【青の楽園 第十一話】

「俺は何もしちゃいない。」
宿屋の一階の椅子にディーターは後ろ手に縛られていた。ディーターはこれまでとは違い、かなりきつめに縛られている。
「じゃあなんで逃げたんだ。」
オットーが当然の問いを投げる。その身に疚しい事が無いのなら、きちんと論証すべきたった。
「悔しいが俺には疑われるような証拠があり、俺が目星を付けている人間を真犯人だと挙げるにはまだ手がかりが足りないからだ。」
「では言ってみろ。誰なのかを。」
「ああ言ってやる。お前だ、トーマス。」
トーマスが冷ややかに見下ろし、ディーターはその目を睨み返した。
「他には何もまだ解っちゃいないが、今日何も起こらなかった事だけは説明してやる。お前はずっと床に開いた穴からジムゾンを監視していた。白だと判明してるのはヴァルターとジムゾンの二人だけ。ヴァルターを殺るにはペーターが先ず邪魔だ。そこでジムゾンをと思ったが昨晩はジムゾンの部屋に俺が居た。
襲えなくなった上に一緒に居るのを見て腸煮え繰り返るような思いだっただろ。それで怒りがおさまらなくて結局何もできなかった。」
「何の話だ。」
トーマスはあくまで冷静だった。いや、冷静というよりは冷酷なほどに冷たかった。
「仮にお前のそのとんちんかんな話が本当だとして、それ以前に何故私が人狼だという事になる。」
ディーターは返す言葉も無かった。それ以外の事も本当に、ただの憶測に過ぎないからだ。

ジムゾンはトーマスとディーターとを見比べておろおろするばかりだった。
ディーターが先ほど祭具室で語った事が嘘だとは思えなかった。けれどディーターには人狼だと断定するに足る証拠があり、トーマスには想像と憶測以外に何の証拠も無かった。どちらを信じればいいのか全く解らない。
「なあジムゾン、頼む。今日だけは見逃してくれ。一日だけ考える時間が欲しい。そしたら…。」
「またあたしやパメラやトーマスが人狼だってでっちあげる証拠をひねり出すってのかい。」
レジーナがピシャリと言い放つ。数日間地下室に押し込められた上に、殺せとまで言われたのはさすがに頭にきていたらしい。
「ジムゾン、幼馴染だからって目こぼしするのはナシだぞ。」
横からオットーも厳しく言い添えた。
「村長さんは、どう思いますか…?」
ジムゾンは縋るようにヴァルターを見る。ヴァルターは少し悩んでいるようだった。
「別にすぐさま私刑にするというわけじゃない。ディーターも無実が判明したら出してやれるし、最終的には法の手に委ねるのだからそこで潔白を証明すればいいことだ。」
「そんなのんきな事言ってる場合じゃねえんだよ!この状況でノコノコ地下に行けるか!」
「…ディーターさん。今までディーターさん自身が他の人に色々言ってきたのに、ちょっと勝手ですよ。」
「でも、僕ディー兄ちゃんが人狼だなんて思えないよ…。」
アルビンは困惑した表情でディーターを見つめ、ペーターはアルビンの脇で精一杯悩んでいるようだった。

「一日だけの猶予はいけませんか?ディーターは自白したリーザを発見した人でもあるんです。」
「却下。」
断言したのはオットーだった。
「ヨアヒムも言ってたけど、そう思う事を狙った仲間同士の切り合いかもしれない。そんなのは理由にならないな。」
「でも。」
「デモもストライキも無い。無いったら無い。」
「あんたって本当に冷血よね、オットー。」
そう言ってパメラはジロリと目を向ける。まだ自分が告発された事を根に持っているようだ。
「まあ、そこがオットーさんの人狼じゃなさそうな所なんだけどね。」
と、ヨアヒムは苦笑して改めてディーターを見た。
「取り合えず今日一日だけ我慢しなよディーター。僕も色々考えてみるから。」
「だからその一日が命取りになるから言ってんだ!どうしても入れるって言うんなら、レジーナとトーマスも一緒にしてくれ!」
大人気なく食い下がるディーターに全員が困惑した。
「…。なんか、ここまで無茶苦茶な要望出されて食い下がられると微妙だな。」
オットーは半分呆れながら考え込んでしまった。トーマスとレジーナは当惑して顔を見合わせ、遠慮がちにレジーナはジムゾンを見た。
「こう強情だとねえ…。…あたしはそれでもいいよ、ジムゾン。どうせ昨日までずっと地下に居たんだし。」
「…いえ。」
否定したジムゾンの目には揺ぎ無い決意が表れていた。
「何の論拠も無いのに一方的な願いを聞くわけにはいきません。それでは公平さに欠ける。」
「ジムゾン!!」
「あなたが人狼じゃないという観点からもきちんと調べておきます。だから、お願いです、ディーター。」
ジムゾンは悲しげにディーターを見つめた。トーマスとオットーとに地下室に連れて行かれながら、ディーターはすれ違いざまにジムゾンに訴える。
「もう一度調べてくれ、あの暗号を。まだ何か意味があるはずだ。重複させるとか、別名とか…。」


「マリアは救い主の母となるとの神のお告げを受けて『私は主のはしためです。お言葉どおり、なりますように』とこたえます。この一連を捧げて神の呼びかけに信仰をもってこたえることができるよう、聖母の取次ぎによって願いましょう。
天にまします我らの父よ…。」
ロザリオを繰りつつジムゾンは祈るのをやめた。ディーターに“調べる”と約束したものの、何を何処から崩せばいいのか。全てがディーターが無実であるという前提に基く都合の良い曲解になりはしないかと考えあぐね、ジムゾンは一人教会に帰っていた。
側面の赤色硝子ごしに夕日が差し込む礼拝堂でジムゾンは跪いたまま祭壇前の祈祷台にぐったりと身を預けた。少しでも心が落ち着けばと思ったが、今の状態では祈ることさえままならない。
ジムゾンはロザリオを首にかけ戻し、十字架を何時ものように最初の釦に引っかけて留めた。ミサは勿論の事だが、こうしてロザリオの祈りをするのも随分久方ぶりだ。これでは“ロザリオのヨハネ”という修道名の名前負けだとジムゾンは微かに苦笑した。

「―!」
思い出した自分の修道名が妙に引っかかってジムゾンはガバッと顔を上げた。ヨハネとは、まさか自分の事を指していたのだろうか。そう思いつつジムゾンは以前ゲルトに聖書を数冊貸した事を思い出した。
ヨハネの手紙。それが単にヨハネの手紙ではなく。二重の意味で“ヨハネ(ジムゾン)のヨハネの手紙”だとしたら?ゲルトはジムゾンの修道名も知っていた。そうであったとて、何の不思議も無い!
ジムゾンは立ち上がり、司祭館へと走った。

二階にある自室へ向かって階段を駆け上りながらジムゾンはまたも違和感を覚えていた。階段が一階分違うだけでかなりの差が出るものだ。ヴァルターに聞いたモーリッツ殺害時の到着順はこうだった。

トーマス・ヨアヒム →ペーター→ヴァルター→オットー →ディーター

二階のヨアヒムと三階のトーマスがズレは幾分かあるにせよ同じような早さで着いた。ペーターは子どもなので三階でも早く着いた。が、ヴァルターとスタートは同時だったのだから到着はヴァルターとそんなに差は無い筈だ。仮にトーマスがペーター並に早い足があったとしても、階段の傍に部屋があるペーターならまだしも、三階一番端の部屋のトーマスが二階階段傍のヨアヒムと同じになるわけがない!
この件は、宿屋に戻ったらヨアヒムに確認しなければならないだろう。ジムゾンは自室の前で立ち止まり、ブルッと身を震わせた。
部屋に入って急いで本棚を探る。次第に日は傾いてどんどん視界が悪くなる。薄暗い部屋の中で漸くヨハネの手紙の一冊を見つけ、ジムゾンは焦りに震える指先で最初から項を繰った。
長年使ってきたので手垢こそついているが割と綺麗な方だと思う。折り目も無いし、汚れもつけた覚えは無い。そんな中、ページ端の空白に落書がされてあるのに気がついた。それは落書ではなく、鉛筆で殴り書きされた何かの文面だった。

はじめに聖母への祈り 目にするは子羊 天上輝く雷鳴を知る者であり、同時にやさしさを知る者
歓喜に満ち満ちる者は処女に 物憂げに深く沈む者は娼婦によって守られる
全てを越える神はへりくだる人に心を留め 高ぶる者には近付かれない
苦しみの中にある時も あなたは私のいのちを支えられる


それは紛れも無くゲルトの筆跡だった。万が一、自宅に放火された時やあの手紙が出されなかった事も考えたのだろうか。更にこの謎を解かなければゲルトの纏めた資料は見つからないようだ。
本を閉じようとした時、ふとその下に書かれてある追記に目が行った。そこにはこう記されてあった。

リーザ…実妹の殺人未遂
ヤコブ…友人の殺害疑惑
レジーナ…夫殺し疑惑
トーマス…親友夫婦殺害
このうちの誰かが狂人、残りが人狼 資料は上の文面を解くこと

ジムゾンはその場にがくんと膝をついた。
トーマスの過去は、本当だった。トーマスが本当の父でないどころか、両親を殺した仇敵だという、嘘のような話が真実だったとは。
もう涙が落ちる事は無かった。悲しみや怒りよりも、とてつもない恐怖に体が震えた。呆然と宙を見つめながら、ジムゾンはこれまでの事を思い出していた。

リーザが犯人だとばれてしまった時、トーマスは手をあげそうになった。
実の子だとして育て異常な愛情を持っていたジムゾンは当然かもしれないが、憎くてたまらなかったであろうディーターにも手などあげた事は無かった。それなのにリーザには手をあげかかった。それはつまり、人狼としてとんでもない失敗をしでかしてしまったリーザへの叱責であり、思わず出てしまった本音の行動だったのかもしれない。正義感からの行動では、無かった。そもそも善き心からの正義であれば、暴力という手は出ない。

ジムゾンは昨晩寝台が軋んでいた事を思い出した。寝台が軋んでいた事。そして窓辺が削れていた事…。もしもディーターの言うようにトーマスが自室の床からジムゾンの部屋を監視していたのなら。
四時になってジムゾンが出て行く。確認した後で二階まで下りてジムゾンの部屋に侵入する。持ってきたロープ状の物を寝台の脚に括り付け、窓辺から垂らして下に下りる。モーリッツを殺害し、再び窓から二階へ戻る。ロープを回収して(或いは隠して)何食わぬ顔で殺害現場に駆けつける…。
そうすればヨアヒムと同着くらいになったのも納得がいく。この場合、怖いのは見回りをしているディーターという不確定要素なのだが、もしディーターがジムゾンを気にしているという要素に頼るのならば。ディーターは位置的にジムゾンがモーリッツの家に行く様子が見える場所に居た。ジムゾンの動向に注視していて裏にまで来ない可能性は高い。かなりの思い切りが必要だが、頼るに不可能な物ではない。

ジムゾンは本棚に縋りながらなんとか立ち上がった。今からでも間に合う。宿屋に戻ってディーターを解放してレジーナとトーマスを取り合えず地下室に送ろう。謎はそれから考えればいい。
とうに夕日は沈んでしまい、殆どが暗闇に沈んでしまった中ジムゾンは慎重に歩いて司祭館を出た。すると、突然まばゆい光が目に入った。
「ああ、無事だったのか。」
何気ない声にジムゾンはビクッと身を強張らせた。まばゆい光…火の入ったカンテラを掲げて佇んでいたのは、トーマスだった。
「何時までも帰ってこないから心配したぞ。」
「…本を読んでいたら、遅くなって。」
無事じゃないとしたら、今のこの瞬間が一番そうだ。心の中で思いながらジムゾンは努めて平静を保とうとした。手には、しっかりとヨハネの手紙の一冊を持っている。揃って赤い表装をした聖書なので傍目に何かは解るまい。

「レジーナの部屋に置かれた指輪があっただろう。」
「え、ええ…。」
「あれが結局誰の物なのか解らないままだ。ディーターには手の甲にあるのだから、まだ一人居る筈だ。…お前は誰の物だと思う?」
ジムゾンははたと考え込んだ。ディーターのような無実の人間もあの刻印を保持していた。となると、まだ別にそういう人間が居るのだろうか。組織に入ったはいいが、抜け出て。それでも指輪だけは手にしていた…。
「…カタリナさん…。」
ぼそりと呟いたジムゾンの言葉に、トーマスは一瞬立ち止まってきょとんとした。そうして再び歩き出すと苦笑いする。
「カタリナは違うだろう。殺されてしまったのだから。」
「でもあの指輪、女性の物でした。レジーナでも、パメラでも無いなら他に居ません。」
「女装癖がある男かもしれない。」
「まさか。」
ジムゾンはちょっとだけふきだした。
「お前なら似合うかもしれないよ。」
突然、片手で肩をぐっと抱かれた。ジムゾンが訝しげに見上げるとトーマスが微笑みかけた。
「聖母の衣と同じ色した瞳のお前なら。」
「…またそれですか。」
ジムゾンは苦笑まじりに溜息をついた。そうしてふとした違和感に再びトーマスを見上げた。
「誉められるような事はしてませんよ。」
「さあついた。」
さり気無く笑顔ではぐらかされて気が付くと宿屋の前に着いていた。
「そうそう、ところで指輪の事なんだが。」
言いながらトーマスは扉を開けてジムゾンを中に押し入れた。

宿屋には誰も居なかった。明々と明かりは灯っているのに。いや、誰も居ないわけではなかった。少し錆びた鉈を手にしたレジーナが、他に誰も居ない一階に佇んでいた。
「お帰りジムゾン。」
レジーナは何時ものように微笑みかけた。刹那、ぐっと両方の肩に大きな手が置かれた。
「あの指輪はな、レジーナの物だ。」
後ろのトーマスの言葉のとおり、レジーナの右手薬指にはあの指輪がはめられていた。
「み…皆は…。どうして。どうして?!」
肩に置かれた手の絆しを逃れ、ジムゾンは半狂乱になってトーマスに問うた。
「全員地下に閉じ込めている。」
「組織の刺客からも逃れてきたディーターだけが厄介でねえ…。けどあの子が居なくなってしまえば、後の連中を捕まえるのは簡単なものさ。伝説では人狼の数と同等以下って言うだろう?でもね、隙さえあって狩人みたいな人間が居なくなっちまえば乗っ取るのは易い事なんだよ。」

そう言って笑うレジーナを目にしながらジムゾンは何処か意識が遠のくのを感じた。レジーナの笑い声が反響して、遠い。その時、再び両方の肩をがっしり掴まれてジムゾンは我に返った。
「可愛いジムゾン。解いたんだろう?ゲルトが残した手紙の謎を。」
何時ものように穏やかな声で囁きかけるトーマスにこれほどの恐怖を感じた事は無かった。暗転しそうな意識をなんとか留めようと、ジムゾンは下唇を噛締めた。悔しくて悔しくて、瞳からは涙が溢れた。
そうこうしているうちにトーマスの手は二の腕に落ち、そのまま這うように肘、手首へと伝っていく。動きを止めたくても体の自由がきかなくてジムゾンは精一杯の気力を振り絞って口を開いた。
「解きました。解けました。けど、まだ先があります。」
ぴたっ、とトーマスの手の動きが止まった。
「皆に会わせてください。」

「ジムゾン!」
「無事だったんだな、ジムゾン!」
地下では皆一様に縄で縛られていた。だがこれまで村人がしてきた物とは違い、全員脚だけでなく手首も括られている。特にディーターはこれ以上無いほど念入りに縛られていた。
「ごめんなさい、ディーター。それにみんな。暗号を解くのが、こんなに遅くなって…。」
それでも無事な姿を確認して、またジムゾンの瞳から涙がこぼれる。
「いいんだ。解けただけでも儲けモンだ。」
そういうディーターに駆け寄ろうとしたジムゾンだったが、トーマスに腕を掴まれた。
「今はまだ殺さない。」
また、トーマスはジムゾンの耳元で言い聞かせるように囁く。
「そうだな。一日が経過するごとに一人ずつ殺して行こう。お前が解読するのが遅くなればなるほど、死体が増える。」
ジムゾンは見開いた目でトーマスを凝視した。
「じっ、ジムゾンさん…。」
「君がそんな人間だったとはな!トーマス!」
アルビンが泣きそうな目で訴え、ヴァルターもたまりかねて叫ぶが、とうのトーマスは見向きもしなかった。
「…全てを越える神はへりくだる人に。心を留め、高ぶる者には近付かれない。苦しみの中にある時も。あなたは私のいのちを、支えられる。」
ジムゾンの口を突いて出たのはゲルトが残した謎の後半だった。それは謎ではなく、ゲルトが託したメッセージなのだとジムゾンには解っていた。詩篇138。主への感謝の祈りからの抜粋だった。ジムゾンはトーマスを真正面から見据えて言葉を続けた。

「力を現して敵の怒りを退け、その右手で私を救われる。神は、私に約束されたことを、すべて成し遂げられる。神よ、あなたの慈しみは永遠。造られたすべてのものを見捨てないで下さい。
栄光は父と子と聖霊に。初めのように、今もいつも世々に。アーメン。」



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