるって事だろ」 「毎日プラプラしてるからだ」 身も蓋も無いトーマスの一言にジムゾンが思わず噴出した。ディーターは恨めしそうな表情を浮かべたが、張り詰めていた空気が漸く解れた。 「まあいい。苗見せてくれ」 トーマスも同じように笑い、ジムゾンを促して中に入った。 小屋は古びた外見から推し量られるように、内部もまた中世時代を彷彿とさせるような作りになっていた。床も硬い土のままで、コンロや冷蔵庫等を除けばまるで昔に来たような錯覚さえ覚える。ヤコブは二階で寝起きしているようで、一階は純然たる作業空間のようだ。部屋の中央に置かれた木のテーブルの上には幾つかの苗や球根が置かれてあった。 「これがトマト。隣はアスパラ。そっちは見てのとおり種芋だ。後はパセリにセージ」 指さして説明していたディーターだったが、途中で言葉を切って苦笑いしながらトーマスを見た。 「今、古い歌みたいだって思っただろう」 「スカボローフェア、だな」 トーマスは苗を選別しながら笑った。 「サイモン・アンド・ガーファンクルだっけ?俺まだ生まれてねえか小せえ頃の流行だからうろ覚えだがよ」 「サイモン?」 トーマスは不思議そうな表情を浮かべてディーターを一瞥した。 「知らねえの?トーマスの年代にとっちゃ青春の思い出の曲だろうって思ったんだが」 何気ないディーターの問いかけに、一瞬、トーマスの指先が止まった。 「あ、そうか。そういうのには興味無かったんだな」 トーマスはそれに答えず、ただ少し笑っただけで黙々と作業を続けた。釈然としないディーターは思わずジムゾンに目を向けた。ジムゾンもまた同様に、トーマスの一瞬の戸惑いが理解できずディーターに目を向ける。トーマスの仕草の答えを求めて。第一、歌い手を知らないのに何故歌は知っているのかも疑問だった。しかし当然お互いに答えが出る筈もなく、二人は困った顔をしたまま首を傾げた。 「スカボローフェアは元々イギリスの古い歌でな。吟遊詩人が伝えたとされて、作者が誰なのかは知られていない」 言葉の無い二人の問答へ答えるかのようにトーマスが口を開いた。 「伝説を調べるのは好きでね。お前の言うサイモン……歌手か?それは知らないが、原典の方は知っていた。ああ、ご丁寧にローズマリーとタイムもある」 トーマスは苦笑いしながらローズマリーとタイムの苗を分けた。 「意味解んねえ歌だよな」 「そうか?まあ、解釈の話になれば専門家ほどには掘り下げられないが。俺は単純に、素直になれない二人の“意地っ張りの歌”だと思ったよ。……お、ヤコブからだ」 トーマスは振動する携帯電話を取り出して表に出てしまった。 残された二人は扉が閉まるまでトーマスの背中を追っていたが、トーマスの姿が消えてしまうと再度お互いに目を向けた。ディーターは横目に。ジムゾンは上目に。どちらもぎこちなく、探るように。 「その。……この前は、ごめん」 タイムの苗を弄りながらディーターが呟いた。 「居るなんて知らなかったからさ。あ、いや。居なかったらいいっていう問題でも無いか。無いよな」 言い訳のつもりが益々状況を悪くした事に気付いたディーターは慌てて言葉を重ねる。そんなディーターの様子を見てジムゾンが笑った。 「いいんですよ。嘘は言ってません」 あれだけぶつぶつ言っていたにも関わらず、口からは自然と許しの言葉が出ていた。 「あの歌、トーマスの世代なら全員知ってると思ったんだけどな」 そう言ってディーターはタイムを持ったまま窓越しにトーマスを見る。 「趣味はそれぞれですからね。それに、それだけじゃなく」 突然ジムゾンは口を噤んだ。表情が強張っているのに気付いたディーターはジムゾンの顔を覗きこむ。ジムゾンは暫く沈黙を続け、やおら目を丸くしてディーターに向き直った。 「そうだ、そうかもしれません」 「何がどうなんだよ」 説明も無しに話を振られたディーターは訝しげな表情で問い返した。 「さっきのトーマスさんの反応。今の私と同じだと思いませんか?」 「うん、まあ」 「東ドイツです」 ディーターは暫くきょとんとしていたが、同様に目を丸くした。 「旧ソ連支配下の社会主義国だったんだ。トーマスが東ドイツの出身だとしたら、アメリカの流行歌なんて聞く機会があるわけ無いな。……ん?じゃあ」 言葉を待たずにジムゾンはこっくり頷いた。 「私の生まれは東ドイツでした。十歳の頃、一家で西へ亡命を」 ディーターはジムゾンをまじまじと見つめ、ジムゾンは少し言い難そうに目を伏せて続けた。 「あまりいい思い出が無いので。あの反応。もしかしたらトーマスさんも、と思ったんです」 ディーターが口を開きかけた瞬間、玄関の扉が開いた。 「ヤコブ、親父さんが急にぎっくり腰になったらしいな。夕方こっちに戻るそうだから、要らない分はここに残しておけばいいんだと」 携帯電話をポケットに仕舞い込みながらトーマスが戻ってきた。先程の話題を出すわけにも行かず、ディーターもジムゾンも苗や種の選別作業へと戻った。教会の庭へ植えるのはパセリとジャガイモ、そしてカモミールの三つに決まった。 中々有意義な一日だった。庭に植えられたパセリ達の苗を見ながら、ジムゾンは満足げに微笑んだ。ディーターが現れた時はどうなる事かと思ったが、トーマスが居てくれたお陰でぎくしゃくならずに済んだ。そればかりか謝罪の言葉まで出た。許しの言葉と共に言ったように、冷静に考えればどっちもどっちの事なのだ。強いて言えば陰口を叩く分の悪さがあるとはいえ、先んじて己の非を認められるとは。確かにディーターは何を生業としているのか解らないほど毎日プラプラしてはいるが、悪事に手をそめる人間ではないようだ。本人は冗談のつもりで言ったろうが、色々頼まれるのは実際に信頼されているからかもしれない。 やはり自分がディーターに対して持っていた苦手意識は先入観の産物で、もしかしたら案外、ディーターも自分に対してそういう意識を持っていたのかもしれないな、とジムゾンは思った。 涼やかな月の光に包まれる庭に別れを告げて裏口の扉を閉めた瞬間、表の方から物音が聞こえた。古い家屋特有の軋みかと思ったが、続いた音ははっきりとしたノック音だった。今まで受けた夜の来訪と言えば、対岸にある肉屋のご隠居が亡くなった時の呼び出しくらいだ。不幸で無ければ良いがと思いつつ、ジムゾンは玄関へ走った。 「よ」 短すぎる挨拶と共に現れたのはディーターその人だった。もう今までのような苦手意識は無いとはいえ、唐突な出現にジムゾンは面食らう。 「ど、どうしたんですか」 ディーターに危篤の家族が居るようには見えない。そうなると考えられるのは告解しか無い。しかし通常の事であれば昼間に来ればいい話だ。まさかこれが、都市伝説のように聞いていた殺人の告解なのだろうか。 ディーターの内面が表面的なそれとは一致しないと先ほど自分で決着をつけた筈だが、昨日の今日だ。どうしてもジムゾンにとってはディーターの外見からの先入観が根強かった。最終的に自分に罪がなすりつけられて投獄されるまでの様が瞬時に脳内で展開されて、ジムゾンは独り青くなった。 時々生活に刺激が欲しいなと考えたこともあるが、こんな刺激は要らないと思いつつ再び口を開く。 「告解なら明日しましょう。お昼にでも。人目につく時に」 「なんで告解を人目につく所でやらなきゃいけねえんだよ」 即座に尤もな反論をされてジムゾンはぐっと言葉に詰まった。 「ああもう、いいから中に入れ」 肩を押されてジムゾンは室内に戻される。続いてディーターが中に入り、扉が閉められた。ディーターはさも当たり前のようにずかずか入り込んで居間のソファに腰掛けた。 「いや、いいも何も、ここ私の家ですよね」 「俺に聞くな。貸与物でもお前の家だろ。自信持て」 「すみません。ってどうして私が謝らなくちゃいけないんですか」 「知るか。お前が勝手に謝ったんだろ」 「それもそうですね」 そう言ってジムゾンが向かいに腰掛けるとディーターは堪りかねたように噴出した。 「変な奴だなあ、本当に」 「長らく修道院に居ましたから世俗的な常識はありません」 「そこは開き直る所じゃねえ」 ムッとしているジムゾンを他所にディーターは腹を抱えて笑った。脱線しているようだが、どうやらディーターは何か話しに来たらしい。ジムゾンはとりあえず笑っているディーターを放っておいて台所へコーヒーを淹れに行った。 「神父は色々見てきたが、お前みたいなのは初めてだ」 ひとしきり笑った後、ディーターはコーヒーカップを口に運びながら呟いた。 「常識がありませんから」 相変わらずむっつりしたままジムゾンは明後日の方向を向いてコーヒーを飲んだ。 「そういう意味で笑ったんじゃない。……それはともかく、悪かったよ。あの件は」 「あの件って?」 「その……。黒猫亭での事だよ」 修道院に引っ込めと言っていたあの日の事だ。昼間許したというのにまだ気に留めていたのだろうか。ジムゾンはコーヒーカップを唇にあてたまま不思議そうにディーターを見た。 「ごめんな。色々あったんだろうに」 「色々って?」 「東ドイツで嫌な事が何かあったんだろ。トラウマになる事とか。それが切っ掛けで修道院に」 ジムゾンは表情を硬くした。 「何も知らないで、つい考え無しに言っちまって」 「いいんですよ。人は何かしら抱えてるものです。私だけが特別なわけじゃない」 「何か嫌な事言ったか」 ジムゾンの表情が再び強張ったのを見てディーターが問う。ジムゾンは暫く黙ってコーヒーカップを置き、漸く口を開いた。 「すみません。昔から、東ドイツでの事を口に出すとすぐ、腫れ物に触るような扱いを受けてきたので。私も、言わなければ良いんですが」 そこまで一気に話して言い難そうに言葉を切った。長い間、過去は封印してきた。深刻に語れば自分が辛くなる。かといって他人事のように笑って聞かせれば単に笑い話としてしか受け止められない。 学生時代、辛さを紛らわせたくて級友に笑って話した事があった。しかしそれは何の助けにもならず、自分の評価を下げたばかりか話の種にされてしまった。思い余って近所の教会の司祭に相談した事もあった。しかし今度はもっと悲惨な目にあった人々の話を聞かされただけだった。司祭としては励ましたつもりなのだろうが、それも救済とはなり得なかった。 同情は益々気持ちを惨めにさせる。叱咤もまた、同じ事だ。打ち明ける事で得られる物がそれしか無いのなら、と。ジムゾンは只管内に押し込めて忘れる事に努めた。実際、忘れていた。しかし、もう自分でも何とも思っていない筈のそれは、ふとした事で奥底から湧き出してはジムゾンを苦しめていた。 「俺が勝手に謝りたかっただけだ。気にすんな」 ジムゾンが落ち着くまで待ってから、ディーターはぽつりと漏らした。 「言う言わないに関らず、見た目でそういう扱いも受ける」 ジムゾンは驚いたように顔を上げた。そういえば自分も、外見でディーターを避けていた。傷だらけで、それを隠しもしない。大方喧嘩でついた傷で、それを誇ってでもいるんじゃないかと勝手に思って毛嫌いしていた。 「傷を隠した事もあるが、顔はどうしょうもねえからな。だから放ってる。後はもうどうにでもなーれ、だ」 ディーターは自嘲ぎみに笑ってソファに背を持たせた。 「その傷、どうしたんですか?」 長らく傷の事が気になっていたジムゾンは思わず問い返していた。 「どうしたと思う?」 「……喧嘩で。とか」 「そう見えるんなら上等だ」 満足げなディーターの様子を見てジムゾンは訝しげに首を傾げる。ディーターは独り言だ、と苦笑いしながらこう続けた。 「人狼にやられた」 次のページ |