【閉ざされた村】
村に人狼がやってきた 昼間は人のふりをして 夜な夜な人を喰っていく 困り果てた村人は 悩んだ挙句にこう決めた どんなに怖い人狼も 陽のあるうちはただの人 毎日一人怪しい奴を 探し出して処刑しよう 怪しい怪しい 誰が怪しい あの村人か旅人か 大男か老人か いやいや待てよもしかして 女子どもかもしれないぞ ひとつふたつ 墓が増える また喰われている 間違えた? 確かなものは占いと 亡霊が語る言葉だけ 人が勝つのか 魔物が勝つか 神様だけが知っている 鉛色の空から舞い落ちる雪が村を白く染めてゆく。重く、圧し掛かるようにたゆたう雲を見つめていると、手を伸ばせば掴めそうな錯覚を覚える。空を見上げていたニコラスの耳に遠くから聞きなれた声が届いた。帽子にとまって丸まっていた小鳥達が一斉に飛び立つ。ニコラスは声のした方に顔を向けた。 「ニコ兄ちゃーん!」 おーい、と小さな手を一杯に振りながら駆けてくる2つの影。金色の髪を二つにくくった少女リーザと、茶色の髪の少年。二人はニコラスの傍まで辿り着くと、荒れた息を整えながら喋りかけた。 「あのね、村長さんが呼んでこいって。」 「みんなレジーナおばさんのお家に集まってるの。」 「何か用事なのかな。」 ニコラスは小首を傾げて問い返す。 「あのねあのね。狼が出たんだよ!」 少年はやや興奮ぎみに説明する。気持ちばかりが急いて、うまく言葉になっていない。 「ペーター、狼じゃなくて人狼よ。」 ペーターとよばれた少年はお姉さんぶった態度でたしなめたリーザを一瞥してむくれる。ペーターは赤子の頃に両親と死に別れ、以後レジーナに引き取られて一緒に暮らしている。1つ違いのリーザとは大の仲良しだ。 「本当だったら怖いね、リーザ。」 ニコラスは笑ったまま頷いてみせる。 「本当だよ!だって、お兄ちゃんは“食べられちゃった”んだもの。」 リーザは兄であるゲルトの死をまるで他人事のように言った。ペーターは少しおどおどしながらも好奇心の方が勝っている風だ。二人の様子を見ながら、ニコラスは笑顔を崩さなかった。恐らく村人は二人に真実を告げていないのだろう。残虐な物と淫猥な物は子どもに見せるものではない。死体を隠し、お遊びなのだとか嘘をついて誤魔化しているのだ。 「だからね、皆でお話し合いをするんだって。」 「誰を“処刑”するのか決めるんだ。ニコ兄ちゃんが前に話してくれたお話みたいに…。」 喋るにしたがって先ほどの好奇心が徐々に影をひそめ、ペーターの語尾は小さくなる。 「もしかして怖いの?ペーター。」 「こっ。怖くなんか無いよ!」 「じゃあニコ兄ちゃんから放れなさいよ。」 「リーザだってマント持ってるじゃないか!」 子どもたちはさりげなくニコラスに身を寄せながらお互いに牽制しあう。 「それじゃレジーナさんのお店まで行こうか。…こんな村はずれに居たら人狼に食べられちゃうぞ!」 ニコラスがわざと脅かすと子どもたちは楽しそうに喚声を上げながら走っていく。ニコラスは二人の後を追うように宿屋に向かって歩きはじめた。地面を覆い始めた雪を踏みしめながら、最後に見たゲルトの安らかな寝顔を思い出していた。 宿は重苦しい空気に包まれていた。一階の酒場に集められた村人達の表情は皆一様に暗い。 「人狼が出たというのは本当なのですか。」 ニコラスが問うと数人が顔を上げた。 「先程子供達から聞きました。」 何も知らない奴は気楽でいい。ニコラスの様子を見た村人達の表情はあからさまにそう語っていた。ニコラスは慌てて言葉を継ぐが、言い終わると室内は再び重苦しい沈黙に支配された。 「まさか…冗談ですよね。」 「冗談じゃない。」 ニコラスの問いに答えたのは五十半ば頃の大男、トーマスだった。木を切って生計を立てている彼は獣も多く潜む森の中に一人で住んでおり、その所為か比較的落ち着いて見える。トーマスは無言で立ち上がり、ついて来いと片手で示して歩き出した。大人しくその後ろについて客室のある二階へ上がりつくと、うち一室からなにやら声が聞こえる。トーマスが足を止めたのはその部屋だった。 「ちょうどいい所に来た。トーマス、片一方を持ってくれ。」 部屋に入ろうとするとディーターがぐったりしたジムゾンの肩を支えて出てきた。ジムゾンの顔は何時にも増して青白く、血の気が無い。かろうじて意識は失っていないようだ。 「お前一人で抱えられるだろう。」 トーマスはためらいもせずに申し出を突っぱねる。ジムゾンを心配する風すら無い、完全な無関心ぶりだ。ディーターは訝しげにトーマスを一瞥し、無言でジムゾンを抱えあげて部屋から出て行った。 「見てみろ。」 トーマスに示され、ニコラスは部屋に足を踏み入れた。先ず目にとまるのは赤茶色に汚れた寝台と、そこに転がっている“何か”。かすかに漂っていた血の匂いが強烈に鼻をつく。ニコラスは顔をしかめ、小さくうめいて口元を押さえた。胃の腑が煮えたぎるような不快感と胃の中の物が頭まで逆流しそうな強烈な吐き気。そう感じるのが通常の人間の感覚だろう。 「冗談じゃないと解ったろう。」 淡々としたトーマスの声を背に受けながらニコラスは寝台を凝視する。上に転がる物体が何であるかを確認するかのように、振り返ってトーマスを見た。 「ゲルトだ。…殆ど原型は留めていないがな。」 トーマスは苦々しい表情を浮かべて語った。ニコラスは足早に部屋から出る。階下を見下ろせる柵の一つに縋るようにしてその場にしゃがみこんで目を閉じ、大きく息をついた。 『大した役者だな。』 ディーターの笑い混じりの囁きが聞こえた。階下から見ているようだ。 『これくらいしておいた方が後々の為です。あなたも中々でしたよ。特に神父さんは迫真の演技でした。』 先ほどの光景を思い出してニコラスも囁きで笑った。少し経って言い難そうな声でディーターが返す。 『違う。あいつ本気でぶっ倒れやがったんだ。』 目を開けたニコラスの視界に入ったのは、長椅子に横たわって完全に気を失っているジムゾンの姿だった。 どれくらいの時間が経ったろうか。宿の扉が開いてヴァルターとヨアヒムが現れ、それまで俯いていた村人達は一斉に顔を上げて二人を見た。朝一番にゲルトの事を聞いたヴァルターは村人を招集する一方で町の自警団に協力を要請しようとした。ところが、町へ抜ける道は落石によって塞がれており、迂回路にもなる街道へ抜ける道もまた落石によって寸断されていた。残された道は広大な森の中にある獣道のみ。一人では危険だと言う事で、村に派遣されている唯一の自警団員であるヨアヒムと共に森へ向かっていたのだった。 「村長!」 カウンターの奥から現れたレジーナはヴァルターの姿を見るやいなや駆け寄った。 「連絡はついたのかい?」 ヴァルターは雪に覆われた外套を脱ぐと黙って首を横に振る。 「狼が異様に増えていると言った筈だ。」 皆肩を落として落胆する中、トーマスが相変わらず動じる風も無く呟いた。 「ああ。実際目にしてよく解った。あれではとても森を抜ける事はできない。」 「じゃあ…。」 「無論、我々がこの村から逃げる事もできない。」 その言葉を受けてレジーナは思わず口を覆って嘆息した。 「何の罪も無いゲルトは喰われ、村は完全に孤立してしまった。信じたくは無いが、これは事実だ。一縷の望みも潰えてしまった以上。我々が取るべき手段は一つしか無い。」 「おとぎ話と同じ事するって言うの?冗談じゃない!」 叫びに近い声をあげて立ち上がったのは行商人のアルビン。ニコラスと同じく先日の隊商に属していたのだが、懐が暖まった事もあって休息を取ろうと村に残っていた。まだ親方についていた見習いの頃からこの村に立ち寄っており、行商人ではあれど村人にとっては馴染み深い人物でもある。とりわけゲルトと仲が良く、昨晩はとても家まで帰られる状態では無かったゲルトを二階の客室まで運んでやった。今朝も起こそうとして部屋へゆき、惨劇の第一発見者となってしまった。 「ではお前さんは他に何か方法があるとでも言うのか。」 うろたえるアルビンに厳しい一言を投げたのはモーリッツだった。 「第一、人狼かどうかなんてまだ解らないじゃないか!ただの狼の仕業かも…。」 「ただの狼が宿屋の二階に。それも窓も扉も鍵を壊さずに侵入したと?」 モーリッツが淡々と語る事実にアルビンは言葉を失い、村人達がざわめき始める。ともかく場を纏めようと歩み出たヴァルターをヨアヒムが片手で制し、代わりに前に出た。ヨアヒムはもう片方の手に握っていた羊皮紙の巻物を広げて目の前に掲げ、言った。 「僕は異端審問官だ。」 ヨアヒムの告白に、場は水を打ったように静まる。広げられた羊皮紙にあるのは三重冠とペテロの鍵で構成される教皇庁の紋章。綴られた承認の文面は遠目からは詳細まで読めないが、異端審問官である身分を証明するには充分な代物だった。 「この中にもう一人仲間がいるけど今は誰が仲間かは明かせない。僕らは聖下によって直に聖別されてお互いが人間であるという情報を共有しており、その特異性ゆえに共有者と呼ばれてる。人狼の話はおとぎ話なんかじゃないんだ。本当にあった事で、今もこうして現実に起こっている。僕らは一般的な審問官と違い、おとぎ話として伝えられている特異な閉鎖空間で村人の混乱を鎮めて纏め、犠牲を最小限にするのが主な任務。万に一つのその日の為に表向きには自警団員として暮らし、潜伏していた。皆、申し訳ないがこれからは僕の指示に従って欲しい。」 やや釈然としない様子は残しながらもヨアヒムに異論を唱える者は誰も居なかった。 『共有者も居ましたか。いつもながらご丁寧な事です。』 ヨアヒムの説明を聞きながら、ニコラスが囁く。 『なんだか冗談みたいな状況ですね。』 『しかし現実です。「神」が創り出したもうた普遍の摂理ですよ。』 呪われた伝承の再現に神の名を出され、ジムゾンは思わず表情を強張らせた。 『表情には出さないで。気持ちは囁きで伝えてください。』 ニコラスに注意され、ジムゾンは気分が悪くなったふりをしてその場をしのいだ。運良くゲルトの死の説明の最中だった。 『ええ勿論。今回の落石はディーターさんにやって貰いました。眷属を呼び出したのも私です。それでも伝承は「神」ある限り揺らぐ事は無い。』 未だ納得できないのか、はたまたへそを曲げたのか。ジムゾンの返答は無かった。 『生きていれば何れあなたも知る時が来ます。あの伝承の真実を。』 『真実?』 『あの話にまだ何か秘密があるとでも。』 ジムゾン、そしてだんまりを決め込んでいたディーターもが問い返した。 『あります。』 『血まみれの三日月の申し子よ 負う宿命は血の宴 業集いし時地を断ちて 畏怖と嘆きに染むるべし …我々の間だけで伝えられている伝承は、ただ宿命を伝えているに過ぎません。』 『その真実とやらは勝利と引き換えか。』 『はい。』 ディーターは体調を案じるふりをしてちらりとジムゾンを見た。ジムゾンは議題回答に悩んでいる風だったが顔色は良く、生気が蘇っていた。 『面白い。』 ディーターの声音が僅かに笑う。 『真実を知りたければ、生き延びる事です。』 ニコラスもまた含みを残し、囁きは途切れた。 next page → |