【吹雪の出会い】
あても無い旅の途中で吹雪にみまわれたディーターは、とある辺境の村への滞在を余儀なくされた。まだ暫くは喰わなくていい。必要なのは雪を防ぐ屋根と凍死しないだけのぬくもり。しかしながらこの村には資金源となる賭場も盛り場も無い。大きな町へはまだ数日かかる。宿屋で無駄に路銀を使いたくない。そんな理由から、ディーターは村はずれの教会へ宿を求めた。 礼拝堂の奥から姿を現したのはまだ若い神父だった。漆黒の髪と好対照を見せる病的なまでに白い肌。恵まれた容姿が台無しになるほどに暗い表情をたたえ、物憂げなマドンナブルーの瞳でこちらを見つめている。聖服のゆるみ具合からして、かなり痩せている。体に纏わりついているのは異国的な甘い香りと、そう遠くない死の匂い。そして信じられない事に、この今にも死にそうな神父からは自分と同じ血の匂いがした。 人狼だ。 『そのままじゃ死ぬぞ。』 口頭での挨拶をさておいてディーターは囁いた。 『人間なら大勢居るのに何故喰わない。』 「教会へ何をお求めですか、旅の方。」 神父は囁きには返答せず言葉で問いかけた。 「村に滞在する間の宿を。」 『村人を喰わないと約束して下さるのなら。』 神父の初めての囁きは、突拍子も無い申し出だった。 『ああ。暫く襲撃はしなくてもいい。天候さえ回復すればこんな村とっとと出て行くぜ。』 「どうぞ。大したもてなしはできませんが…。」 神父は無表情のまま隣接する家へと案内した。 家は教会と同じくかなり古びていた。台所には神父一人では食べきれない程の食材。芋の一部は芽が長く伸びてしまっている。普通の食事では人狼は満たされる事は無い。本能の求めが訪れた時に人狼としての喰いを行わなければ、どれだけ食事をとっても体は次第にやせ衰えやがて病に冒されるなりして死ぬだろう。 『何故喰わない。』 ディーターは先程の問いをそのまま投げた。神父は黙って茶の支度をしている。 『その様子だと、もうかなり喰ってないな。』 ふと、何かに気付いて神父が振り返る。答えだとばかり思っていたが、そうではなかった。 「申し遅れました。私は、ジムゾン・フォン・ルーデンドルフ。見てのとおり旧教司祭です。あなたは?」 「ディーターだ。ディーター・ヘルツェンバイン。」 『何れ死ぬ。』 その囁きにもジムゾンは何の反応も示さなかった。香草茶の入ったカップを二つテーブルに置き、ジムゾンはディーターの向かいの席に腰掛けた。 『皆良い方ばかりです。』 カップで手を温めながら、ジムゾンが漸く囁きに返答した。 『私にはあの人たちを喰う事なんてできません。』 『バカかお前。』 ディーターは間髪おかずに切りかえした。 『今まで生きてきたという事は少なからず喰いはした筈だ。それがここにきて喰えない、か。今更善人ぶって何になる。』 『…襲撃はした事が無いのです。』 『は?』 『幼い頃からずっと。“ある人”に養って貰っているだけでした。狩りの仕方が解らないのもあります…。』 とんだ野郎だ。ディーターは呆れかえってしまう。と、同時に何ともいえない憎悪にも似た感情が湧き上がる。自分は物心ついた時から一人だった。誰の庇護も受けず社会の陰の存在であるがゆえに誰からも疎まれ、たった一人で狩りを覚えて今まで生きてきた。それが。こいつは自分の手を汚す事無くぬくぬくと育ち、今になって善人ぶって“喰わない”などとうそぶいている。名前からして出自は貴族なのだろう。自分とは正反対だ。腹が立って仕方が無かったが、喧嘩している場合でも無い。天候が回復するまでの我慢だとディーターは自分に言い聞かせた。 何事も無いまま数日が過ぎ、雪が止んで雲が切れた。これでやっと辛気臭い村と甘ったれの人狼とおさらばできる。 「世話になった。じゃあな。」 ディーターは身支度を整えると短い別れの言葉を残し振り返りもせずに家を出た。ジムゾンからの返事は無く、閉じた扉の向こうで何か重い音がした。その音に一瞬立ち止まるものの再び歩み続けた。しかしどうにも気になって村の出口まで来たところでディーターはたった今来たばかりの道を引き返して行った。やがて元の教会へと辿り着き、家のドアを開けると目の前の床にジムゾンがうつ伏して倒れていた。極度の栄養失調で気を失っている。ディーターは頬を半ば引きつらせてそれを見る。 反吐が出る。 蹴り飛ばしてやりたい反面で体は正直に行動していた。ジムゾンを抱きあげてソファに寝かせる。想像以上に軽い体重に焦りが生じる。肉の欠片でも、血の一滴でもいい。何か胃に入れさせなければ。 ジムゾンが目を覚ますと、あのならず者の顔が視界に入った。忌々しそうな表情で自分を見下ろしている。生きてる?自分の唇の端から生暖かい液体が伝っているのが解る。そして、口に充満している、あの味。 『喰えよ。』 囁きと共に差し出されたのはまだ湯気を立てている血塗れの臓物。ジムゾンは絶句する。 『何方の?…一体、何方のですか…?!』 『知るか。』 床に転がる無惨な男性の遺体の左手薬指にはめられた指輪に見覚えがあった。それは先日この教会で式をあげたハインツのもの。たった一週間前にカタリナと夫婦になったばかりだったのに。幸せに満ちていた彼の姿が目に浮かび途方も無い無力感と絶望がジムゾンを襲う。 「何故こんな酷い事を!どうしてあのまま、私を死なせて下さらなかったのですか!!」 ジムゾンは激情のまま、考えるより先に叫んでいた。 「っざけんな!!」 囁きも忘れてディーターが怒鳴った。ディーターは血に塗れた手でジムゾンの胸倉を引っつかみ、締め上げる。 「誰の為に襲撃してやったと思ってやがる、このクソ野郎!他人の手ぇばかり汚させてぬくぬくと生きてきたテメェなんざ勝手に餓死でも何でもしてしまえ!」 捨て台詞と共にディーターはジムゾンを放り投げた。支えを失ったジムゾンは再びソファへ倒れこむ。ディーターの足音が遠ざかり、激しい音を立ててドアが閉まった。ジムゾンは暫らく呆然としていたが、やがて喉が焼けるような痛みと共に瞳から涙が溢れ出した。いくら拭いても止め処なく頬を伝う。何故こんなに悲しいのか自分でも解らなかった。 泣き疲れてジムゾンは上体を起こした。ぼんやりと辺りを見回す。床にはまだ、ハインツの無惨な死体が転がっていた。もう涙は出てこなかった。ただ、心身ともに重い疲れだけがあった。ともかく片付けてしまおうと、のろのろとソファから降りる。ふと窓の外を見やると夜の闇を覆い隠すほどの雪が降っている。また吹雪になったようだ。ジムゾンは飛び出していったディーターの事を思い出した。この吹雪ではまた足止めを食らっているのではないだろうか。そこまで思ってジムゾンは漸く自分のしてしまった過ちに気が付いた。ディーターは暫らく喰わなくていいと言っていた。自分を救おうとして襲撃をしてくれたのに、何てことを…。ジムゾンは嘆き混じりの溜息と共に両手で口を覆った。謝罪したくてもディーターは出て行ってしまった。恐らく二度と会う事は無いだろう。 扉の開く音がした。驚いてジムゾンが顔を上げると、そこにはなんとディーターの姿があった。体中についた雪を落そうともせず、ずかずかと歩み寄る。テーブルの上に置き去りになっていた手袋を鷲掴むとすぐに踵を返して玄関へ向かった。 「待って下さい!」 ディーターは立ち止まり、ほんの僅かに振り返る。 「先程は、有難うございました。気が動転していたとはいえ酷い事を言ってしまって…。ごめんなさい。」 ジムゾンが謝罪の言葉を言い終わるとディーターは返事もせずに顔を戻し再び歩き始めた。 「あっ…まだ…。」 「うるせえな!今度は何だ!」 ディーターは両手を振り下ろしながら体ごと振り返る。ジムゾンは一瞬それに怯むが、言葉を続けた。 「この吹雪の中で野宿は危険です。お嫌かもしれませんが、どうか今夜はここへ泊まって下さい。」 『それに、こんなに沢山一人では食べきれません…。』 「…。」 ディーターは無言のまま立ち尽くしていたが、徐にこちらへ引き返し荷物をソファの上に投げた。 「吹雪が止むまでだ。」 憮然として漏らした一言だったがジムゾンは随分と気が楽になるのが解った。 next page → ※6/6ゲルト神が序章で行方不明になっちゃあお終いなので別人に変更しました。(;´Д`) 8/25若干手入れ |