【崇拝の野】
遠い昔、まだ黒い森と呼ばれる前の広大な森の奥深くに正円を描く草原があった。まるで不自然なその野原には同じく正円を描くようにして数体の石像が置かれてあった。中央に置かれ、今はその原型さえ留めない石像を囲むように。 「酷い目に遭いましたな。」 まだ形を留めている石像の傍に、何時の間にか初老の男が現れて呟いた。その声に呼応するかのように、石像や元石像であった石くずの傍にそれぞれ人影が現れた。青白い月の光に照らし出されて、野原には丁度十二の影が伸びた。 「兄弟マクシミリアン。大丈夫かな?いささか損傷が激しいようだよ。」 「大丈夫だとも兄弟ヨハネス。姿を現すにも少し力が必要だがね。」 台座しか残さない像の傍に佇んでいるマクシミリアンと呼ばれた初老の男は、最初に現れたヨハネスに苦笑して答えた。 「だが兄弟ニコラスの避けっぷりは中々小気味良かった。」 「ああ、あのパトリックとか言う男。恐ろしさに目を見開いていたじゃないか。」 「ちょっと意地悪がしたくなりまして。」 皆に話題にされたニコラスという金髪の青年は少しだけ肩を竦めた。大体が中年から初老の男性が占める中で彼が一番年少のように見えた。しかしラピスラズリの深い青をした瞳に宿る光は、彼の外見の年齢を遥かに上回るような老熟さを感じさせた。 「我らの主があんなにも無惨にされていて、黙って見過ごせるほど人が出来ていないのです。」 ニコラスが寂しそうに目を向けた先には、彼らが取り囲むようにしている石像だった岩の塊があった。そこからは誰も現れる気配が無い。 「けれど後悔するのはあの男の方だよ。今頃は制裁の炎で苦しんでいる頃だろうかね。」 ニコラスの横に佇む男は、ふいと頭上の月を見上げた。 「ふむ。我らが主は南方へ向かわれましたからな。彼らの長と直接話をつけられるのではないかと。」 更にその隣の男は顎鬚をしごきながら神妙な面持ちで呟いた。 「さて。彼一人が償う事になるのか、それとも彼らが方針を曲げるのか。」 「恐らくは彼一人でしょうな。」 「おやおや。そうなると彼の行いへの償いは、世間的な名声という奇妙な代価が支払われるのだね。」 生まれ故郷のエリン島あたりがその地ではないか。布教の過程で、我らの文化と融合させた教えを説いたとか言われてね。などと、男達は口々に言い合って笑った。 「兄弟ヨハネス。これからが大変だろう。」 ヨハネスの真向かいに位置する、この中では一番の年長と思しき男が声をかけた。 「そうとも。あの人狼という存在…。兄弟ザムエルなどの楽観的なフイラ(語り部)は人狼はすぐ居なくなるなどと言うが。」 「その通りではありませんかな、兄弟アウグスト。人でありながら夜に獣と化して同じ人を食い物にする…。さてはて、人が人である限りは長続きなどしないと思われる。」 ザムエルと呼ばれた神経質そうな男は年長のアウグストに反論する。 「まあまあ。兄弟ザムエルの仰る事も一理ある。」 ヨハネスは笑いながら二人の間に割って入った。 「しかし我ら人狼の法の担い手として、現実にはそう易々と収束するとは思えませんでな。…まあ、のんびりと終焉の日を待つ事としましょう。」 「一番苦しいのは人狼となった者…。そしてその宿命たる血の饗宴に巻き込まれる人々でしょうな。」 憂いの表情を浮かべて言ったのは穏やかな雰囲気の男だった。 「仕方の無い事ですよ、兄弟アロイス。」 ニコラスが慰めるように声をかけた。 「共に人としての生をこれから何度となく繰り返す事になります。彼らの苦しい時には、我らも共に苦しむのですから。」 「さよう。そして情ある以上、かたちある以上、元より人とは苦しいもの。また、我らも同じ事。」 アウグストは何度もゆるく頷きながら静かに呟いた。 「せめてもの慰みに、我らが主の言葉も伝えておきました。これから終焉の日を迎えるまで、彼らと喜びも悲しみも分かち合いながら見守ってゆきましょう。」 ニコラスは柔らかく微笑み、アロイスは小さく笑いながら礼を言った。 どこか遠くで朝を告げる鳥の声がした。何時の間にか、東の空が白み始めていた。 「それではまた青い月夜に。」 「我らが主と我らドルイドの名において。」 「あまねく生命へ光あれ。」 祝福の言葉と共に彼らの姿は一斉に光に消えた。 あとには、緑色に煌く野原と打ち壊された石像だけが残った。 のちに、アイルランドに渡って教義の伝道を行い、聖人に列せられたパトリックはこう記している。 ――私は、このように偉大な恩寵を与えて下さった神への債務者です―― 第一章:吹雪の出会い → (−.−)見つかった! ドルイドに関して、説明不足な感じがあったのでちょっと付け足してみました。 |